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十章

28、お裁縫室【1】

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「ね、先生。今度、先生のお宅に伺ってもいい?」
「え? うちに? 深山さんが? なんで?」

 先生は、とてつもなく嫌そうな表情を顔に貼りつかせました。

「面談なら学校でもいいし。何ならご両親がいる時にでも家庭訪問をするが。俺に相談でもあるのか?」
「ないですよ、別に」
「君、本当にはっきり言うね」

 先生は、ごま塩のかかったご飯をお箸ですくいました。見れば、わたくしのお箸にもご飯が……。
 偶然なんですけど。少し頬が熱くなってしまいますね。
 自分では気づいていませんでしたけど。家でも同じようなことをしていたのでしょうか。お清さんに指摘されたことはないですけど。
 いえいえ、旦那さまはお酒を召し上がるから、食べる速度が違いますよね。

「猫を預かるって、翠子さんから聞いたの。ね、見に行ってもいいでしょ」

 文子さんは身を乗り出します、
 旦那さまは、ちらっとわたくしに視線を向けました。
「断ってもいいか?」と目が訴えかけています。
 
 でも、猫好きである文子さんを差し置いて、わたくしだけが猫を独り占めするのはいけないと思うんです。
 なので、わたくしはふるふると首を振りました。
 ええ、心を鬼にして。

 先生は「信じられない」という風に目を丸くして、その後、肩を落としてしまいました。

「いいよ。来なさい」

 ああ、ごめんなさい。でも、文子さんの願いも聞き入れてあげたいんです。それにお預かりする猫を、他の場所に連れていくなんてできませんもの。

◇◇◇

 深山さんが、猫を見に家に来るという。
 その事実に、俺は少なからずショックを受けた。

 たとえばだ、俺が仕事中に深山さんがうちに来るとしよう。そうすれば、翠子さんは自然と家に残ることになる。
 夏季休暇だから、一緒に登校できなくなってしまう。
 それは、なんと張り合いのないことか。きっと仕事の進捗状況に大いに影響が出るだろう。

 もう一つのパターンとして、俺が家にいる時に深山さんがやって来る場合だ。
 これも問題だ。
 翠子さんと二人の時間が、減ってしまうじゃないか。

 あれだな。琥太兄は深山さんのことを気に入っているが。いっそのこと、さっさと二人をくっつけてしまった方がいいんじゃないか?
 琥太兄にしても、深山さんにしても。翠子さんとの時間を俺から奪うのはやめてほしいのだが。
 
 とはいえ、そんなことを翠子さんに言うと、たぶん……いや、絶対に嫌われる。
 琥太兄。思わせぶりな手紙ばかり書いてないで、さっさと深山さんを掻っ攫ってくれ。あんた、恋愛なんて手慣れているだろうが。
 担任ではなく、翠子さんの恋人としてのお願いです。

 水筒に入ったお茶を、カップに注ぐ。水筒には飾りの鈴が二つ付いている。
 傾けると、りんりんと涼し気な音を立てた。
 
 翠子さんにカップを手渡すと、お礼を言ってそのままこくりと飲む。
 その様子を、深山さんは目を丸くして眺めていた。

「どうかしたのか?」
「いえ。先生って、甲斐甲斐しく翠子さんの世話をするんですね。意外です」
「甲斐甲斐しい……のか?」
「さぁ、どうでしょう」

 俺と翠子さんは、揃って小首をかしげる。
 家でも食事時には、翠子さんの湯呑みに茶を注いでやるのは普通のことだ。
 
 だが、翠子さんは放っておけば水分の摂取量が少ないんだ。ジュースならばいくらでも飲むという困った人だから。ちゃんと俺が管理をして、お茶を摂取させなければと思うのだが。
 もしかして、これを人は過保護というのか?

「あー、深山さん。女性としての意見を聞きたいのだが」
「いいですよ」
「俺と翠子さんは、兄妹に間違えられることが、たまにだがある。君から見ても、そう思うか?」
「たまになら、別にいいじゃないですか」
「うっ」

 本当はとても多いんだよ。口にはできないが。

「まぁ、担任と生徒ですよね」

 違う。正論など聞いていない。
 数学の授業で正しい解答をすることがないのに。どうしてこういう場合だけ、正答を寄越すんだ。
 感覚的にとか、見た感じでとか、もっとざっくりとした意見が欲しいんだよ。

「うーん。わたしは教室での先生と翠子さんしか、これまで見ていませんからね。あ、でも写生大会で翠子さんをご自分の影にいれてらしたでしょ。あれは担任にも兄にも見えませんでしたよ」

 お、いい意見じゃないか。さぁ、もっと褒めたまえ。
 翠子さんと俺が、いかにラブラブに見えるかを、具体的に話すがいい。そりゃあ、学校では自制しているが、しかし隠していても滲み出る愛情というものがあるだろう?
 
 だが、深山さんはそれ以上、言葉を重ねることはなかった。

「なんだか、先生ににやにやされるとムカつきますよね」
 
 君、本当に俺のことを怖いと思っているのか? かなり言いたい放題だぞ。
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