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三章

5、心配をかけてしまった ※前半、文子視点

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 上手に縫い上がった簡単小児服を眺めながら、翠子さんが小さく咳をした。
 そうね、別荘はホテルより寒いんだわ。

「夏でも夜は暖炉に火を入れた方がいいくらいね」
「えっ」
「ほら、外なら焚き火?」

 わたしは窓の外に見える、焚き火の為の石組みに目を向けた。すると、なぜか突然翠子さんの顔が赤くなったの。

「ちょ、ちょっと大丈夫? 顔、真っ赤よ。熱があるんじゃない?」
「文子さん。声が大きいわ」
「でも、先生に知らせた方が」

 立ち上がろうとしたわたしの腕を、翠子さんが引っ張った。
 顔だけじゃなくて耳まで赤くて、どう考えても高熱がありそうなのに。意外にもその手は熱くはなかった。

「ちゃんと服を着ていなかったから」
「服? 寝間着じゃなくて?」

 わたしの質問が、翠子さんの何かに触れてしまったらしい。両手で顔を隠して、そのまま床に座り込んでしまった。
 エリスが心配そうに、翠子さんの膝に小さな前脚を乗せて「にゃーお」と鳴いている。

 えーと、あの。そのもしかして。翠子さんも?

「文子さんは大丈夫だった? その、琥太郎さんと二人で。何もなかった……いえ、何もされなかったの?」
「大丈夫じゃ……なかった」

 わたしは、ぽつりと零した。
 
「大丈夫じゃなかったけど。とても優しくしてくれたわ」
「そう。よかった」

 なおも真っ赤な顔をしながら、翠子さんは微笑んだ。エリスを抱き上げて、その柔らかな金色に見える被毛に顔を埋めている。
 エリスの方も、ぎゅううっと抱かれているのに翠子さんの頬に顔をすり寄せて。互いに信頼しているのがよく分かる。

 ああ、だから琥太郎さんはエリスを翠子さんに預けたのね。
 翠子さんは、ずっとわたしの心配をしてくれていたんだわ。わたしは、自分のことでいっぱいいっぱいだったのに。

 翠子さんは、高瀬先生の家に訳も分からない内に入って。それを誰にも相談できずに、ずっと抱えていた。
 わたしも、薄々は二人の距離が近づいていることに気づいていたけれど。
 でも、それは学校だけのこと。

 だって、あの高瀬先生よ。翠子さんに何をしているのか、何をしてきたのか分かったものじゃないわ。
 だけど、翠子さんは初恋の人が高瀬先生だったって言うし。一介の女学生でしかないわたしには、どうすることもできないし気づかぬふりをするしかなかったの。

 翠子さんは大人だわ。いえ、大人にならざるを得なかったのね。

「ありがとう、翠子さん」
「……うん」

 大人なはずの彼女は、今度はエリスを抱き上げて、そのしなやかなお腹に顔を埋めている。多分だけど、吸っている。
 エリス、あなた辛抱強いわね。

◇◇◇

 俺は隣の部屋から聞こえる声に、耳を傾けていた。

 きゃあきゃあと楽しげに話していた翠子さんと深山さんだが、いつしは声を潜めるように話し。そして何も聞こえなくなった。

 どうしたんだ? 思わず椅子から立ち上がろうとした俺の腕を、琥太兄が掴む。

「そっとしといたり」
「だが、翠子さんのことが心配だ。昨夜は無茶をさせたから」
「ははーん。昨夜だけか?」
「うっ」

 痛いところを突かれて、俺は言葉を失った。
 琥太兄は、お清が出してくれたリキュールボンボンを、口に放り込んだ。そして俺にも「ほら」と勧めてくる。

 仕方がないから、再び椅子に座りリキュールボンボンの金色の包み紙を開く。
 
 本当はすぐにでも翠子さんのところにいって、熱を出していないか、風邪を引いていないか確かめたい。
 お前が言うな、と叱られそうではあるが。

 口に放り込んだボンボンは、糖衣がほろりと儚く砕けて、とろりとした甘い酒が口中に広がった。
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