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九章

1、後悔しかない

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 王宮に戻ったシャールーズは、アフタルの部屋に入った。
 すでに辺りは宵闇に包まれている。
 開かれた窓から仄かに香るのは、ジャスミンだ。

「……くそっ」

 シャールーズは拳で壁を叩きつけた。何度も何度も。
 ティルダードを救うためだと、それがアフタルの願いなのだと自分に言い聞かせても。彼女を泣かせた事実に、心が折れそうになる。

 ボタンを引きちぎり、乱暴に自分の胸元をはだける。
 窓に映る浅黒い肌。その胸の辺りに、いっそう濃くなった痣が残っている。
 シャールーズは、窓に手を触れた。だが、そこにアフタルがいるはずもない。

「突き放しておいて、寂しがるなんて。馬鹿か、俺は」

 コンコン、とノックの音が聞こえた。

「夕食の準備が整いました」
「いらない」

 そう返事をしたが、侍女はドアの向こうで何かを口ごもっているようだ。

「あの、殿下とエラさまが、是非にとお招きですので」
「護衛なんだから、エラの後ろに立ってりゃいいんじゃねぇのか?」
「いえ、お客さまとして、もてなしたいと仰っていました。お召し替えもお願いいたします」

 開いた扉から、侍女は遠慮がちに真新しい服をさしだした。
 黒地に金糸の刺繍が施された上着。白いシャツに、同色のクラバット。クラバットを留めているのは琥珀だ。

「派手すぎねぇか?」

 それにしても高そうな生地に刺繍だ。たかが護衛の衣装に、ここまで金をかけるのか? サラーマ王家は財政難で。エラはアフタルを商家に嫁がせようとしていたというのに。

「いや、反対だな。こんなことをしているから、金がなくなるんだ」

 落ち込んでいてもしょうがない。シャールーズは気持ちを切り替えるために、自分の頬をぱしんと叩いた。

 王宮の食堂では、すでにエラとティルダードがテーブルについていた。
 エラの背後には、アズレットが立っている。

(居心地悪いな)

 皿と、水の入ったグラスの置いてあるテーブルに着くと、給仕が鍋からスープをよそってくれた。
 魚のスープらしく、香辛料のきついにおいの向こうに、生臭さを感じる。

「あら、シャルちゃん。お口に合わないかしら」
「食事は自分の決めた物しか、口にしない」
「それって宗教上の理由なの?」
「そういうことだ。だから、俺のことは気にせず進めてくれ」

 エラとシャールーズの話を黙って聞いていたティルダードが「ふふっ」と意味深な笑みを浮かべた。

(こいつは俺やラウルが精霊ってことを知ってるからな。しかもそれを切り札と思っている)

 以前の清らかなティルダードとは違う。今の彼は、姉たちに対する不信から、何をしでかすか分からない。

「ねぇ、伯母さま。シャールーズにとっておきのワインをあげたらどうかな?」

 にこりとティルダードは笑みを浮かべた。

「食べたくないときでも、ワインならきっと飲めるよ」
「あら」

 驚いたように、エラが目を丸くする。

「でもねぇ、ティルダード。私は賛成できないわ」
「なんで? いまさら、そんなことを言うの? 伯母さま」

 スプーンをテーブルに置き、ティルダードは首を傾げる。

「あのワインは、滋養があって元気になれるって、伯母さまが言ってたじゃない。秘蔵のワインだけど、まだ残ってるでしょ?」
「子どもが、お酒の話なんてするものではないわ」
「それとも嫌なの? まさか情が湧いちゃったんじゃないよね?」

 エラは息を呑んだ。広い食堂には、給仕のための侍女も多いのに。まるで誰もいないかのように静まり返っている。

「身内なんて、すぐに切り捨てる伯母さまらしくもないよね」
「……ティル」
「ねぇ、ワインを持ってきて。この護衛についであげてよ」

 ティルダードは陽気に命じると、手をぱんっと叩いた。視線を泳がせるエラなど無視して。
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