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一章

18、朝風呂【2】

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 わたくしはお風呂に浸かって、旦那さまの顔を覗きこみました。
 この方は、時々少年に戻られるんです。
 ええ、いつもはしっかりとなさった大人ですのにね。

 そんな風に考えていると、急に大きな手で目を塞がれました。
 濡れた手なので、瞼を開くと湯が目に入ってしまいそうです。

「妙なことを考えているだろ」
「考えてませんよ」
「俺のことを『馬鹿だなぁ』とか思った?」
「いえいえ。『可愛らしいですね』と思っただけですよ」

 ふいに目から手が離されました。旦那さまは何やら難しそうな表情をなさっておいでです。

「俺にとって、可愛いはもっとも縁遠い言葉だが」
「あら、そんなことありませんよ。わたくしは常々、可愛いと思っておりますもの」
「俺のことを? 翠子さんのことじゃなくて?」
「わたくしのことなんて、どうでもいいのです」
「どうでもよくない!」

 いきなり腕を引っ張られて、湯に派手な波が立ちました。そのまま旦那さまの胸にぴったりとくっついた状態で、腕の中に閉じ込められます。

「いや、その。大声を上げて悪かった。だが、その……」

 わたくしを抱きしめる腕の力が、いっそう強くなりました。

「俺にとって翠子さんは最優先で、最重要事項なんだ。だから、どうでもいいと言ってほしくない」

 困った旦那さまですね。わたくしのことよりも、大事なことなんてほかにいくらでもあるでしょうに。
 わたくしは湯から手を出して、旦那さまの腕をとんとんと軽く叩きます。
 
 なのに、突然顔に湯がかけられました。いえ、正確には湯がとんできました。

「な、何をなさるんですか」
「翠子さんが納得していないからだ」

 見れば、旦那さまの両手が水鉄砲の形に組まれています。
 もう、子どもみたいなことをなさって。
 わたくしは旦那さまの手の形を真似て、水鉄砲を飛ばします。

 ええ、ちゃんと狙いを定めたんですよ。旦那さまのお顔に。
 なのに、指の間から放たれた湯は、わたくしの顔を直撃しました。

「翠子さんは方向音痴だな」
「お風呂の中で方向音痴は関係ありませんよ」
「ほら、こうして親指の方向から水が出るんだが。翠子さんは親指が自分の方を向いているだろ」

 言われてみれば確かにそうです。
 わたくしは何度も練習してみました。最初は、へにょっという感じにしか湯が飛ばなかったのですけれど。しだいに高さも飛距離も増していきます。
 ぐっと両手に力を込めると、湯は旦那さまのお顔に見事にかかりました。

「あー、それで正解」

 前髪から頬や顎まで濡らしながら、旦那さまが仰います。

「あの、怒らないのですか?」
「なんで? むしろ翠子さんに水をかけてもらえるなんて、光栄だろ。まぁ、この場合は湯だが」

 ちょっと引きました。
 ええ、わたくしは想像したのです。床に力なく座り込む旦那さまの頭上でグラスを傾けて、水をかける自分の姿を。そして、それを光栄と仰る旦那さまの姿を。

 変態です。
 銀司さんが、旦那さまはサディストなのかマゾヒストなのか分からないと言っていましたけど。今はまぎれもなくマゾヒストの方です。ええ、絶対に。

「もう水鉄砲はおしまいです」
「うーん。もっと水をかけてくれてもいいんだが」
「いやー。やっぱり変態です」
「あなたも、そこそこ失礼だよな」

「ほら、こっちへ来なさい」と、わたくしは湯舟の中で旦那さまの膝に座る格好になりました。
 
 攻撃しても旦那さまには痛手を与えられませんし。むしろ、もっとしてほしいなんて言われてしまいますし。ほとほと困りました。
 わたくしは結局、旦那さまの膝にちょこんと座るしかありませんでした。
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