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九章
12、パラソル【1】
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旦那さまから恋文をいただいたわたくしは、まるで地面から少し足が浮いているような心地でした。
空はからりと晴れ上がり、綿菓子のような入道雲が見えています。
ああ、今なら雲の上も歩けそう。
「翠子さんは、どうしてそんなに浮かれているんだ?」
旦那さまが、わたくしに日傘を渡してくださいます。夏も盛りに近づき、日差しが強くなったので買ってくださったのです。
繊細なレースに縁どられた、白い日傘。
あまりにも可愛くて、ついくるくると回してしまいます。
「家宝が増えたからです」
「家宝……うちの?」
「わたくしのですよ。旦那さまからの恋文です」
わたくしの隣を歩く旦那さまに、日差しが降り注いでいるので。日傘を半分かざして差し上げます。
ですが身長差があるので、後ろに撫でつけた旦那さまの髪に、日傘が引っかかってしまいました。
「俺が持った方がよさそうだな」
結局、旦那さまが日傘を差しかけてくださいました。二人で半分こです。レースの模様を通した光が、地面にちらちらと落ちていきます。
「まったく、あなたといい銀司といい。なぜ、そういうものを家宝扱いにするのか」
「だって、旦那さまがくださったんですもの。大事に決まっているでしょう? マフラーと恋文で、二つです」
旦那さまの返事はありません。見上げれば、口元を手で覆っていらっしゃいます。
「銀司さんは、旦那さまのことが大好きなんですよ。わたくし、知っているんです」
高瀬邸にも、これまでよりも早く来て、仕事が始まる前と終わってからも何やら難しそうなお勉強をなさっています。
どうなさったのかと尋ねると「将来にわたり、お二人にお仕えするために必要だから」と仰っていました。
銀司さんは現在、高瀬家が所有している住宅で下宿なさっています。ですが、お酒を飲んで騒ぐ人も多いということで、仕事が終わってから勉強をするには不向きな環境だそうです。
なので旦那さまが、銀司さんが勉強で使えるようにと、この家の一部屋をお与えになったようです。
「銀司が泊まってくれるのなら、こちらも助かる」と、旦那さまは仰っていました。
「照れてらっしゃいます? 旦那さま」
「照れていますよ。お嬢さま。でも銀司に関しては、少し勘違いがあるな」
それがどんな勘違いなのか、教えては下さいませんでした。
「旦那さまの家宝は何なんですか?」
「家宝というか、宝でいいのかな」
「はい、ぜひ教えていただきたいです」
日傘の中は素敵です。これまでは近くの大学の学生さんがぶつかってきそうになって、少なからず危険を感じていたんですけど。
屋外ですのに、少しばかり閉ざされた世界のようで、学生さんたちに邪魔をされません。
本当に怖いんですよ。果たし状のようなものを握りしめて、突進してくる男性は。
「俺の宝は。そうだな……今、隣にいるな」
あまりにもさりげなく仰ったので、旦那さまの言葉を聞き逃しそうになりました。
「すみません。もう一度言ってもらえますか?」
「なんで? こんな至近距離で聞こえないはずがないだろ」
「でも、隣がどうとかって仰ったので。ちゃんと言ってくださらないと、分かりません」
わたくしは風呂敷包みを左手で持って、右手で旦那さまの半袖を引っ張りました。ですが、旦那さまはパラソルの柄をくるくると回すばかりで、知らん顔をなさっています。
「あのな、翠子さん。そういうことは、一度耳にしたらちゃんと心に留めておくもんだ」
「もう一回。一回だけですから。リピート、アフターミー」
「その英語、完っ璧に間違っているからな」
「あ、そうでした」
「何が『あ、そうでした』だ。怪しいもんだな」
まったくもう、と旦那さまがため息をおつきになりました。
空はからりと晴れ上がり、綿菓子のような入道雲が見えています。
ああ、今なら雲の上も歩けそう。
「翠子さんは、どうしてそんなに浮かれているんだ?」
旦那さまが、わたくしに日傘を渡してくださいます。夏も盛りに近づき、日差しが強くなったので買ってくださったのです。
繊細なレースに縁どられた、白い日傘。
あまりにも可愛くて、ついくるくると回してしまいます。
「家宝が増えたからです」
「家宝……うちの?」
「わたくしのですよ。旦那さまからの恋文です」
わたくしの隣を歩く旦那さまに、日差しが降り注いでいるので。日傘を半分かざして差し上げます。
ですが身長差があるので、後ろに撫でつけた旦那さまの髪に、日傘が引っかかってしまいました。
「俺が持った方がよさそうだな」
結局、旦那さまが日傘を差しかけてくださいました。二人で半分こです。レースの模様を通した光が、地面にちらちらと落ちていきます。
「まったく、あなたといい銀司といい。なぜ、そういうものを家宝扱いにするのか」
「だって、旦那さまがくださったんですもの。大事に決まっているでしょう? マフラーと恋文で、二つです」
旦那さまの返事はありません。見上げれば、口元を手で覆っていらっしゃいます。
「銀司さんは、旦那さまのことが大好きなんですよ。わたくし、知っているんです」
高瀬邸にも、これまでよりも早く来て、仕事が始まる前と終わってからも何やら難しそうなお勉強をなさっています。
どうなさったのかと尋ねると「将来にわたり、お二人にお仕えするために必要だから」と仰っていました。
銀司さんは現在、高瀬家が所有している住宅で下宿なさっています。ですが、お酒を飲んで騒ぐ人も多いということで、仕事が終わってから勉強をするには不向きな環境だそうです。
なので旦那さまが、銀司さんが勉強で使えるようにと、この家の一部屋をお与えになったようです。
「銀司が泊まってくれるのなら、こちらも助かる」と、旦那さまは仰っていました。
「照れてらっしゃいます? 旦那さま」
「照れていますよ。お嬢さま。でも銀司に関しては、少し勘違いがあるな」
それがどんな勘違いなのか、教えては下さいませんでした。
「旦那さまの家宝は何なんですか?」
「家宝というか、宝でいいのかな」
「はい、ぜひ教えていただきたいです」
日傘の中は素敵です。これまでは近くの大学の学生さんがぶつかってきそうになって、少なからず危険を感じていたんですけど。
屋外ですのに、少しばかり閉ざされた世界のようで、学生さんたちに邪魔をされません。
本当に怖いんですよ。果たし状のようなものを握りしめて、突進してくる男性は。
「俺の宝は。そうだな……今、隣にいるな」
あまりにもさりげなく仰ったので、旦那さまの言葉を聞き逃しそうになりました。
「すみません。もう一度言ってもらえますか?」
「なんで? こんな至近距離で聞こえないはずがないだろ」
「でも、隣がどうとかって仰ったので。ちゃんと言ってくださらないと、分かりません」
わたくしは風呂敷包みを左手で持って、右手で旦那さまの半袖を引っ張りました。ですが、旦那さまはパラソルの柄をくるくると回すばかりで、知らん顔をなさっています。
「あのな、翠子さん。そういうことは、一度耳にしたらちゃんと心に留めておくもんだ」
「もう一回。一回だけですから。リピート、アフターミー」
「その英語、完っ璧に間違っているからな」
「あ、そうでした」
「何が『あ、そうでした』だ。怪しいもんだな」
まったくもう、と旦那さまがため息をおつきになりました。
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