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三章

7、見るな、聞くな

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「手を離してちょうだい」

 そう望んだのに。空蝉は次に螢の視界をふさいだ。
 螢を腕の中に閉じ込め、深草色の着物の胸に顔を押しつけさせる。

「何も聞くな。何も見るな」
「空蝉?」
「私のことだけを見ておればいい」

 どうして急にそんなことを言うの?
 おかしい、空蝉らしくもない。
 まるで焦っているかのよう。

「螢さん? もしかして螢さんですか?」
「聞くな、螢。聞いてはならぬ」

 二つの声が重なった。けれど、懐かしい呼び方に螢の心は傾いた。

 自分のことを「螢さん」と呼ぶのは、一人しかいない。
 まさか……まさか。この声は。

「春見?」

 空蝉を押しのけ、螢は弾かれたようにふり返った。

 人垣の向こう、確かに春見が立っていた。身長は高く、幼さはどこにもない大人の春見だ。
 最後に見た時のように、黒い袴に黒い着物。

「春見なの? まさかこんな偶然があるなんて」
「偶然ではありませんよ、螢さん」

 優しい微笑を春見は浮かべる。

 あれから十年。すでに春見は二十三歳になっているはず。
 十八のまま時を止めてしまった螢よりも、五つも上。当時の秋杜と同じ年だ。

「お、お久しぶりね」

 心の準備もないままの再会に、声が上ずってしまう。

「春見、大人になったのね。とても立派になったのね」
「ありがとうございます。今は大学で助手をしています。ぼくは、ずっと螢さんの行方を捜していたんですよ」

 春見の言葉は、極上の贈り物だ。
 空蝉は、春見は螢のことなど捜していないと言ったけれど。そんなのは嘘だ。今、本人の口から真実が語られているではないか。

「本当に十年前と何も変わっていないんですね」
「え、ええ。不思議ね。春見を見上げるなんて。今日はどうして紋付もんつき羽織袴はおりはかまなの? たしか封花祭の時は、黒の打ち掛けと袴だったけれど」

 紋付羽織袴? 自分で口にした言葉に、恐ろしい違和感を覚えた。

 春見と女性の後ろには、留め袖姿の女性や、やはり羽織袴の男性が連なっている。
 その中に、黒羽のおじさんとおばさんの姿があった。

 おじさんとおばさんは、驚愕に目を見開いている。
 瞬きすら忘れたように、螢を凝視し続けたが、しだいに嫌悪に眉を寄せた。

「お前はなぜここにいるのだ」「縁起でもない」と、彼らの瞳が語っている。

「春見……まさかこの婚礼は」
「春見さん。こちらの方は、お知り合い?」

 付き人が差す朱色の和傘の下から現れたのは、白無垢の花嫁だった。

 運命がいかに残酷であるかを、螢は思い知らされた。
 螢を捜すためではない。 
 そう、この婚礼の主役が春見だった。
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