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11 病。

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『すまなかった、パトリック』

 全てを理解したのか、懐かしくも忌まわしい執務室で、アレクが青白い顔をしながらも俺に深々と頭を下げた。
 傍らにはセバスが、諫めるどころか笑顔で立ち会いやがって。

『少なくとも、今のアナタに頭を下げられる道義は無いんですが』
『幾ら違うとは言えど、僕は僕だ、ヴィクトリアを殺したアレクサンドリア。しかもその懸念が未だに払拭されていないからこそ、ヴィクトリアは受け入れられないのだと思う』

『まぁ、そうですね』

『どうか、力を貸しては貰えないだろうか』

 あぁ、セバスか皇妃の、いや皇帝の入れ知恵か。

 だから嫌だったんだ。
 現皇帝は聡明だ、俺の力を必要とする事は分かりきっている。

 しかもヴィクトリアを思うなら、俺が協力するだろう事まで織り込み済みで計算している筈。
 だから王宮には関わりたくなかったんだ。

『ヴィクトリアの友人としてならな』

 呼び捨てにした程度で俺に嫉妬を向けるなら、手伝わないぞ小僧が。

『はい、お願い致します』

 クソが、ココで頭を下げられなければ俺は断れたのに。

『ヴィクトリア嬢に害となると俺が思った時点で、関わらせない、良いな』
『はい』

 こう、釘を刺したんだが。
 後日、コイツは平気で幼い事をしやがった



「殿下、どうか私に遊学の許可を」

 殿下は、私に毒を盛られた後も尚、変わる事無く私を王宮へ招き。
 前世の殿下の行いを知った後も尚、私の淹れるお茶を飲み、お菓子を食べて下さった。

 けれど、それだけで私は。
 いえ、殿下と離れる為でも有るのですが、この3年間で私は遊学への魅力に本当に抗えなくなってしまったのです。

 異国情緒とは何か。

 現地の香り、空気、雰囲気。
 それらは現地でしか味わえない事、それを知らず再現などは不可能。

 そして、私が安心を得る為にも、国交を行って頂きたい国が有る。
 その橋渡しも兼ね、最悪の場合に手助けして頂けそうな方、南方のレウス王子の元へ行こうと考えているのですが。

『何処へ、行くつもりなんだろうか』
「南方へ、レウス王子を頼ろうかと」

 殿下は、どうやら相変わらず苦手だそうで。

『どうして彼なんだろうか』

「仲睦まじい夫婦でらっしゃいますので、その事も勉強させて頂こうかと」

 正妃を交代させ、一時的にですが側室を持ってらっしゃっいましたが。
 全ては、異国でお怪我をなさった方の為、正妃交代の為にと側室に据えたに過ぎないと。

 以前の私は、そう正妃様からお話を伺っているのですが。
 今出回っている情報は、あくまでも正妃を交代させ側室を協力国に下賜した、だけ。

『君が利用される様な事は避けたい』
「私を、信用頂けませんか」

『いや、違うんだ、ただこう』

 今の殿下の弱点は私。
 しかも私がこう言えば殿下は呑まざるを得ない、そう分かっている事が、逆にとても心苦しい。

 少しでも間を置いて頂けると思っていたのに、毒を盛られる前と全く同じ日程なんですもの。
 流石のパトリック様でも呆れてらっしゃいましたし。

 もう、兎に角離れたいんです。
 どんな時も胸が痛くなってしまうから。

「いざという時に皇妃であれ側室であれ、最悪は出向く場合も十分に想定されます。ですが私が不適格であると思われるなら、是非とも候補から降ろすべきかと」

 大変、卑怯な手段なのですが。
 もう、他に手立てが無いのです。

『少し、少しだけ考えさせて欲しい』
「はい」

「では、お時間になりましたので」
『セバス、少し早いんじゃないだろうか』

「はい、良くお分かりになりましたね。私としては、ココで沈黙で時間を無駄にするよりも出来る事を探し、次の機会で補填すべきかと思うのですが」
『分かった、今日は少し早いが、下がらせて貰う』
「はい、では」

 セバスは中立だと仰っていますけど。
 甘いと思います。



「殿下、パトリック様が来られましたが」

『あぁ、すまない、起きる』
「ゆっくり、お願い致します」

 ヴィクトリア様から遊学の件を伺って以降、殿下は食事が喉を通らなくなり、すっかり弱ってしまわれました。
 ヴィクトリア様の為に南方の勉強は何とかなされているのですが、食べても吐き気を催してしまい、時にヴィクトリア様から頂いた菓子以外は全て吐き出してしまう程。

 パトリック様は最初、仮病を疑ってらっしゃいましたが。
 お痩せになった殿下を見て。

『どんだけだ、お前は』
『すみません、食べる努力はしているのですが』

 実際に殿下は努力なさいました、様々な薬草も食べ物も試したのですが。
 一口噛むだけでも吐き気を催してしまう為、今は擂り潰され、とろみがついた小麦と米のスープをこまめに摂ってらっしゃいます。

 ですが、未だに育ち盛りの体に足りる事は無く。

『そんなんじゃ対策も考えられないだろうが』
『はい、すみません』

 手に血が滲む程、吐き気を我慢しても。
 自ら調理した食べ物でも。

『アレの何が良いんだ、お前のそれは単なる執着なんじゃないのか、しかも有能さ故の執着。ヴィクトリア嬢は、こんな事を喜ばない、望まないだろう』

『はい、分かっています、分かっていても』
『まぁ、栄養が足りないんじゃ頭が回らないか。コレは、何だと思う』

 パトリック様が取り出したのは、見慣れた包み。

『ヴィクトリアには』
『言って無い、コレは俺にと作ってくれたものだ、茶会の最中に急遽呼び出されたんで軽食にとな』

 包みから出てきたのは、ほうれん草とサーモンのキッシュが。
 未だにヴィクトリア様からお菓子しか頂いていない殿下には、最早、宝も同じ。

『それは、ヴィクトリアが』
『あぁ、この欠けた所は俺が食った、良い塩梅だぞ。だが残念だな、お前に吐き戻されたら堪らん、目の前で食わせて貰うぞ』

 殿下がゴクリと喉を鳴らしたと同時に、お腹からも音が。

『すみません』

『はぁ、コレと良い案を出してやるから、皇帝と皇妃に心配を掛けるな。良いな』
『はい、すみません』

 そうして殿下は、一口。

 じっくりと味わい、飲み込むと。
 おもむろに立ち上がり、机へ、そして日記帳を取り出すと何かを書き始め。

『良い案が浮かんだか』
『いえ、コレは、記録をと思いまして。思い出す事も有る様に、いつか忘れてしまうかも知れませんから、記録しておこうかと』

 こうして殿下のヴィクトリア様の料理記録が、ココから始まりました。



「殿下、少しお痩せに」
『いや、少し胃を悪くしていたんだけれど、もう大丈夫だよ』

 僕はパトリックにヴィクトリアの料理を分け与えて貰った、そこで複雑な自身を理解し落胆した、けれど同時に優越感を感じた。

 以前の僕が味わえなかった事を、味わえている。
 しかも舌で、以前の僕が知りたくても知れなかっただろうヴィクトリアの味を、僕は味わえた。

 それだけで、僕はやる気に満ち溢れた。

 まだマシだ。
 以前の僕より立場も何もかも、遥かにマシだ、と。

 それからは食事も摂れる様になり、体重も殆ど戻った。
 けれど、流石に元に戻るには時間が間に合わず。

「あの、でしたらお菓子は」
『いや、寧ろ体重を戻す為にも食べたいんだ』

「ですが、無理をなさらないで下さい」
『あぁ、無理はしないよ。コレはヴィクトリアが?』

「あ、いえ、違います、キッシュは難しいですから」

 僕は知っている、覚えている。
 コレはヴィクトリアの味だ。

『そう、とても美味しいよ、コレを作るのは難しいそうだね』
「はい、生地が生焼けにならない様に、焦がさない様に。するのが、大変だそうで、殿下も底が良く焼けているかご確認しながらお食べ下さいね」

『あぁ、そうさせて貰うよ』
「あ、コチラはもっと美味しいかと、生地にニンジンが練り込んで有るんですが。凄く美味しい筈です」

 コレは料理人の、いや侍女クララのか。
 彼女は今でも僕を受け入れてはいない、けれども僕を思うヴィクトリアの為に出した案なのだろう。

『ニンジンが好きな者には物足りないだろうけれど、美味しいよ』
「ですよね、ふふふ」

 何も言わずに出せば、少しは復讐になる筈が。
 やはりヴィクトリアは優しい、嫌がらせはアレだけ、嫌味などは全く無い。

 だと言うのに、以前の僕は。

『ヴィクトリア、僕からもお願いが有るんだ』
「はい、何でしょうか」

『そう緊張しなくても大丈夫だよ、僕も遊学に同行させて欲しいだけだからね』

 驚いた顔も可愛い。
 そうか、パトリックは敢えてヴィクトリアに知らせないでくれたのか。

「あの」
『皇帝と皇妃には既に許可を頂いているんだ、ただ君にも許可を得るべきだと思ってね、同じ船に乗る事になるのだから』

 目が泳いでも、ヴィクトリアは可愛い。
 困らせたくは無いのだけれど、コレはコレで堪らない。

「その、こう、婚約者候補として抜け駆けになる様な事は」
『それも告知はしてあるよ、同行する者が居れば連れて行く、とね』

 けれども殆どの子女は船旅をしたがらない、しかも行く先が南方となれば尚更。
 それこそヴィクトリアが頼ろうとしてるレウス王子の事を、良く思っている令嬢は少ない、更には言語を学んでいる者となると。

「折角の機会なのに、本当に皆さん」
『君程の熱意が有る者は稀有だよ、僕が確認したけれど、同行者も反対する令嬢も0だよ』

 僕は、ヴィクトリアに拒絶された事がショックのあまり、同行する概念が消し飛んでいた。
 今思えば、同行する、その一言で済んだ事を僕は。

 僕は、あまりにも愚かで弱い。

「ですが、どうして殿下は」
『僕は愚かで弱い、だからこそ、鍛え直される為にも行くべきだと思うんだ』

 パトリックは勿論、皇帝も信頼する相手、レウス王子。
 以前の僕が苦手としていた者、だからこそ相対したい。

 僕は、違うのだ、と。

「あの、同行を拒否させて頂く権利は」
『有るよ、しっかりとした正当な理由が有れば、ね』
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