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八章

12、たくましくなりました

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 闘技場の中は、熱気に満ちていた。
 飛び交うヤジに耳が痛い。賭けに負けた人が捨てたのだろう。通路の端には風に吹かれた紙片が、盛り上がっていた。

「以前よりも、すさんでますよね」
「そうですね。私が殿下と訪れた時よりも、ひどい状態です」

 ヤケ酒をあおったのか、壁にもたれて眠りこけている男の姿もある。
 剣闘士の控えのに向かうと、カイはすぐに見つかった。
 カシアの辺境であるオスティアから、剣奴けんどとして連れてこられた兵士達。女神への信仰を捨てぬが故に、奴隷として利用されている。

(彼らを売買しているのも、エラ伯母さまの指示なのですね)

 カイに任せておけば、きっと剣闘士たちも大丈夫だろう。こんな苦しい状況から、逃げ出すはずだ。
 けれど、その考えは甘かった。

「戻ろう、国へ。こんな所で見世物になって殺されて。そんなのおかしすぎるだろ」

 カイが、カシア語で剣闘士達に訴えている。だが熱意ある彼の言葉を、まともに聞こうとする仲間はいない。

「……別にいい。ここなら、女神フォルトゥーナを崇めても、誰も文句を言わない。カシアのように、女神を信ずるだけで弾圧されることもない」

 体中に傷痕の残る剣闘士は、倦んだ目で女神像を見上げた。重そうな鎖帷子くさりかたびらが、じゃらっと音を立てる。

「どうせどこへ行っても、自由なんかない。このサラーマでは異国の奴隷、母国のカシアでは異端。体の自由を封じられるか、心の自由を封じられるか。その、どちらかだ」
「そうだ。なら、せめて信仰だけでも邪魔されない、この場所にいたい」

 彼らの言葉をかろうじて聞き取ることができたアフタルは、胸の前で拳を握りしめた。

「心も体も、縛られてほしくないんです」

 剣闘士に向かって、アフタルは話しかける。カシア語は聞き取れるけれど、うまくしゃべることが出来ない。

「ここにいても、未来はありません」
「どこにも未来なんかない」

 剣闘士達がアフタルを見る目は冷たい。

(やはりわたくしが、世間知らずの王女だからでしょうか。彼らが剣闘士よりもカシアに戻る方を、いとうているなんて。考えもしませんでした)

 剣奴けんどから解放すれば、手を貸してもらえると。疑うこともなく思い込んでいた。彼らの事情も考えぬままに。
 アフタルは、うずくまる剣闘士達の前に進んだ。

「それでも、ここにいてはいけないんです。仲間同士、あるいは獣と闘う毎日が、日常であっていいはずがありません」

 杭に縛られ、あのアリーナの真ん中で豹に襲われそうになった時のことを思うと、今でも足が震える。
 あの時、シャールーズに助けられなければ、この命はとうに失われていた。
 膝を折って、汚れた石の床にしゃがみ、剣闘士の手を握る。

「あなた達の力を見世物などに、使わないでください。お願いです。わたくしに力を貸していただきたいのです」
「……嬢ちゃん。どこかで?」

 アフタルに手を握られた剣闘士が、まじまじと顔を覗きこんでくる。

「いや、どこかじゃない。この闘技場だ。無駄に色気をふりまく兄ちゃんと逃げのびた嬢ちゃんだ」

 それまでだるそうに俯いていた剣闘士達が、次々に顔を上げる。
 どんよりと曇っていた彼らの瞳に、光が宿る。
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