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三章

3、夢の記憶

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――流せ、流せ。疫神を流せ。

 そこは島のようだった。空と接しているのは水平線ではなく、島の重なりだ。

 夢だとすぐに分かったのは、螢は一度も海に行ったことがないからだ。
 山間の村に育ち、そこからろくに出たこともなかった。

――いやだ。許して。流さないで。

 崖の上で、浅い木箱の中に横たわる少年がいた。
 手も足も縄で幾重にも縛られ、身動きもできない様子だ。
 銀の髪に、緋色の瞳。すぐに幼少の頃の空蝉だと分かった。

 崖には大きなの輪が据えられている。緑濃い色の茅の輪の周囲にいるのは、平安時代の装束を着た男たちだ。それが狩衣かりぎぬなのか、直衣のうしなのか。螢には区別がつかないけれど。

 海風が、男たちの着物の裾を翻した。

――流せ、流せ。疫神を流せ。
――二度と戻ってこぬように。送れ、送れ。他の島に。

 空蝉を乗せた箱は、海へと投げられた。
 落下する速さ、耳の側で轟となる風。胃がせり上がる気持ち悪さ。そして海面に叩き付けられる衝撃。
 それらは一斉に襲ってきた。

 次の瞬間、辺りには寂寞せきばくが広がっていた。
 海も島影もどこにもなく、ただ荒野が広がっている。
 草も木も存在せず、空には色も光もない。

 まるで空襲の後のようだ。ただ吹き抜ける風だけが、寂しい音を立てていた。

 螢は歩いた。

 いつしか空虚な地平の果てに、複数の赤鬼と一人の黒鬼の姿を見つけた。
 ただ経験から赤鬼と分かるだけで。実際には色はついていない。
 すべてが白黒の世界だ。

 彼らの前には、金属の箱が置いてある。古びたその箱の中から、苦悶に呻く声が聞こえる。
 バチッと弾ける音。
 そのたびに箱から悲鳴がもれる。

 手を差し伸べようとした時、女の子が倒れているのに気づいた。

 縄で手と足を縛られた少女は、結い上げた日本髪にかんざしを挿している。
 その子の首が、あっけなく落ちた。

「きゃあああっ!」

 螢は悲鳴を上げた。
 次に、三つ編みの女の子が現れる。その子の首も、ぽとりと落ちた。まるで椿のように。

 少女の姿は変わっても、鬼たちは消えない。そして首が落とされるたびに、心に激痛が走る。

 この感覚は自分のものではない。
 なら、誰の痛みなの?

「勝手に見てはならぬ。覗きとは、悪趣味だな」

 呆れたような口調に、螢は目を覚ました。
 ゆっくりと瞼を開くと、螢の顔を覗きこむ緋色の瞳と視線が絡んだ。

「これは、空蝉が見てきた光景なの?」
「たぶんな。あまりにも遠すぎて、そしてあまりにも繰り返しすぎて。もう、いつのことだったのか、誰のことだったのか思いだすこともできない」

 それでも記憶は繰り返される。いろどりすらも失われた空蝉の世界。彼は、今もすべての色がないのだろう。

 空蝉の伏せた瞳が、とても寂しそうだったから。螢は、空蝉の首にしがみついた。

 悪しき神や疫神と恐れられ、忌み嫌われ。
 でも、彼の内には今も寂しい少年が住んでいる。
 声を上げることもできずに、膝を抱えて一人で泣き続けている。
 傷口は決して塞がらず。ずっと心から血を流し続けている。

 もし、ほんの少しでも……彼の心を救うことができるのならば。
 そのためならば、わたしは。
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