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一章

6、あ、懐いてくれた【2】

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 やっぱり傷が痛いんか、欧之丞は苦しそうな息をしとった。
 けど、ぼくが客間に入っていくと。うっすらを目を開いて、微笑むんや。

 きゅん、とした。

 座卓に目を向けると、晩ご飯のお皿が空になっとった。

「えらいやん。全部、食べたんやな」
「うん。絲おばさんがたべさせてくれた。こどもっぽくて、はずかしいかな?」
「ううん。そんなことあらへんで」

 内緒やけど。ぼくもたまに甘えて、母さんに食べさせてもらうことがある。
「あらあら、琥太郎さんは甘えん坊ね」と言われつつ。でも、母さんに甘えるのは、すごい嬉しいねん。

「俺、けがしたときにたべさせてくれるのは、お清だから」
「うん。今日来た人やんな」
「ごはんって、かあさんとたべたことない」

 え? そうなん?
 ぼくは驚いたけど。声には出さんかった。
 
「ふだん、ひとりでたべるから。だから、絲おばさんがたべさせてくれて、その……」

 欧之丞は布団を引き上げて、顔を隠してしもた。
 でも、その薄くて小さい耳が真っ赤になっとんが見えるんや。

「う、うれしかった」
「それなら、母さんにそう言うたって。すごい喜ぶと思うで」
「めいわくじゃないかな」
「それはないやろ。欧之丞を見つけたんは、母さんやもん」

 欧之丞は、布団からそーっと顔を出した。

「俺、こたろうお兄ちゃんにも見つけてもらったよ」
「え? うん」
「ありがとう。お兄ちゃん」

 まっすぐにきらきらした瞳で見つめられて。
 ぼくは心の中で「うわー、うわーっ」と大騒ぎやった。
 
 でもな、顔には出さへんねん。だって子どもみたいやん?

 それから一緒に横になって、ぼくは図鑑の花を欧之丞に教えたった。

「この花、知っとうやろ たんぽぽ」
「ううん?」
「え? じゃあれんげ草は。ちょうど今くらいの季節に咲いとうで」
「きれいだね。はじめてみた」

 ほんまに? たんぽぽもれんげ草も、いっぱい咲いてるのに。
 もしかしたら欧之丞は、朝顔もひまわりも知らんのとちゃうやろか。

「俺ねー、虫はしってる」
「へ、へーぇ」

 正直、ぼくは虫は苦手やった。台所でゴキブリが出た時なんかは、ぼくと母さんとで卒倒したこともある。

「オニヤンマのほうがおおきいけど。ギンヤンマのほうがかっこいいんだー」
「トンボのこと?」
「そう。でもギンヤンマはたかいとこをとんでるから。つかまえられないんだ」

 しょぼん、と欧之丞が肩を落とした。
 ああ、そんな寂しい顔をせんといて。

「そうや。うちの庭の池にヤゴがおるかもしれへんで。夏になったら、庭をトンボが飛んどうから」
「ヤゴ? ギンヤンマの?」

 あー、それはどうかな。ぼくにはトンボの区別はつかへん。
 かろうじて赤とんぼとか、黒いはねの……名前は分からへんのくらいかな。見分けがつくのは。

「ヤゴ、かいたいなぁ。トンボになるまでそだてるんだ」

 欧之丞は、にかっと笑った。
 ぼくは自分も男なんやけど。そうかー、男の子はトンボが好きなんやなと知った。
 まぁ、欧之丞はトンボだけやのうて、カマキリもクワガタもカブトムシもなんでも好きみたいやった。

「虫のこと、お父さんに教えてもろたん?」
「おとうさん? こたろうおにいちゃんの?」
「え? いや。うちの父さんとそんな話はしてへんやろ」

 ぼくの言葉に欧之丞が首を傾げる。
 せやから、ぼくは悟ってしもた。
 欧之丞にとってお母さんは叩く人で、お父さんは家に帰って来ぉへん人やってことに。

 父さんは、欧之丞のことを地主の息子と言うとったけど。両親はおっても、おらへんのと同じなんや。

 ぼくは、寝間着の胸の辺りをぎゅっと掴んだ。
 なんか、ざわざわしたからや。

 うちはヤクザで、父さんはぼくに跡を継がせるんはあんまり乗り気やない。琥太郎に極道は向いてない、優しい子ぉやからって。
 それくらい、家のことやのうてぼくのことを優先して考えてくれる。
 
「父さん、たぶん虫に詳しいと思うで。元気になったら、聞いてみ」
「うんっ」

 弾むようなええ返事やった。
 あんなに暗かった欧之丞の瞳が、今はきらきらと輝いとう。
 それが嬉しくて。
 ぼくまで微笑んだんや。
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