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三章

8、帰る場所などない

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 山の中と違い、電線が張り巡らされた街の空。
 こんなにも穏やかに晴れた青空なのに。まるで縄をかけられたように、空は窮屈そうだ。

「ああ、こちらは螢さん。紺田村の娘さんでね。ぼくの結婚を祝って、わざわざ来てくれたんだよ」
「まぁ、そうなの」

 花嫁が、螢を見て穏やかに微笑む。

 今日の春見は刀を持っていないけれど。その存在だけで、螢の心を斬り捨てた。
 まるで血を失ったかのように、目の前が暗くなる。

「いけないわ、貧血かしら。どうぞ家に寄って休んでください」
「いえ、こんなき日にお邪魔するわけにはいきません。わたしは平気ですから」
「そう? 大丈夫かしら。でも、お若いのに、しっかりとしたお嬢さんね。ねぇ、春見さん」

 新郎新婦は、仲睦まじく寄り添った。
 幸福を絵にかいたような二人。とても美しく豊かで……みじめでみすぼらしい自分とは大違いだ。

 螢はよろけながら、歩きだした。
 少し歩いては、石も何もないのにつまずいてしまう。

「危ないな。ほら、手を貸せ。つないでやる」

 差し伸べられた空蝉の手を、弱々しくとる。

 空蝉は、驚くほど強い力で、螢の手を握り返した。
 空いた手で、セーラー服のスカートに触れる。ポケットの中で、かさりと音を立てる小さな紙袋を取りだした。

 春見がくれた花毬の名残。茶色く枯れて小さくなったれんげ草が、今も中には入っていた。

 黒羽春見はもういない。今、出会ったのは見知らぬ武東春見だ。
 そう、あの子じゃない。

 今にも倒れそうだったけれど。歩いて、歩いて。
 空蝉は自動車など気にせずに道を横断する。螢はただ彼についていく。
 派手なクラクションも、遠い世界の音のようだった。

 橋を渡り切ったところで、ようやく螢は足を止めた。

 鉄でできた欄干に両手をつき、くずおれるように座りこむ。
 額や首筋から汗がしたたり落ち、橋面にぼたぼたと汗のしみを作る。

 息が上がり、うまく呼吸ができない。
 この感じは身に覚えがある。

 封花祭の日、泣いていた春見を残して逃げた時と同じだ。

(十年も過ぎているのに)

 自分が何も成長していないから、春見も同じなのだと信じていた。

「は、ははっ。あはは……」

 笑いが込み上げてきた。

「あははははっ! 馬鹿みたい! 馬鹿じゃないの?」

 橋を渡る人が、狂人を見る憐れな目つきをする。

「帰る場所なんてないのよ!あるわけないのよ。わたしなんて……居てはいけないのよ」

 螢の声は、徐々に消え入りそうに小さくなった。
 視界がにじんでいるのは、目に汗が入ったからなのか。それとも泣いているのか。自分でもわからない。

「空蝉、満足でしょ。あなたの言う通り、不変なんてなかったわ。誰もわたしを待ってなんていないのよ」

 ぼんやりと見える空蝉の表情は、どこかが痛むように眉をひそめていた。
 ただ静かに、言葉もなく螢を見つめている。
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