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五章

7、湖畔を散歩【1】※文子視点

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 わたしはそうっと琥太郎さんの背中に、手を伸ばした。
 未だにどきどきして駄目なのよ。
 こう、雰囲気よく恋人みたいに、艶っぽくっていうのができないの。

 わたしがまだ大人じゃないから? それともこれが初恋だから?
 たおやかに琥太郎さんの背に触れればいいのに。わたしったら指先に力が入ってしまって。ぎゅって掴んでしまったの。

「痛いで、文子さん」
「ご、ごめんなさい」
「うーん。まぁ、そういうところが文子さんらしくて、ええんやけど」

 にっこりと微笑んだと思うと、今度は少ししゃがみこんでお顔を寄せてきたのよ。
 わたしは驚いて、きつく瞼を閉じ。そうしたら、彼の指がわたしの前髪にそっと触れた。

「なんか、ふわふわの草の種みたいなんがついとう」
「え、そうなんですか?」

 いやだ。恥ずかしい。キスされるのかと思っちゃった。
 照れ隠しに、へらっと笑ってごまかしたその時。琥太郎さんの唇が重ねられたの。

「ん? んんーっ?」
「はいはい。暴れんようにな」
 
 不意打ちのキス。わたしは面食らってしまって、艶っぽくとか、おしとやかにくちづけされることが頭から飛んでしまった。

 再び、湖面を撫でる風のように、琥太郎さんが優しく唇を重ねてくる。

 あ、だめ。くらくらするわ。
 ただ触れるだけのくちづけなのに、膝の力が抜けてしまって。わたしは砂の上にへたり込んでしまった。

 膝にふれる小さな砂の粒。恐る恐る見上げると、琥太郎さんは困ったように眉を下げて、でも微笑んでいた。

「立てる?」
「……無理です」
「初々しいなぁ、文子さんは」

「しゃあないな」と仰いながら、琥太郎さんはわたしの体を軽く持ち上げた。
 ふわりとスカートが風をはらんで、裾がひらめく。
 めくれちゃうんじゃないかしら、と慌てたけれど。琥太郎さんに「ちゃんと肩に手ぇ置いとかんと、落ちるで」とたしなめられたの。

 いや、びっくりするわよね。 

 残念ながら西洋のお姫さまにするような抱っこじゃなくて、背中を立てた状態の子どもにするような抱っこ。

「ほら、見てみ。ささら波やで」

 風が弱いから、湖面は微かなさざなみが立ち、岸辺に寄せている。
 さらさらと波に洗われるたびに、小さな白い砂は微かに揺れて、そして澄んで煌めくの。

「水、冷たそうですね」
「ほんまやな。きれいな水やけど、真夏でも泳ぐんは無理かもしれへんな」
「冬場は氷が張るのかしら。ここで冬を越すのは、厳しそう」
「せやなぁ。きっと家の中に閉じこもって、窓から降る雪を眺めるかもしれへんなぁ。せやけど、暖炉が温かいやろし。それもまたええかもしれへんで」

 ふと、二人の間に沈黙が流れた。
 琥太郎さんは、何かを待っているみたいにわたしの顔を見つめている。
 抱っこされたままだから、顔が近くて。それに、何かを言いたそうにしているのに、言葉にしないから。

 えっと、わたしはどうしたらいいの?
 波が砂を洗う、かそけき音だけが聞こえて。わたしのパシュミナの肩掛けも風を丁寧に拾ってひらめいて。
 でも、琥太郎さんは何も仰らないから。

 えいっ。って勇気を出して、琥太郎さんに唇を重ねた。重ねてみたのよ。
 これが正解かも、と思って。
 あ、しまった。艶っぽくもおしとやかでもなくて、出会いがしらの衝突みたいなキスになっちゃった。

「痛いなぁ」
「す、済みません」

「痛いけど、嬉しいな」と琥太郎さんが柔らかく微笑んだ。

「そうなんですか?」
「せやで。文子さんからキスしてくれるのなんか、特別やん」

 嬉しそうに目を細めた琥太郎さんは、今度はわたしの頬にくちづけたの。
 特別なキス。
 わたしにとっても、ですよ。

 闇に目が慣れて、聳え立つような三角覘標もよく見える。その尖った先端に、赤い星が輝いていて。
 小さな火がともっているように思えたの。
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