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一章 お姫様は軍人の女の子

04 栗毛の牝馬と馬の獣人

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 王都とはいえ、中心部から遠ざかった下町と呼ばれる地域になるとあまり華美さはない。地方の都市とあまり大差ないだろう。

 レーヴは下町の小さな家に住んでいる。青と緑が交互に連なる鱗模様のような瓦が印象的な家だ。白い壁についている木製の山形パンのような形のドアは、レーヴのお気に入りである。

 小さな家だが、ベッドルームとリビングダイニング、キッチンに水回りと最低限は揃っている。ダイニングに置かれたテーブルが部屋の広さに対してやけに大きいのは、レーヴがパンを作る作業台として利用するためであって来客のためではない。

(そう、決して、こんな人数を受け入れるためじゃない)

 来客は三人。一般的には多いというほどの人数ではないが、一人暮らし用の小さな家には十分多い。それも、三人中二人が長身の男となると部屋がますます狭くなるというものだ。

 来客なんて滅多にないので、用意したティーカップはバラバラだった。昨日の今日で用意することなど無理な話だったし、そもそもレーヴ自身に歓迎するつもりがなかったので茶菓子すらない。一人暮らしの家にカップがたくさんあるはずもなく、レーヴに至ってはカップが足りなくてスープカップに注いだお茶である。座る場所も多くはないのでソファとダイニングチェアを譲った。家主のレーヴは脚立に腰掛けている。

「大人数で押し掛けてしまってごめんなさいね。こちらは夫のウォーレンよ」

 スープカップに口をつけながら、レーヴはそっと目の前を見た。ソファには昨日会ったばかりのマリーが申し訳なさそうに苦笑しながら座っている。二脚あるダイニングチェアには昨日見事な手腕でレーヴを誘拐した男ことウォーレン、そして見知らぬ青年。この青年が昨日言っていた獣人ーーデュークなのだろう。なるほど、納得の美形である。

 歳はレーヴと同じくらいだろうか。見たことのない黒色の軍服は、獣人に支給される特殊なものかもしれない。近衛騎士隊の白い軍服とデザインは似ているが、色のせいか騎士というより悪の組織に属していそうな雰囲気だ。魔王、いや堕天使かもしれない。高貴さと邪悪さを持ち合わせた堕天使はイメージにぴったり合う。

(綺麗すぎて、直視しづらい)

 艶々の黒髪は男性としては長めだ。この国では短髪が多いので珍しいが、もしかしたら人の耳がないことを隠すためかもしれない。すっと通った鼻梁も薄い唇も、歪みなく左右対称で美術品のようである。黒玉ジェットのように黒い瞳は、火をつけたら燃えそうなくらい熱い視線をレーヴに向けてくる。ちらっと見ただけでもこんなに素敵なのだ、文句なしの美形と言えるだろう。

 とはいえ顔を長々と観察する勇気もなく、レーヴはその上へと視線を移した。顔を見ているとその存在が霞むが、頭の上にはピンと立った耳がある。犬や猫とも違う、だけどレーヴには見覚えのある形だ。

(大き過ぎず小さ過ぎず、ちょうどいい大きさだなぁ)

 長いとロバやウサギのように見えてしまうし、短ければネズミみたいに見えてしまう。レーヴがそんな風に思うということは、彼女に馴染みのある動物なのだろう。早馬部隊に支給されている動物を脳裏に思い浮かべながら、レーヴは悩む。初対面の獣人に何の獣人なのかを訊ねるのは失礼だろうか。人間だって、初対面であれこれ聞かれたら嫌な気持ちになる。

 真顔だったら綺麗すぎて畏怖すら感じそうな美形だった。今はその目にレーヴを映し、甘く緩められている。愛しい、好きと分かりやすく好意を向けられて、レーヴは居た堪れずにお尻をもぞもぞさせた。

 くねっと動くレーヴの尻をチラッと見て、デュークは頭を掻いた。露骨に顔に出てはいないが、馬にとって前掻きするような仕草は欲求不満を意味している。

「デューク」

「……っ」

 分かりやすく発情している獣人に、ウォーレンはこっそり蹴りを入れた。躾のなってない牡馬には鉄拳制裁である。

 テーブル下で行われていた男たちの行動はマリーしか気付かなかったようだ。相変わらず落ち着かない様子でレーヴはデュークをチラリと見る。視線が合うと慌ててカップに唇を寄せて誤魔化す様子は初々しい。

(ま、まぶしい!)

 恋愛市場から弾かれたレーヴに、美形は眩しすぎた。こっそり見るだけでお腹いっぱいである。レーヴの幼馴染もわりと美形な部類に入るが、デュークはそれの上をいっていると思う。幼馴染はあざと可愛い小悪魔系なのに対し、目の前の美形はなんというか、魔王様という感じの怖い妖艶さがある。そんな美形が分かりやすくデレデレしながら自分を熱心に見つめてくるというこの状況が恥ずかしくて仕方がない。出来ることならこの場から逃げてベッドに潜り込んで足をバタバタしたい気分になる。

 今更自分の格好を後悔しても遅い。今日のレーヴときたら、相変わらず化粧はしないし髪もただのポニーテール。服装もリネンの生成りワンピースといった有様で、栗色の髪も相まってまるで温くなったカフェオレみたいな色が残念な感じである。

(こんな熱視線を向けるに値しないんですけど!)

 そんな残念さも恋する獣人にはあばたもえくぼ、栗毛の牝馬可愛すぎる、になる。引き締まった体は健康的で素晴らしく、柔らかそうなお尻は好み過ぎた。ポニーテールも馬の獣人であるデュークにとっては同族のようで安心する。人族のメスには化粧や香水を使う者が多いが、獣人らしく鋭い嗅覚を持つ彼には毒でしか無い。正直、薄化粧のマリーにもあまり近づきたくないのだ。その為、ウォーレンの謎の警戒のおかげで離れていられることにデュークは感謝しているのだった。

 申し訳ないという表情を浮かべて顔を伏せてちびちびお茶を飲むレーヴと、それをニコニコと愛しげに見つめるデュークを見て、マリーはあらあらと微笑ましく思った。

 レーヴは自分をブスだと自己評価しているようだが、マリーは普通の部類だと思う。化粧をしていない肌は荒れることなくきめ細やかだし、髪だってサラサラである。分かりやすい女らしさはないものの、よく見れば胸やお尻は柔らかそうであり、どうしてそこまで自らを卑下するのかマリーは不思議だ。

 とはいえ、どんな女性も一つや二つくらいコンプレックスはある。それはいかつい顔をだらしなく緩ませて可愛いと言ってくる夫がいるマリーだって同じこと。問題はそこではない。何を置いても、今は恋する魔獣の恋を成就させることが最優先なのである。

 昨日の様子では恋に無頓着というか興味がなさそうに見えたレーヴだったが、年頃の女性らしくデュークを多少は意識しているらしい。皺の寄ったスカートをちょいちょいと直そうとしたり、デュークを見ては恥かしそうに目を伏せたりと忙しない。顔を反らす度に彼が残念そうに眉をハの字にしているなんて気づいてもいないのだろう。

「あなた……ちょっと」

 ちょいちょいとマリーがウォーレンを呼ぶ。素直に耳を寄せる夫に彼女は内緒話をするように囁いた。

「レーヴさんって可愛らしいと思いません?」

「そうだな」

 マリーの言葉に、ウォーレンはこくりと頷く。

 そうなのだ。昨日の帰り際に見たレーヴはあんなに面倒そうにしていたのに、今日の彼女はまるで初恋すらまだ未経験の初々しい乙女のよう。いくら相手が美形とはいえ、露骨に狼狽えている。純潔の乙女を好むユニコーンなんて居たら、彼女は格好のターゲットではないか。彼女の年齢を考えればもう少しくらい冷静になっているべきだと思うのだが、とウォーレンは思う。

 男に対する耐性がなさすぎて、心配になってくる。顔だけ良くて性格の悪い男にうっかり食われそうだ。その点、獣人はすこぶる一途なので安心ではある。

「この方、うっかり悪い男に騙されそうですわね」

 彼の妻も同意見のようである。

「これは、彼にしっかり射止めて貰わないといけませんわ」

 ウォーレンもそう思う。栗毛の牝馬にはここで素晴らしい伴侶を得てもらって、自分たちのように仲睦まじく過ごしてもらいたい。そして出来れば、子供が生まれた暁にはマリーに報告してくれると彼女が喜ぶと思う。

 夫と一致団結したところで、マリーはそっと持っていたカップをテーブルに置くと軽く咳払いをしてからニッコリと微笑んだ。甘い雰囲気が少しだけ引き締まったものになる。レーヴも何かを察してか、持ったままだったスープカップを置いて、手を膝に乗せた。

「レーヴさん。彼が昨日お話しした、獣人になった子よ」

「デュークさん、でしたっけ?」

 おずおずとその名を口にするレーヴに、デュークはそわそわしている。名前を呼ばれて嬉しいのか、長い尻尾がファサリファサリと動いた。頭の上にピンと立つ黒い耳は、レーヴの言葉一つ一つを漏らしたくないとばかりにしっかりと彼女の方へ向けられている。

「どうか、デューク、と」

 椅子から立ち上がったデュークが、レーヴの足元に跪いた。膝の上に置かれていた彼女の手を恭しく持ち上げる。男性らしい長い指がレーヴの手の甲を優しく撫でて、そっと唇が押し当てられた。

 お姫様に忠誠を誓う騎士のような行為に、忘れていたレーヴの乙女心がキュンキュン刺激される。こんなレーヴも幼い頃は絵本で読んだ騎士様に憧れたものである。しかも相手は美形。ときめかないわけがない。

 時間にしたらほんのちょっとの間だったと思うが、レーヴにはやけに長く感じた。せっかくのシチュエーションを台無しにしないように、息さえ潜めて耐えていたからかもしれない。

「マリー……デュークは大丈夫なのか?」

「……獣人の一途さは筋金入りですわよ」

 マリーは心配ないと笑っているが、ウォーレンは心配でならない。短時間とはいえ彼はレーヴを妹のように思いハラハラしているらしい。レーヴは彼の妹と同年代だから他人とは思えないのだろう。見た目に反して優しい男である。デュークを一刻も早くレーヴに押し付けようと思っていたくせに、今はもう少し様子見でも、となっている。

 レーヴは気づいているのかいないのか分からないが、挨拶や親愛のキスにしては少々長い。いや、すごく長い。手の甲を撫でるところからキスをして唇を離すまでにどれほど時間をかけているのか。うっとりしているレーヴの様子からして、美形補正が入って誤魔化されているに違いないが、ウォーレンが呆れるほど長かった。思わず立ち上がってデュークを捕獲しようとしていたのをマリーに窘められなかったら、二度ほど向かっていたと思う。

 こそこそと会話する夫妻の目の前では、若人が二人の世界を作っている。

 キスを贈られ惚けたようにぼうっとしていたら、デュークの耳が不安げに伏せられた。自分にはない獣の耳だが、人間とは違い感情に合わせて動いているのでちょっと可愛い。耳同様、懇願するような視線を向けられて、どうしてそんな顔をするのか分からず、レーヴは困惑した。

「名前を、呼んでほしい」

 デュークの声は、柔らかな低音バリトンで甘く優しい響きをしていた。普通に話しているだけだろうに、レーヴの背筋をゾワゾワとした悪寒めいたものが突き抜けていく。人はそれを快感だというのだろうが、初心なレーヴに分かる由もなかった。

「デューク?」

 分かりやすくデュークの顔がぱぁぁと明るさを増した。レーヴとデューク、二人の視線が絡み合う。

 一目惚れをさせるなら、五秒以上見つめ合うのが効果的だと教え込んだのはマリーだった。女性の脳は『あなたに一目惚れした』と錯覚し、興味津々になるらしい。好きだから見つめるのか、見つめたから好きになるのかなんて誰にも分からない。

 先に反らしたのはレーヴの方だった。遅れてデュークが顔を伏せ、落ち着かなさに身動ぐ。どうやら二人して悶えているらしい。

 甘酸っぱい雰囲気が場を包む中、マリーはうんうんと頷いた。その顔は、これを待っていたのよと言いたげである。ウォーレンは妻の様子を見て割り切ることにしたらしい。素知らぬ顔をして茶を飲んでいた。

「あの、私のことも、レーヴと呼んでください」

「レーヴ……」

 きらきらと星やらハートやらが舞っていそうな雰囲気の中、名前を呼び合って照れ臭そうにしているなんて一体どこのバカップルだろう。デュークはともかくレーヴは獣人の彼と初対面なはずなのに随分同調しているようだ。

「美形って恐ろしい……」

「美形ではありますけれど、彼は特にレーヴさんの好みでしょうね。獣人研究では獣人は恋した人の好みを寄せ集めたような姿になると発表されていますから。成就しなければ消滅してしまうのですから、獣人も生き残るために必死なのでしょう」

 理性のある魔獣は平均して百五十年は生きるとされている。獣人になると相手次第でいつ消滅するか分からず、人になったところで相手が死ねばその寂しさに耐えられず死ぬ。おとなしくしていれば長生き出来るのに、理性のある魔獣たちは恋する魔獣に憧れを抱いているのだという。

 愛でられなければ生きられない愛玩動物のようだ。だが、獣人はそんな可愛らしい生き物じゃない。この世で一番の破壊力を有する戦闘用馬車でさえ容易に破壊するような生き物なのだから。

 その恐ろしい獣人は、レーヴの傍で甘ったるい表情を浮かべて跪いている。強靭な肉体と最強の破壊力を隠して、可愛がってと甘えているのだ。その姿に怖さなんて微塵も感じない。

 すっかり忘れられているクララベル夫妻は、温くなったお茶を飲みながらまったりしている。窓から差し込む陽が暖かい。

「こんな日はピクニックがしたいわねぇ」

「お前のサンドイッチはうまいから好きだ」

 今日は初顔合わせだったので同行したが、この分なら次はデューク一人で大丈夫だろう。

「次はピクニックとか良さそうね」

「栗毛の牝馬はパン作りが趣味らしいから、サンドイッチもうまいだろうな」

「キャロットラペのサンドイッチをリクエストしておきましょう」

「それがいい」

 馬が好きなものといえば人参だろう。人参でなかったとしても、レーヴが作ったものなら例え炭でもおいしいと食べるに違いない。

 クララベル夫妻は熱い視線を交わす二人のために次の逢瀬デートを考えた。奥手らしいレーヴも、ピクニックなら敷居も低いだろう。ロスティは間もなく夏を迎える。今、公園は緑豊かで気持ちが良いはずだ。ついでに自分たちもデートをしようと約束し合う夫妻は結婚六年目だというのに新婚のように仲睦まじかった。
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