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五章
9、眠れない夜【3】
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ぼくと欧之丞は、そーっと静かに部屋を抜け出した。
ふふん。父さんも母さんもよく寝てるから、気づかれてへん。
欧之丞は、何度も振り返っては襖の陰から、父さんらの方を見てる。
もーう、心配性やなぁ。平気やって。二人ともぐっすりやもん。
「こたにい。おじさんとおばさんがおきる前に、かえってこられる?」
「平気やで。外に出る訳やないから」
ぼくはちゃんと知ってんねん。今は颱風が去ってしもたわけやのうて、ぽっかりと空いた穴みたいなところに、この街が入ってしもたってことを。
颱風の真ん中はそういう「目」があるらしい。新聞にのってたんを、母さんが読んで聞かせてくれてん。
真ん中やって、すごいなぁ。ぼくら今、街ごとすごいとこに入ってるんやなぁ。
廊下に出て、ぼくは立ち止まった。厠に行く時に足下を照らすために、廊下には行灯が置いてある。
ゆらゆらとゆらめく橙色の光が、黒々とした床や天井をほのかに照らしている。
「父さんの書斎にしよか。あそこやったら、小さい窓があるから」
「しょさい?」
小首をかしげる欧之丞は、いつの間にかぼくの手をにぎっとった。
もー、怖いなら怖いって言うたらええのに。
けど、ぼくは気付かへんふりをして、そのまま手を握ってあげる。こういうの気遣いっていうねん。
「だいじょうぶだからな。俺がいるから」
きゅっと握った手に力を込める欧之丞。
ん? どういうこと?
ぼくは立ち止まって、仄暗い廊下で欧之丞の顔をじーっと見つめた。
「おばけもいないし、家の中だから、また風がふいてもだいじょうぶ。こたにいが泣いても、ちゃんと俺がへやまでつれてかえってあげるから」
「う、うん」
「だから、こわくても『きゃー』って言うのナシだぞ。おじさんとおばさんがおきちゃうからな」
「分かった」
あまりにも真面目に訴えかけてくる欧之丞に、それ以上何が言えるやろ。
足音を忍ばせて歩いているのに、風がやんでいるせいか、廊下の床の軋む音がやたらと大きく鳴るように思えた。
なんとか父さんの書斎に入り込み、二人でそーっと襖を閉める。
灯りの点ってない部屋は、真っ暗で。むっとした畳と湿った本のにおいに満ちていた。
微かに匂う墨汁と、飾ってある花の香りもする。そうか、今日は窓を閉めたままで風を通してへんかったから、こもった匂いがするんや。
さっきはあんなに力強い言葉をかけてきた欧之丞が、両手でぼくの手を握りしめる。
その指先が、かすかに震えてる気がした。
「ちょっと目を閉じたらええねん。そしたらすぐに闇に目が慣れるから」
「こう?」
「こう?」と言われても。そもそも欧之丞が目を開けてるのか閉じてるのかも見えへんねんけど。
でも二人して身動きもせずに、瞼を閉じた。
「まだ?」
「もうええかな。歩くから、ゆっくりついてき」
普段はきれいに整頓されとう部屋やけど、父さんが適当に本を畳の上に積んでないとも限らへん。
ぼくは壁に手をついた。確か「じゅらくへき」とかいう土壁で、ざらりとした感触がてのひらに伝わってくる。
庭に面した大きな窓は、雨戸が閉められてるけど。床の辺りに襖のついた物入れがあって、その上に花が飾られてて、小さい窓もある。
その窓には雨戸はない。
ぼくと欧之丞は、つるんとした手触りの花瓶をそーっと床に降ろした。
はらりと一枚、二枚と花びらが畳に舞い落ちる。
「ほら、ここに座って。ああ、ちゃうって、椅子みたいにするんやのうて。窓に背中を向けたら、外が見られへんやろ」
「あ、そうか」
小さい押し入れみたいな上に二人で膝を揃えて、正座する。
鍵をくるくるとまわして窓を開く。湿った空気が部屋に流れ込んできたけど、雨も風もやんでいた。
窓から顔を出して、空を見上げる。
さっきまで嵐やったと思われへんほど、空は晴れとった。
月が小さく煌々と照っていて、星も輝いてる。
「ほら、あれが『りとるびーあ』星をつなげたらこぐまになるんやで。それで、尻尾の部分の星が『ぽらりす』北極星やな。それで、あのかくかくした山が二つあるんが『かっせおぺあ』」
「ぜんぜんわかんない」
「せやな。慣れるまで形で見えへんよな」
それは不思議な光景やった。星なんか見慣れてるはずやのに、海の果てにまでかかる天の川もよう見てるのに。
父さんと母さんに内緒で、颱風の雨が止んでるほんのちょっとのすきまから覗く星空は、まるで誰かが眠れないぼくらに贈り物をしてくれたかのように、きらきらと輝いてた。
隣を見ると、欧之丞は口をぽかんと開けたまま、星を眺めてる。
星座とか星の名前が分からんでも、きれいなもんはきれいやもんな。
「なぁ、こたにい」
「ん?」
「これ、俺たちのないしょな。ぼうけんだから」
星明かりに照らされた欧之丞は、目を細めてすっごい嬉しそうに笑ってた。
ふふん。父さんも母さんもよく寝てるから、気づかれてへん。
欧之丞は、何度も振り返っては襖の陰から、父さんらの方を見てる。
もーう、心配性やなぁ。平気やって。二人ともぐっすりやもん。
「こたにい。おじさんとおばさんがおきる前に、かえってこられる?」
「平気やで。外に出る訳やないから」
ぼくはちゃんと知ってんねん。今は颱風が去ってしもたわけやのうて、ぽっかりと空いた穴みたいなところに、この街が入ってしもたってことを。
颱風の真ん中はそういう「目」があるらしい。新聞にのってたんを、母さんが読んで聞かせてくれてん。
真ん中やって、すごいなぁ。ぼくら今、街ごとすごいとこに入ってるんやなぁ。
廊下に出て、ぼくは立ち止まった。厠に行く時に足下を照らすために、廊下には行灯が置いてある。
ゆらゆらとゆらめく橙色の光が、黒々とした床や天井をほのかに照らしている。
「父さんの書斎にしよか。あそこやったら、小さい窓があるから」
「しょさい?」
小首をかしげる欧之丞は、いつの間にかぼくの手をにぎっとった。
もー、怖いなら怖いって言うたらええのに。
けど、ぼくは気付かへんふりをして、そのまま手を握ってあげる。こういうの気遣いっていうねん。
「だいじょうぶだからな。俺がいるから」
きゅっと握った手に力を込める欧之丞。
ん? どういうこと?
ぼくは立ち止まって、仄暗い廊下で欧之丞の顔をじーっと見つめた。
「おばけもいないし、家の中だから、また風がふいてもだいじょうぶ。こたにいが泣いても、ちゃんと俺がへやまでつれてかえってあげるから」
「う、うん」
「だから、こわくても『きゃー』って言うのナシだぞ。おじさんとおばさんがおきちゃうからな」
「分かった」
あまりにも真面目に訴えかけてくる欧之丞に、それ以上何が言えるやろ。
足音を忍ばせて歩いているのに、風がやんでいるせいか、廊下の床の軋む音がやたらと大きく鳴るように思えた。
なんとか父さんの書斎に入り込み、二人でそーっと襖を閉める。
灯りの点ってない部屋は、真っ暗で。むっとした畳と湿った本のにおいに満ちていた。
微かに匂う墨汁と、飾ってある花の香りもする。そうか、今日は窓を閉めたままで風を通してへんかったから、こもった匂いがするんや。
さっきはあんなに力強い言葉をかけてきた欧之丞が、両手でぼくの手を握りしめる。
その指先が、かすかに震えてる気がした。
「ちょっと目を閉じたらええねん。そしたらすぐに闇に目が慣れるから」
「こう?」
「こう?」と言われても。そもそも欧之丞が目を開けてるのか閉じてるのかも見えへんねんけど。
でも二人して身動きもせずに、瞼を閉じた。
「まだ?」
「もうええかな。歩くから、ゆっくりついてき」
普段はきれいに整頓されとう部屋やけど、父さんが適当に本を畳の上に積んでないとも限らへん。
ぼくは壁に手をついた。確か「じゅらくへき」とかいう土壁で、ざらりとした感触がてのひらに伝わってくる。
庭に面した大きな窓は、雨戸が閉められてるけど。床の辺りに襖のついた物入れがあって、その上に花が飾られてて、小さい窓もある。
その窓には雨戸はない。
ぼくと欧之丞は、つるんとした手触りの花瓶をそーっと床に降ろした。
はらりと一枚、二枚と花びらが畳に舞い落ちる。
「ほら、ここに座って。ああ、ちゃうって、椅子みたいにするんやのうて。窓に背中を向けたら、外が見られへんやろ」
「あ、そうか」
小さい押し入れみたいな上に二人で膝を揃えて、正座する。
鍵をくるくるとまわして窓を開く。湿った空気が部屋に流れ込んできたけど、雨も風もやんでいた。
窓から顔を出して、空を見上げる。
さっきまで嵐やったと思われへんほど、空は晴れとった。
月が小さく煌々と照っていて、星も輝いてる。
「ほら、あれが『りとるびーあ』星をつなげたらこぐまになるんやで。それで、尻尾の部分の星が『ぽらりす』北極星やな。それで、あのかくかくした山が二つあるんが『かっせおぺあ』」
「ぜんぜんわかんない」
「せやな。慣れるまで形で見えへんよな」
それは不思議な光景やった。星なんか見慣れてるはずやのに、海の果てにまでかかる天の川もよう見てるのに。
父さんと母さんに内緒で、颱風の雨が止んでるほんのちょっとのすきまから覗く星空は、まるで誰かが眠れないぼくらに贈り物をしてくれたかのように、きらきらと輝いてた。
隣を見ると、欧之丞は口をぽかんと開けたまま、星を眺めてる。
星座とか星の名前が分からんでも、きれいなもんはきれいやもんな。
「なぁ、こたにい」
「ん?」
「これ、俺たちのないしょな。ぼうけんだから」
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