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四章

31、海洋測候所【3】

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「交換手って憧れるわよね」

 わたくしに寄り添って文子さんが、囁きます。

 ええ、そうなの。詳しくはないんですけれど、職業婦人ってすごいと思います。

 わたしと文子さんは、旦那さまと邪魔をしているようにしか見えない琥太郎さんに電話を任せて、ソファーに座りました。

 あら? 違います。
 邪魔をしているように見えていた琥太郎さんですけれど。旦那さまが海洋測候所の方と話す内容を、手際よく書き留めています。

 天気や気温だけではなく。その日は颱風が接近して、とくに蒸し暑かったけれど、見事な夕焼けが見えたとか、です。

 さらさらと万年筆を走らせて、一言一句書き洩らさないという集中力が感じられます。

 不思議な方ですね。人を煙に巻いたり茶化したり、わたくしにとっては正直苦手な方なんですけど。
 でも、根っこの真面目な部分がところどころで見え隠れしているんです。

 きっと琥太郎さんは人懐っこくて、でも人見知りをする方なんでしょうね。
 彼が心を許す人は、ごく少数で。それ以外には、あんな素の姿を見せないんだと思います。

「ねぇ、文子さん」

 隣に座る文子さんに声をかけたんですけれど。文子さんは、琥太郎さんをじっと見つめていらっしゃいました。
 ええ、わたくしの声など聞こえていないご様子。

 ふふっ。そうですよね。
 文子さんは琥太郎さんに夢中なんですね。

 わたくしは縞銘仙の袂で、口を隠して微笑みました。
 
 いつもしっかりなさっていて、頼りがいがあって。もしご両親がお許しになれば、女学校を卒業した暁には職業婦人にでもなりそうな文子さん。
 琥太郎さんは、文子さんの凛とした姿に惹かれたのかしら。それとも芯の強さに惹かれたのかしら。

「どうしたの? 翠子さん」
「いえ、なんでもありませんよ」
「うそ。笑っていたわ」

 隣に腰を下ろすわたくしに、文子さんがとんっと肩をぶつけます。

「微笑んでいただけですよ」

 わたくしも、お返しに肩をぶつけました。文子さんの切り揃えた髪が、さらりと揺れます。
 でもね、すぐにやめたの。だって二人とも肩が痛くなってしまったんですもの。

「文子さんは、琥太郎さんに嫁ぐと決めたのでしょう?」

 わたくしの質問に、文子さんは顔を真っ赤にしました。
 そして戸惑いがちに「ええ」とうなずいたの。

「琥太郎さんのお家ってヤクザだから。ほら、極道の妻って……なんていうか、わたしには向いていないと思ったんだけど」

 揃えた膝の上に置いた手を、文子さんはもじもじと動かします。

 うーん? わたくしは顎に指を当てて、少し首を傾げました。
 琥太郎さんは若頭ですから、お父さまが三條組の組長ですよね。
 そしてその奥さまが、いわゆる極道の妻になるわけですけど。

 旦那さまから伺う限り、怖そうな雰囲気は微塵もありませんよ。むしろ、とてもおっとりとなさっているような。
 幼い頃、よく可愛がってもらったと話を聞いたことがあります。
 琥太郎さんとお母さまと三人で、よくお散歩に行っていたらしいですもの。

 日傘のレースから透ける光が、地面に落ちる柔らかな影の中でちらちらと揺れて。
 それを追いかけるように、琥太郎さんと手をつないで歩いていたそうですもの。

 琥太郎さんも、文子さんに威厳のある極道の妻なんて求めていらっしゃらないと思うわ。

「きっと大丈夫よ」
「え?」

 顔を上げた文子さんは、明るい表情を浮かべていました。

「うん、大丈夫なの」
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