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一章

3、地主の息子【1】

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 客間で、その少年は布団に寝かせられた。
 名前は「高瀬欧之丞たかせおうのすけ」と名乗った。

 その名を聞いた父さんは「地主の高瀬の息子か」と苦々しく呟いた。
 父さんと母さんが席を外して、廊下でしゃべっとう。
 声を潜めとうけど、父さんの声は基本的にでかいから。切れ切れに聞こえてくる。

「あそこの夫婦はええ噂を聞かへんな。あんなに広い家やのに、中から『ごめんなさい。ゆるしてください』って子どもの泣き声が聞こえるって言われとったけど。最近は泣き声もなかったらしいが」

 そこで父さんは、一度言葉を切った。

「ちゃうな。泣くだけの元気もなかったんやな」
「そんな……」

 悲痛そうな母さんの声。
 ぼくは、苦しそうに眉を寄せて眠る少年、欧之丞を眺めとった。

 何かを求めて、欧之丞が手を伸ばす。肉なんかついてへん、細い手や。
 もしかしたら母さんの手を求めとんやろか。欧之丞自身の母親やのうて、ぼくの母さんの手を。

「どうしよ。母さんは父さんと話しとんや。もうすぐ医者が来てくれるからな」
「……だれ?」
「お医者さんは、若先生って呼ばれとう先生やで」
「おにいちゃん、だれ?」

 かすれた声で欧之丞が尋ねてくる。おにいちゃんって、ぼくのこと?
 え、ええ? なんて答えたらええん?

 ぼくには弟も友達もおらへん。尋常小學校に上がってうまくやれるやろかと、周りが心配するくらい。同じ年頃の子どものことを知らん。

 けど、この子は……全然知らん家で、ぼくに話しかけてきとんや。ちゃんと答えたらなあかん。

「ぼ、ぼくは琥太郎やで。三條琥太郎っていうんや」
「こらろう?」
「ちゃう、こたろうや」
「こたろうおにいちゃん?」

 ほわっと欧之丞が微笑みを浮かべた。でも、すぐ痛そうに眉根を寄せる。

 うわっ。うわわぁっ。
 自分の胸の中に芽生えた気持ちが、なんなのか子どものぼくには分からんかった。

 もぞもぞして、でも温かくて。せやのに、傷だらけの欧之丞を見ていたら泣きたい気分になるんや。

 後になって母さんが「琥太郎さんは、欧之丞さんを守りたいって思ったのよ。血は繋がっていなくても、それがお兄ちゃんになるということかもしれないわね」と言うとった。
 
 若先生(というても、ぼくから見たら大人やねんけど)に手当てしてもろて、しばらく欧之丞をうちで預かることになった。
 夕方に、高瀬家の使用人という女性がやって来て、父さんにえらい頭を下げとった。
 きよさんというその人は、父さんの顔見知りらしいけど。
 なんで親が来ぉへんのやろ、と思て、いや、来る訳あらへんよなと自分の考えを否定した。

「坊ちゃん。清ですよ、分かりますか?」
「……うん」

 そっと差し出した清さんの手に、欧之丞は指を添えた。
 握りしめるわけでもなく、でも離すわけでもない。
 仲はよさそうやのに、仲よなりすぎたらあかん感じがするのは、もしかしたら使用人の立場やと欧之丞を守ってあげられへんからやろか。
 
 清さんは、何度も父さんと母さんに「坊ちゃんをお願いします。厚かましいお願いですが、どうか安らかに眠れる夜を坊ちゃんに与えてあげてください」と頭を下げた。

 そうか。使用人が坊ちゃんを自分の家で預かるのは難しいけど。ヤクザが地主の子を預かるんやったら、親が怒鳴り込んでくることもないんか。
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