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五章

3、紺田村

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 お願いよ、きっとよ。と何度も念を押しながら、京香は去っていった。
 水に濡れたわけでもないのに、手をハンカチで拭きながら。

 よく茂った下草の中に、繊細なレースのハンカチが残されていた。

「京香さん……落としてる」

 甘い香水のにおいがするハンカチだった。

「村に戻るつもりなのか?」
「行かなかったら、きっとまた京香さんがやってくるわ」
「それは否定できんな」

「春見、大丈夫かしら。体が弱かったし、優しいから。武東家の婿になって気をつかったり無理をしてるんじゃないかしら」
「あいつが? 春見に比べれば、秋杜なんぞ可愛いものだぞ」

 空蝉の言葉に、螢は首をかしげた。
 妙なことを言う。

 渓流を流れる音の向こうに、今年初めての蝉の声が聞こえた。

◇◇◇

 数日後、螢と空蝉は紺田村を訪れた。
 今度はちゃんと、切符を買う。駅員は空蝉が見えないから、二枚切符を出した螢を奇妙な目で眺めた。

 紺田村に近づくにつれ、螢の気持ちは重くなった。

 春見を心配する気持ちはあるのに。
 あの村は、今も決して螢を受け入れてはくれないだろうから。
 疫神がいなくなっても、螢は紺田村の暗い部分でしかない。

 紺田村の駅に着くと、十年前とはずいぶんと様子が変わっていた。
 駅前にはタクシーが一台、停まっている。運転手は螢を一瞥したが、客にはならないと判断したのだろう。
 すぐに運転席のシートを倒した。

 溶けそうに強烈な陽射しの下を、ひたすら歩く。
 太陽を写し取ったかのような向日葵ひまわりが、無数に咲いていた。

「丘には、桜があったはずなのに」

 封花祭ふうかさいも花見も、この村での苦い記憶は丘の桜と共にある。なのに今は丘を埋めるのは、鮮やかな黄色い向日葵だ。

 丘に登ると、桜の木はすべて伐られてしまっていた。
 春見が花毬を作ってくれたれんげ畑はアスファルトで固められ、駐車場になっている。

「ね、空蝉。早く春見に会って、戻ろう?」

「急ぐことはないですよ。今夜は泊まっていってください」
「どうしたの。変なことを言って」

 ふり返った螢が見たのは、空蝉ではなかった。
 さっきまで空蝉がいたはずの場所に、鞄を持った春見が立っていた。

「どうして? 空蝉は?」
「ふぅん、空蝉というんですか。あの疫神えきじんは」
「ねぇ、彼はどこなの? それに春見、あなたは病気だって。京香さんが」
「京香には感謝しますよ。ちゃんと伝言してくれたのですからね」

 白い開襟シャツに、灰色のズボンをはいた春見は、まるで知らない男の人のようだった。

「ぼくはね、螢さん。君を救いたいんです」
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