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五章

6、肩掛け【3】※琥太郎視点

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 普段は、短歌を詠む時は紙にしたためることの方が多いのに。
 今夜は、つい口をついて出てしもた。

 文子さんは、私が詠んだ歌の意味をなぜかとっさに悟るし。

「その……琥太郎さんはわたしの肩を包む布になりたいと。そう仰ってくださったのでしょう?」

「う……うん」と、珍しく私は口ごもった。
 うわ、どないしよ。恥ずかしっ。

 そら、伝わった方がええで。本心は。
 けど、今のは事故や。ついぽろっと洩れただけや。
 そんな風に、私の心の優しい部分を……自分でも気恥ずかしいほどに柔らかい部分に気づかれたら。

「……あかん」

 思わず両手で顔を覆った。
 どないしよ、てのひらに顔の熱さが伝わってくる。

 こんなん、かっこええ琥太郎兄ちゃんと違う。琥太郎兄ちゃんはもっと理性的で論理的で、恋をしても飄々としてるはずやのに。

 文子さんはなんなん? 魔法使いなん? これまで私を混乱させる相手は欧之丞くらいしかおらんかったのに。
 文子さんは欧之丞みたいに横暴とちゃうのに。ちょっと口ずさんだ和歌の真意を汲み取られただけやのに。

「……ほんまにあかん」
「え? 大丈夫ですか。もうお部屋に戻って休まれた方が」

 もし、文子さんがおらんかったら。私は地面にしゃがみこんどったやろ。
 三條組の若頭とも思われへん行為やろけど。ほんまに、そうしたいくらい恥ずかしかったんや。

 ふと、ひたいにひんやりとした感触を覚えた。
 指の間から覗き見ると、文子さんが背伸びをして私のひたいに手を触れている。

「大変っ。お熱があるみたいですよ」
「うん。あるかもしれへん」
「じゃあ、早くお部屋に帰らないと」

 ちゃう。ちゃうねん。
 確かに熱いけど、この熱はそっちの熱とちゃうんや。

「もっと涼しいとこに行ったら、治るかもしれへん」
「え。すでに寒いほどですけど。風邪じゃないんですか?」

「違うと思う」と私はうなずいて、文子さんの手を握りしめた。そして楊柳の葉が夜風にさらさらと鳴る並木道を、ずんずんと歩いていく。

 聞こえてくるのは、涼やかな波の音。
 辺りの森が闇に沈んどうから、すっくと立つ測量用の三角覘標てんぴょうが、月明りに照らされて、まるで木製の遺跡のように見える。

「きれいですねぇ」

 文子さんは車道から小路へ進み、湖へ向かって小走りに駆けていく。
 もちろん私の手を繋いだままや。

 なんか、子どもの頃みたいや。欧之丞に手を引かれて、走ってたあの頃。あいつは「見て見て、こたにい。あれ、なにかな」と私の手を握って駆けだすことが多かった。

 私は興味があるもんは多いけど、行動にはなかなか移さへん子どもやったし。文子さんも欧之丞に似たとこがあるんやな、と思うと微笑ましい。

 足下の感触が変わるのが分かった。土から砂へ。そしてシリカが主成分の煌めく白い砂へと移っていく。
 ああ、そうか。
 波音が静かで涼しく聞こえるんは、水晶の粒を静かに洗ってるからか。

 湖面を渡ってきた夜風が、文子さんの肩掛けをひらめかせた。
 薄くて軽い布やから、今にも風に攫われそうや。

 私はパシュミナごと、文子さんを抱きしめた。
 でないと、飛んで行ってしまいそうやったから。

「あ、あの。琥太郎さん」
「んー? 文子さんがひゅーって風に乗って飛んで行ったら、困るからな」

 私の腕の中で、文子さんは体を固くして緊張しとう。
 ほんまに、いつになったらちゃんと懐いてくれるんやろ。遠慮せんと抱きついたりしてくれるんやろ。
 
 けど、こんな風なぎこちない関係も……ちょっとずつ歩み寄っていく距離感も嫌いやない。
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