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二章

4、山狩り

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 唇が重なりかけた時、空蝉が「しーっ」と指を立てる。
 山を支配するのは静寂だと思ったが。虫の声や、フクロウの鳴き声が聞こえる。

 耳を澄ましていると、遠くから人の話し声が聞こえた。
 ちらちらと赤く揺れて見えるのは松明なのか。その列は、徐々に近づいている。

 こんな時間に山に入る人がいるの? もう真夜中じゃないの?

「山狩りだ」

 空蝉の言葉に、螢は身をすくめた。
 まだ追いつめられるのか。どこへ逃げても、行き場所などないのだろうか。

「声を出すではないぞ。螢」

 その声が真剣だったから、螢は無言でうなずいた。
 空蝉は螢を横抱きにして、立ち上がった。足音を立てぬよう細心の注意を払って、森の奥へと入っていく。


「本当にこの山に逃げ込んだんだろうな」
「遠くには行ってねぇ。女の方が怪我してっからな」
「女の方? 女しかいないだろ。どっちにしろ朝まで化け物を放っておくわけにはいかん」

 人の足音の他に、軽く走る音もする。犬だろうか。
 木の幹の影に身を隠して、空蝉が舌打ちする。

「螢の血が、山道に落ちているんだ」
「どうなるの?」

 螢は空蝉の背中に手を回した。
 彼女の問いに、空蝉は答えなかったが。しっかりと抱きしめてくれた。
 その腕から、かすかな震えが伝わってくる。

「怖いの?」
「ああ、怖いな。私一人でないことが」
「だから、わたしのことなんて」
「螢が奴らに掴まって、どうなるかと考えると……こんなに恐ろしいことはない」

 ガサ、ガササ。草をかき分ける音が近づいてくる。
 螢は、疫神の羽織に再びしがみついた。

「案ずるな。私が守る」
「そうよね。食糧だものね」
「……そうだな。ようやく得た大事な食い物だ」

 螢を抱え、疫神は進む。遠くで、ぼうっと光るものが浮いていた。それは宙で上下しながら、遠巻きに螢たちを窺っているように思えた。

「疫神は金属を嫌うらしいぞ。紺田村では金属の箱に封じとったそうだ」
「その紺田村から、逃げてきたんだろうが。迷惑な」

 松明を掲げた男たちが持っているのは、槍だ。赤い火に照らされて、槍の穂がぎらりと光る。
 いったい何人いるのか、松明の列はどこまでも続いている。

「見つけたら、串刺しにしてやる」

 恐ろしい内容に、螢は息を呑んだ。
 突然、犬がけたたましく鳴きだした。

「見つけたみてぇだぞ」
「追え!」

 犬が駆けてくる音が近づいてくる。暗い茂みから、犬が飛び出してきた。牙を剥いて螢に襲いかかろうとする。
 その時、螢の前に疫神が立った。着物をまとった彼の胸が眼前にあるから。ただ深草色しか見えない。

「ぐ……っ」

 疫神の体を通して、衝撃が伝わってくる。そのたびに彼は身を固くし、何かに耐えている。
 犬に噛まれているのだと、すぐに分かった。

「だめよ。やめて!」
「平気だ。私に食らいついたが最後、こいつらは枯れてしまう」

 疫神の背後で、しゅううと音がしている。熊の時と同じだ。

 でも、決定的に違うことがある。
 手で触れれば枯れさせることができるのに、今の彼は螢を守っている。その身に牙を立てさせることでしか、犬に触れることができないのだ。

「いいのよ。わたしを守ることなんてないのよ」
「私がそうしたいだけだ」
「さっさとわたしを食べて捨ててしまえば、あなたは自由なのよ?」
「あなたではなく、空蝉、と」

 この期に及んで、まだ自分の名を呼べと命じてくる。何を考えているのか分からない。

「いたぞ! 見つけたぞ!」

 男の叫ぶ声が響いた。
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