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三章
10、五歳の子ども
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欧之丞は、固練りペイントを塗ったみたいな、てらてらした烏瓜の実を眺めながら、道を歩いた。
橙色の卵型がぷらぷらと揺れて、なんか現実の物やないみたいや。
これまでも烏瓜の実は見たことがあったけど。近くでちゃんと見たことはない。
辺りはもうとっぷりと日が暮れて、木橋を渡るんも正直怖かった。
ぱしゃん、って橋の下から水音が聞こえるんは魚が跳ねたんやろか。それとも蛙?
魚やったらええな。
「欧之丞。手ぇつないだろ」
「うんっ」
ぼくの言葉に、欧之丞は青くさい匂いに染まった小さな手を差し出してきた。
足を滑らせたりしたら危ないもんな。
ぼくが、欧之丞をちゃんと守ったらなあかんねん。
「こたにい。足下がすべるからな。気をつけるんだぞ」
「へ?」
「俺の手をはなしたらだめだからな」
なに言うとん? まじまじと、ぼくよりも小さい欧之丞の顔を見つめる。
すると、父さんが肩を震わせとった。
「いや。さっきな、この橋を渡るときに俺が欧之丞に注意したんや。それを覚えとったんやな」
「うん。あぶないから」
欧之丞は元気よく、父さんに返事した。
なんや、びっくりした。ぼくよりも先に、欧之丞の方が大人になったかと思たやん。
「そういえば烏瓜で燈灯が作れるらしいで」
隣を歩く父さんは、烏瓜の実を三つほど手から提げとった。
中をくりぬいて蝋燭を点したら、明るい橙色に透けて。それはそれは綺麗やろ。
薄闇にぽうっと浮かび上がる、まぁるい澄んだ灯り。
まるでこの世やない何処かに導かれそうで。
「ひかりより ひかりへ続く 夏の宵 オレンヂの灯りに 導かれつつ」
突然、父さんが何事かを呟いた。
ぼくは立ち止まって、きょとんと父さんを見上げた。
え、なに? 今の。
普通の言葉のはずやのに、父さんの言葉とちゃう。
「あら、素敵に詠めましたね。蒼一郎さんはお上手ですものね」
ぼくは訳が分からんのに、母さんは父さんを褒めとうし。
波多野は「うんうん」と頷いている。
「たまには詠まんと、腕がさらに落ちてしまうからな」
「そんなことはありませんよ。蒼一郎さんの感性は繊細で、わたしはとても好きなんです」
「絲さんにそんなに褒められたら……照れるやんか」
本当に照れたように父さんは頭を掻いた。
もし、もっと明るかったら頬が染まっとんが見えたかもしれへん。
訳の分からないぼくを置いてきぼりにして、大人たちは楽しそうにしてる。
「こたにい? どうしたんだ」
欧之丞は、父さんが変なことを言うたんに気ぃつかんかったみたいや。
いや、ちがう。
変なことと違て、綺麗なことや。
父さんの口から出てくる言葉やない。それくらい繊細で綺麗な言葉の羅列やったんや。
「大丈夫なん? 父さん。お祓いとかした方がええんとちゃう?」
「なんでやねん。なんも憑いてへんわ」
父さんはしゃがみこむと、ぼくに顔を近づけた。
「あれは短歌っていうねん。古くは和歌ともいうな。下手くそな趣味や」
そう言うて照れ笑いするけど。下手くそとは思わんかった。
ぼくも、あんな綺麗な言葉を紡いでみたい。
なんか、一言一言が細い糸で編まれたレースみたいやもん。
ぼくは父さんや母さんのこと、よう知っとうと思とったけど。
ちゃうんやな。
ぼくの何倍も長いこと生きてるんやもん。
しんどいことも、つらいことも。楽しいこともうれしいことも。それから綺麗なことも、たくさん知っとんやんな。
自分がたった五歳の子どもやってことを、ようやく気づいたように思た。
橙色の卵型がぷらぷらと揺れて、なんか現実の物やないみたいや。
これまでも烏瓜の実は見たことがあったけど。近くでちゃんと見たことはない。
辺りはもうとっぷりと日が暮れて、木橋を渡るんも正直怖かった。
ぱしゃん、って橋の下から水音が聞こえるんは魚が跳ねたんやろか。それとも蛙?
魚やったらええな。
「欧之丞。手ぇつないだろ」
「うんっ」
ぼくの言葉に、欧之丞は青くさい匂いに染まった小さな手を差し出してきた。
足を滑らせたりしたら危ないもんな。
ぼくが、欧之丞をちゃんと守ったらなあかんねん。
「こたにい。足下がすべるからな。気をつけるんだぞ」
「へ?」
「俺の手をはなしたらだめだからな」
なに言うとん? まじまじと、ぼくよりも小さい欧之丞の顔を見つめる。
すると、父さんが肩を震わせとった。
「いや。さっきな、この橋を渡るときに俺が欧之丞に注意したんや。それを覚えとったんやな」
「うん。あぶないから」
欧之丞は元気よく、父さんに返事した。
なんや、びっくりした。ぼくよりも先に、欧之丞の方が大人になったかと思たやん。
「そういえば烏瓜で燈灯が作れるらしいで」
隣を歩く父さんは、烏瓜の実を三つほど手から提げとった。
中をくりぬいて蝋燭を点したら、明るい橙色に透けて。それはそれは綺麗やろ。
薄闇にぽうっと浮かび上がる、まぁるい澄んだ灯り。
まるでこの世やない何処かに導かれそうで。
「ひかりより ひかりへ続く 夏の宵 オレンヂの灯りに 導かれつつ」
突然、父さんが何事かを呟いた。
ぼくは立ち止まって、きょとんと父さんを見上げた。
え、なに? 今の。
普通の言葉のはずやのに、父さんの言葉とちゃう。
「あら、素敵に詠めましたね。蒼一郎さんはお上手ですものね」
ぼくは訳が分からんのに、母さんは父さんを褒めとうし。
波多野は「うんうん」と頷いている。
「たまには詠まんと、腕がさらに落ちてしまうからな」
「そんなことはありませんよ。蒼一郎さんの感性は繊細で、わたしはとても好きなんです」
「絲さんにそんなに褒められたら……照れるやんか」
本当に照れたように父さんは頭を掻いた。
もし、もっと明るかったら頬が染まっとんが見えたかもしれへん。
訳の分からないぼくを置いてきぼりにして、大人たちは楽しそうにしてる。
「こたにい? どうしたんだ」
欧之丞は、父さんが変なことを言うたんに気ぃつかんかったみたいや。
いや、ちがう。
変なことと違て、綺麗なことや。
父さんの口から出てくる言葉やない。それくらい繊細で綺麗な言葉の羅列やったんや。
「大丈夫なん? 父さん。お祓いとかした方がええんとちゃう?」
「なんでやねん。なんも憑いてへんわ」
父さんはしゃがみこむと、ぼくに顔を近づけた。
「あれは短歌っていうねん。古くは和歌ともいうな。下手くそな趣味や」
そう言うて照れ笑いするけど。下手くそとは思わんかった。
ぼくも、あんな綺麗な言葉を紡いでみたい。
なんか、一言一言が細い糸で編まれたレースみたいやもん。
ぼくは父さんや母さんのこと、よう知っとうと思とったけど。
ちゃうんやな。
ぼくの何倍も長いこと生きてるんやもん。
しんどいことも、つらいことも。楽しいこともうれしいことも。それから綺麗なことも、たくさん知っとんやんな。
自分がたった五歳の子どもやってことを、ようやく気づいたように思た。
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