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五章

2、あなたがいない

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「申し訳ありません。私も浅瀬とはいえ湖に落ちたものですから。乾いた服がないのです」

 少々お待ちを、と告げると、ラウルは地面に落ちた小枝を集めた。

 指を揃えて、てのひらを上に向ける。
 ぽうっ、と小さな炎がともった。その火を、するりとすべらせて落とす。
 すぐに焚き火が燃えだした。

「これで服と体を乾かしましょう。煙を見て、ヤフダ達が来てくれると思いますし」
「ラウル。金属製の桶のようなものがないでしょうか。それを逆さにして空気を入れれば、深くまで潜ることが出来ます」
「湖畔にそのようなものはなさそうですね」
「では、葦はどうでしょう。葦の茎は、たしか中空のはずです。先端を水面に出して、反対側を口にくわえれば、水中でも息ができます」

 アフタルは周囲に視線を巡らせた。だが葦のような丈の高い植物は見当たらない。

「よい考えだと思います」
「それなら……」
「ですが、ここには実行する者がおりません。私は姫さまのお側を離れるわけには参りません。もし姫さまに何かあれば、殿下がお悲しみになります」
「今はティルダードは関係ないです」
「いいえ。私にとっては、殿下のお心の安寧が一番です」

 アフタルはため息をつくと立ち上がった。
 ようやく二本の足で自分自身を支えることができる。そして震える手でドレスのボタンを外しはじめる。

「アフタルさま?」
「今のわたくしにとって、身を包むドレスは邪魔でしかありません。裸ならば、身軽に潜ることができるでしょう」

 日常着のドレスとはいえ、やはり水を含めば重く、動きが封じられる。
 肩をはだけ、体に張りつく濡れたドレスを地面に落とす。

 下着姿になったとき、背後からラウルに抱きしめられた。
 アフタルの肌が露出した肩に、彼の服が掛けられている。

「おやめください……どうか」
「やめません。だって彼を救いに行ってくれる人はいないんですもの」

 こうしている間にも、時間はどんどん経っていく。

 アフタルも王女なのだから、分かっている。
 傷ついた護衛が行方不明だからと、王女を残して捜しに行く者などいるはずがないことは。
 それでも、諦めたくはない。

「離しなさい」
「いいえ、できません」
「もしこれがティルダードの命令であっても、あなたは聞かないのですか?」
「はい。我らは主の望みよりも、主の安全を優先させます」
「……嫌いです。主従の契約なんて」

 アフタルは呟いた。

「シャールーズと契約なんて、するのではありませんでした」

 大事な人を守りたいというその気持ちすら、主であることで否定されてしまうのだから。

「本当に、いやなんです」
「分かっております。ですが、ここで姫さまを湖に入らせるようなことをすれば、シャールーズは私を許さないでしょう。そして姫さまのことも」

 ぱちぱちと焚き火がはぜ、夕暮れの空に赤い火の粉が舞いあがる。

「闘技場での誓いを覚えていらっしゃいますか」

 忘れられるはずがない。鮮烈な記憶だ。

「我らは創造主である天の女主人に誓いを立てたのです。我が石が砕け、光が失せるその日まで、つねに主を優先させると。きついことを申すようですが、シャールーズの石が砕け、光が消え失せても、それは彼の本望なのです」
「ええ、きついです」
「申し訳ございません。ですが、我らにとって精霊としての人生を捧げるお方に出会えたことは、何にも勝る喜びなのです」
「大嫌いです……自己犠牲の好きな精霊なんて」

 ぽろぽろと涙が溢れて止まらない。

 けれどアフタルは唇を噛みしめて、決して声は上げなかった。
 声を出して泣いたなら、シャールーズと二度と会えないのだと認めてしまうから。
 ただ今は、離れているだけなのだと……少しだけ不在なのだと……そう思わなければ前を向けない。

 溢れる涙は止まることなく、頬を伝い、草の葉に落ちていく。

 アフタルのつまさきに、カツンと当たるものがあった。
 見下ろすと、それは水晶の柄を持つ短剣だった。
 別れてしまった双子神ディオスクリの剣。
 それを拾い上げ、ぎゅっと握りしめる。

 もう一本はシャールーズが持っていると信じて。
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