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しおりを挟む「お客さん、この辺りは初めてですか?」
タクシーの運転手が、バックミラー越しに後ろの青年に問いかける。
「いえ、近くまでは何度か来たことがありますが、こうして来るのは初めてですね」
青年はゆったりとした表情で、問いかけに応える。
窓の外は人里離れた山道で、陽は高く登り、眩しいばかりに道路に木の葉の影を落としている。そのため車内も陰り、運転手は青年の顔をよく見ることができなかった。
「私もね、この辺りを走るのは久々ですよ。だって、この山にあるものといえば、何やら大層な仙術三家とかいう人たちのお屋敷だけで、他に民家や商店などはありませんからねえ。乗せる客といえば、その仙術家のお屋敷に御用のある方ばかりですよ。おそらく、お客さんもそうなんでしょう?」
「ええ、おっしゃる通りです」
青年の声はまだ幼く、中学生か、高校生くらいだろうと運転手は思った。しかし、その話し方はとても落ち着いていて、子供らしさを感じさせない。
「でも、用があるのは私がではなく、向こうの家の方なんですけれどね」
「ええ?」
運転手はもう一度、バックミラーを見た。仙術家は俗世から離れて暮らす風変わりな一族だ。外界から人を呼びつけるなんて、今まで聞いたことがない。
「聞いていいか分かりませんが、お客さん、一体どんな用事で、この山へ来たんです?」
青年は、口元に柔らかな笑みを浮かべる。
「ちょっとしたお使いです」
***
「柳荃(ユウセン)さん。 お電話いただけましたらお迎えに上がりましたのに」
視界いっぱいにそびえる厳かで古風な屋敷の前にタクシーが停まると、その門から、スーツ姿できちんとした身なりの男性が早足で近づいてきた。青年は車から降りると、にこやかに男性に会釈をした。
「いえ、要さん。どうかお気遣いなく。麓に用事があったものですから。それに、道中、タクシーの方と色々なお話ができ、収穫もありました──中洲橋の近くに、美味しい蕎麦屋があるそうです。ご存知ですか?」
「ええ──何度か行ったことがあります」
すると、助手席の窓が開き、運転手の顔がのぞいた。
「すみませんが、お客さん、まだお支払いが済んでいません」
「ああ、そうでした──」
そう言って振り返り、運転手に提示された額を見た青年の表情が、一瞬固まる。
「柳荃さん?」
怪訝そうにするスーツの男に、青年は苦笑いを浮かべる。
「あのー、ええっと、そんなにかかるとは思っていなくて……」
「ですから、お迎えにあがりますと申し上げたのに」
要淳義は、肩をすくめた。
***
そして数年後、過去と同じように柳筌は、幸家の屋敷へ足をむ踏み入れた。
「ありがとうございます、要さん。あんな辺鄙なところまで、お迎えに来て頂いて」
「お気遣いなく。これが私の仕事ですから」
青年──縁柳荃の前を、スーツの男──要淳義(カナメジュンギ)が先導しながら、長い廊下を進んでいく。縁柳荃は斜め前を歩く要より、拳一つ分ほど背が低く、顔立ちも幼さを残している。しかし、上着を片手に音もなく歩く姿は、一人前の社会人の振る舞いである。いつ見ても年齢不詳だ、なにしろ縁家の人間は童顔で美形が多いから──と要淳義は青年の横顔を盗み見ながら心の内で呟いた。
「それに迎えに行くように、偕鶹(カイル)様から仰せつかったのです。屋敷の裏口から入ったのも、偕鶹様のご指示です」
「何か用心されていることでも──」
「それはここでは言えません」
要淳義は前を見たまま答える。柳筌は話題を変えることにした。
「幸藍雀(コウアイジャク)様は、どちらに?」
「奥の間にいらっしゃいます。──それより先に、偕鶹(カイル)様がお待ちですので、お会いしてあげてください」
「偕鶹(カイル)様が──」
柳筌の歩みが止まる。ふと昔を思い出すかのように、遠くを仰いだ。そんな彼の傍を、数年前の自分が通りすぎていく。
***
要淳義に案内され、客間の戸を開けると、中から子供が飛び出した。そして勢い余って、縁柳荃へ正面から飛び込む。
「わっ!」
短い驚嘆の声を出すと、子供はぶつかった青年の顔を上目遣いに見上げた。
「誰? 初めて見る顔だ」
「いいえ、一度お会いしていますよ」
「本当? どこで?」
縁柳荃は彼の肩を優しく両手で支え、柔らかい笑みをたたえて答えた。
「私は、これからあなたの専属教師となる、縁柳筌です。偕鶹様」
「ユウセン……? ユウセンなの?」
子供の顔がぱっと輝く。
「はい、そうです。あなたにたくさんのことを教えるために参りました。勉強も……それ以外のことも。なんでもお尋ねください」
「僕の先生になるんだってね! やったね! よろしく!」
少年はぴょんぴょん飛び跳ねる。それを見て、柳筌はいっそう柔らかな笑みを浮かべるのだった。
「はい。よろしくお願いします、偕鶹様」
これが、縁柳荃と幸偕鶹(コウカイル)との出会いだった。
***
「ふふ」
柳筌は微笑み、瞼を閉じる。再び開けると、子供達の姿は消え、要淳義がひとり、客間の戸を開けて待っていた。
「どうかされました?」
「いえ。……昔を懐かしんだだけです」
柳筌は客間へと足を踏み入れる。すると、重厚な椅子に座っている、若い青年と目が合った。空気がピリッと張り詰めている。
「……お久しぶりです、偕鶹様」
「……うん」
恭しく柳筌が頭を下げると、青年は頷いた。今年20になった幸家次期当主の、幸偕鶹だった。
「まさかこんな形で再会するとは」
「俺も思ってなかったさ」
それから淳義に、戸を閉めるように合図する。
「ちゃんと裏口から来たな?」
「ええ、ご指示の通りに」
「誰にも会わなかったろうな?」
「勿論」
忠実なる返答を聞き、偕鶹は安堵の息を吐く。片手で柳筌に座るよう促すと、重々しく話を切り出した。
「……先生、突然呼び出して悪かった。今日、ここへ来てもらったのは、折り入って頼みたいことがあったからだ」
「なんでしょう」
「父──藍雀が昨日、息を引き取ったことはもう聞いたな?」
「ええ」
「医師の話によれば、内臓を悪くしての病死らしい。だが──俺は納得いかなかった。それでだ──先生。父を殺した真犯人を、見つけ出して欲しいんだ」
「──え」
偕鶹の言葉に、柳筌は綺麗な横長の目を大きく見張った。
《続く》
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