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番外編
2、それは壁です
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ミーリャから借りた盆に、水差しとグラスを載せて、ラウルはアフタルの部屋へ向かった。
「まぁ、菓子に使われる酒の量など、たいしたことはありませんから」
自分で口にしつつ、嘘っぽいなと感じてしまう。
階段を上がり、ラウルは部屋の扉をノックした。
返事はない。
しばし待って、もう一度ノックする。
まさか酔って、眠ってしまわれているのでは? それともふらふらになって、どこかに頭をぶつけて。
「アフタルさま。失礼いたします」
入室の許可を待っているわけにはいかないと、ラウルは扉を開けた。
アフタルは窓辺にいた。
湖畔からの風に吹かれて、彼女のおろした長い髪がふわりとなびいている。どうやら詩を口ずさんでいるようで、艶やかな唇がかすかに動いている。
ちらっとテーブルを見ると、菓子はほんの少しだけ食べたようだった。
酔っている……ようには見えない。
風に吹かれて落ちたのか、床に一枚の紙があった。見ると、どうやら設計図のようだ。アフタルが最近取り組んでいる、保養所の施設の一つだろう。
確かパラティア騎士団や使用人たちが、憩える場所を造っていたはずだ。
ラウルはほっとして「水をお持ちいたしました」と声をかけた。
「まぁ、ありがとう。ラウル」
柔らかに微笑んで声をかけてくれるアフタル。
(ですが、我が主。それはあなたのしもべではなく、壁です)
アフタルは壁に向かって、ねぎらいの言葉を、なおもかけている。壁人生で、一番光栄なことだろう。
存分に感謝するがよい、壁よ。
「アフタルさま。私はこちらです」
「ラウル。そこへお座りなさい」
「はい?」
思わず声が上ずってしまう。主にお仕えしてしばらく経つが、命令をされた回数はあまりない。
むしろ大事にされて、しもべとしては申し訳ない気分になるくらいだ。
「前から気になっていたのです。わたくしの元婚約者を、あなたは縛り上げて、追い払ってくれましたね」
「そんなこともありましたね」
あまり思い出したくない記憶だ。ラウルはアフタルから視線を背けた。
「当時は、驚いてしまったのです。まさか人を縄で縛り上げるなんて、と。でもシャールーズが言ってました。縛られて喜ぶ人もいるのだ、と」
「あの、クソ兄貴」
滅多にない乱暴な口調で、ラウルは呟いた。
「そして、こうも言ってました。縛る方も存外、楽しかったりするのだと。ラウル、あなたはそちらなのですか?」
「あのくそバカ野郎」
「言葉が悪いですよ、ラウル。どうしたんですか、あなたらしくもない」
「……反抗期です」
ラウルは口を尖らせた。
どうやら服をひん剥かれることはなさそうだが。これは言葉で責められているのではないだろうか。
「精霊にも反抗期があるんですね。そういえば、あなた方の故郷のシンハ島にいた頃は、シャールーズに突っかかっていたそうですね。二度目の反抗期ですか?」
「……大公配殿下に殺意が湧きますね」
物騒なことを言ったのに、なぜかアフタルは「ふふっ」と微笑んだ。
「仲がいいのですね」
「よくないです。彼は私を疎ましいと思っていますし、私は彼を嫌っています」
懸命に主張するのに、アフタルはなおも柔和に目を細めている。
「まぁ、菓子に使われる酒の量など、たいしたことはありませんから」
自分で口にしつつ、嘘っぽいなと感じてしまう。
階段を上がり、ラウルは部屋の扉をノックした。
返事はない。
しばし待って、もう一度ノックする。
まさか酔って、眠ってしまわれているのでは? それともふらふらになって、どこかに頭をぶつけて。
「アフタルさま。失礼いたします」
入室の許可を待っているわけにはいかないと、ラウルは扉を開けた。
アフタルは窓辺にいた。
湖畔からの風に吹かれて、彼女のおろした長い髪がふわりとなびいている。どうやら詩を口ずさんでいるようで、艶やかな唇がかすかに動いている。
ちらっとテーブルを見ると、菓子はほんの少しだけ食べたようだった。
酔っている……ようには見えない。
風に吹かれて落ちたのか、床に一枚の紙があった。見ると、どうやら設計図のようだ。アフタルが最近取り組んでいる、保養所の施設の一つだろう。
確かパラティア騎士団や使用人たちが、憩える場所を造っていたはずだ。
ラウルはほっとして「水をお持ちいたしました」と声をかけた。
「まぁ、ありがとう。ラウル」
柔らかに微笑んで声をかけてくれるアフタル。
(ですが、我が主。それはあなたのしもべではなく、壁です)
アフタルは壁に向かって、ねぎらいの言葉を、なおもかけている。壁人生で、一番光栄なことだろう。
存分に感謝するがよい、壁よ。
「アフタルさま。私はこちらです」
「ラウル。そこへお座りなさい」
「はい?」
思わず声が上ずってしまう。主にお仕えしてしばらく経つが、命令をされた回数はあまりない。
むしろ大事にされて、しもべとしては申し訳ない気分になるくらいだ。
「前から気になっていたのです。わたくしの元婚約者を、あなたは縛り上げて、追い払ってくれましたね」
「そんなこともありましたね」
あまり思い出したくない記憶だ。ラウルはアフタルから視線を背けた。
「当時は、驚いてしまったのです。まさか人を縄で縛り上げるなんて、と。でもシャールーズが言ってました。縛られて喜ぶ人もいるのだ、と」
「あの、クソ兄貴」
滅多にない乱暴な口調で、ラウルは呟いた。
「そして、こうも言ってました。縛る方も存外、楽しかったりするのだと。ラウル、あなたはそちらなのですか?」
「あのくそバカ野郎」
「言葉が悪いですよ、ラウル。どうしたんですか、あなたらしくもない」
「……反抗期です」
ラウルは口を尖らせた。
どうやら服をひん剥かれることはなさそうだが。これは言葉で責められているのではないだろうか。
「精霊にも反抗期があるんですね。そういえば、あなた方の故郷のシンハ島にいた頃は、シャールーズに突っかかっていたそうですね。二度目の反抗期ですか?」
「……大公配殿下に殺意が湧きますね」
物騒なことを言ったのに、なぜかアフタルは「ふふっ」と微笑んだ。
「仲がいいのですね」
「よくないです。彼は私を疎ましいと思っていますし、私は彼を嫌っています」
懸命に主張するのに、アフタルはなおも柔和に目を細めている。
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