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九章
27、閑話 旦那さまのお友達【1】※銀司視点
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高瀬邸は広い。
旦那さまと翠子さまは、二人で寄り添うのがお好きだから、だいたい同じ部屋で一日の大半を過ごしておられる。
といっても、その部屋もかなり広いのだけど。
ぼくがうるさい下宿を出て、この家で暮らすようになってから、勉強時間をしっかりと取ることができるようになった。
といっても、そうもできない日もあるが。
ぼくの部屋と旦那さまの部屋は離れているので、お二人が愛し合っている声が聞こえるわけではない。
だけど、ああいうのって気配で分かるんだ。
そういう時に、勉強に集中できますか? いえ、できるはずがありません。
時折、ぎし……っという音が聞こえて。
違う、考えるんじゃない。今、ぼくは簿記の勉強をしているんだ。
それに旦那さまが別荘を購入なさったから、その管理とかもあるし。
きれいな別荘だったな。ぼくもあそこに連れて行ってもらえるのだから、とても嬉しい。
きっとあの別荘でも、翠子さまは旦那さまに甘えて……そして。
だーから、考えるなって。
ぼくは、頭をぶんぶんと振った。
こういう時は、散歩に限る。
旦那さまが、翠子さまを愛する時は、たいそう時間をお掛けになる。以前なんて、午後から翌朝くらいまで抱いておられた時もある。
あれは、さすがにやりすぎだろ。と使用人ながら案じてしまう。
玄関を開いて表に出ると、月が煌々と冴えた光を放っていた。
高瀬邸から海は見えないが、風の向きによっては潮の香りが届くこともある。まるで故郷の島にいるみたいで、切なくなることも多かったのに。
不思議なことに、以前ほど島に帰りたいと熱望することがない。
かつては港に行っては、商船や貨物船が停泊しているばかりで、帆かけの漁船やら砂浜がないことを嘆き。海岸通りを歩いては、椰子の木もアダンの木も生えていないことに落胆したというのに。
今では、そんなことを思い出しもしないんだ。
「ぼくにも居場所ができたんだろうな」
「なんや、自分。欧之丞んとこの南国ボーイやん」
突然声を掛けられて、ぼくは振り返った。
たちの悪い酔っ払いにでも絡まれたのかと思ったけど、そこに立っていたのは旦那さまのお友達だった。
「三條組の若頭さん。こ、こんばんは」
「琥太郎でええ。この間は悪かったな。欧之丞の家でうちの部下が無茶したやろ」
琥太郎さんは、さすがに夏なので背広は着ていないが、脱いだものを腕にかけている。
そういえば旦那さまに教えられたことがある。
琥太郎さんの背広の内ポケットには銃が入っているから、彼が家を訪れたとしても不用意に背広を預かったりしないように、と。
「南国ボーイ、散歩しとったんか?」
「まぁ、夕涼みですかね」
琥太郎さんは旦那さまの幼馴染みだし、醸し出す雰囲気が柔らかいから、ヤクザだと知っていても比較的話しかけやすい。
もっとも、ぼくはこの人の一面しか知らないから。実際のところは、どうか分からないけど。
まぁ、でも時折、目が笑ってないことがあるから。怖いんだろうな。
「若頭さん……いえ、琥太郎さんはお一人ですか?」
「ん? まぁな。いっつもぞろぞろ人を引き連れて歩きたいわけやないし。私かて一人になりたいこともあるわ」
琥太郎さんは、親指で海岸沿いの長椅子を指さした。そこに座ろうということらしい。
いや、でもぼくみたいなたかが使用人風情が、若頭と同席していいと思えない。
旦那さまとは、同じ食卓を囲むこともあるけど。
時々、お土産を買ってきてくださるから皆で一緒に甘いものを食べるのは、楽しいよな。
「なんや。座りたないんか?」
「いえ、ぼくでは失礼かと思って」
「なんでやねん。傍で護衛みたいに突っ立っていられる方が、気になるわ」
あの、あんまり気さくに話しかけないでください。つい、軽い口調で喋ってしまいそうになるじゃないですか。
ぼくは観念して、琥太郎さんの隣に腰を下ろした。
長椅子に座ると目の高さが低くなるから、海岸の景色が違って見える。昼間はうるさいほどのカモメやウミネコも、今は瓦斯燈に照らされて眠っているようだ。
奥まった通りから聞こえる嬌声や騒ぐ声は、酒を出す店があるからだろう。波止場が近いからな。
「お仕事なんですか? この辺って、三條組のシマですよね」
「ちゃうちゃう。確かにうちの管轄やけど、今日は買い物に来て、夕飯食べとったら遅なっただけや」
琥太郎さんは、薄い封筒のようなものを持ったまま手を振った。
旦那さまと翠子さまは、二人で寄り添うのがお好きだから、だいたい同じ部屋で一日の大半を過ごしておられる。
といっても、その部屋もかなり広いのだけど。
ぼくがうるさい下宿を出て、この家で暮らすようになってから、勉強時間をしっかりと取ることができるようになった。
といっても、そうもできない日もあるが。
ぼくの部屋と旦那さまの部屋は離れているので、お二人が愛し合っている声が聞こえるわけではない。
だけど、ああいうのって気配で分かるんだ。
そういう時に、勉強に集中できますか? いえ、できるはずがありません。
時折、ぎし……っという音が聞こえて。
違う、考えるんじゃない。今、ぼくは簿記の勉強をしているんだ。
それに旦那さまが別荘を購入なさったから、その管理とかもあるし。
きれいな別荘だったな。ぼくもあそこに連れて行ってもらえるのだから、とても嬉しい。
きっとあの別荘でも、翠子さまは旦那さまに甘えて……そして。
だーから、考えるなって。
ぼくは、頭をぶんぶんと振った。
こういう時は、散歩に限る。
旦那さまが、翠子さまを愛する時は、たいそう時間をお掛けになる。以前なんて、午後から翌朝くらいまで抱いておられた時もある。
あれは、さすがにやりすぎだろ。と使用人ながら案じてしまう。
玄関を開いて表に出ると、月が煌々と冴えた光を放っていた。
高瀬邸から海は見えないが、風の向きによっては潮の香りが届くこともある。まるで故郷の島にいるみたいで、切なくなることも多かったのに。
不思議なことに、以前ほど島に帰りたいと熱望することがない。
かつては港に行っては、商船や貨物船が停泊しているばかりで、帆かけの漁船やら砂浜がないことを嘆き。海岸通りを歩いては、椰子の木もアダンの木も生えていないことに落胆したというのに。
今では、そんなことを思い出しもしないんだ。
「ぼくにも居場所ができたんだろうな」
「なんや、自分。欧之丞んとこの南国ボーイやん」
突然声を掛けられて、ぼくは振り返った。
たちの悪い酔っ払いにでも絡まれたのかと思ったけど、そこに立っていたのは旦那さまのお友達だった。
「三條組の若頭さん。こ、こんばんは」
「琥太郎でええ。この間は悪かったな。欧之丞の家でうちの部下が無茶したやろ」
琥太郎さんは、さすがに夏なので背広は着ていないが、脱いだものを腕にかけている。
そういえば旦那さまに教えられたことがある。
琥太郎さんの背広の内ポケットには銃が入っているから、彼が家を訪れたとしても不用意に背広を預かったりしないように、と。
「南国ボーイ、散歩しとったんか?」
「まぁ、夕涼みですかね」
琥太郎さんは旦那さまの幼馴染みだし、醸し出す雰囲気が柔らかいから、ヤクザだと知っていても比較的話しかけやすい。
もっとも、ぼくはこの人の一面しか知らないから。実際のところは、どうか分からないけど。
まぁ、でも時折、目が笑ってないことがあるから。怖いんだろうな。
「若頭さん……いえ、琥太郎さんはお一人ですか?」
「ん? まぁな。いっつもぞろぞろ人を引き連れて歩きたいわけやないし。私かて一人になりたいこともあるわ」
琥太郎さんは、親指で海岸沿いの長椅子を指さした。そこに座ろうということらしい。
いや、でもぼくみたいなたかが使用人風情が、若頭と同席していいと思えない。
旦那さまとは、同じ食卓を囲むこともあるけど。
時々、お土産を買ってきてくださるから皆で一緒に甘いものを食べるのは、楽しいよな。
「なんや。座りたないんか?」
「いえ、ぼくでは失礼かと思って」
「なんでやねん。傍で護衛みたいに突っ立っていられる方が、気になるわ」
あの、あんまり気さくに話しかけないでください。つい、軽い口調で喋ってしまいそうになるじゃないですか。
ぼくは観念して、琥太郎さんの隣に腰を下ろした。
長椅子に座ると目の高さが低くなるから、海岸の景色が違って見える。昼間はうるさいほどのカモメやウミネコも、今は瓦斯燈に照らされて眠っているようだ。
奥まった通りから聞こえる嬌声や騒ぐ声は、酒を出す店があるからだろう。波止場が近いからな。
「お仕事なんですか? この辺って、三條組のシマですよね」
「ちゃうちゃう。確かにうちの管轄やけど、今日は買い物に来て、夕飯食べとったら遅なっただけや」
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