134 / 247
八章
18、証拠
しおりを挟む
俺は目の前に停まった車に駆け寄った。
急いで後部座席の扉を開き、その光景に瞠目した。翠子さんが転がされていたからだ。
「み、翠子さんっ!」
「……っ」
彼女の肩から胸にかけて、しかも首にも荒縄が掛けられている。足と腕はそれぞれ縛られ、まるで江戸時代の罪人だ。
口は布を噛まされて、言葉を発することもできない。
ああ、三木達比古にあえて誘拐されたと勘付かれないように、縛りあげたのだろうが。
こんな無体な仕打ちを、あなたが受けねばならないなんて。
翠子さんを抱え起こそうとしたとき、助手席から三木達比古が振り返って俺を見た。その目は驚愕に見開かれている。
「高瀬。なんであんたがここにいる?」
こんな奴に教えてやる必要はない。俺は翠子さんを車から降ろして抱き上げた。縄がこすれて、首に痕がついている。
さぞや痛かっただろう。苦しかっただろう。怖かっただろう。
なのに、翠子さんは俺を見て、柔らかく目を細めた。
「斉川。欧之丞にドスを貸したげなさい」
「はい。若」
鞘に入ったままの匕首を、斉川が俺に手渡してくれる。俺はその刃で翠子さんを縛める縄を切った。
ぶつりと鈍い音の後、弾けるように縄が跳ねた。
緊縛から解放された翠子さんが、俺の腕の中に倒れてくる。猿ぐつわを解いてやると、翠子さんは咳き込んだ。
とても苦しそうなその様子に、俺は背をさすってやることしかできない。
「だ……ん、なさま」
「いいから。無理に喋らなくていい」
翠子さんは縄の痕の残る手を、俺の頬に伸ばしてきた。ずっと縛られていたからだろう。いや、それとも恐ろしさのせいだろうか、その手は小刻みに震えている。
「おい、どういうことだ。高瀬がいるなんて聞いていない」
「なんでって言われても。このお嬢さんは、私の友人の許嫁やからな。逆になんで、あんたがうちの組員に、姪を誘拐なんかさせとんのか聞かせてもらおか」
「うちの組員……」と、達比古は呆然と琥太郎兄さんを眺めた。
「ああ、挨拶さしてもらおか」
琥太兄は、優雅な仕草で一礼した。
「私は、三條組で若頭を務めさしてもろてる三條琥太郎。そこの高瀬欧之丞の古い友人や。しかし、困ったなぁ。うちは人身売買は禁じとんのや。誘拐なんてもってのほかやなぁ」
「若頭……?」
「ほんま困ったわ。うちの看板に泥ぬらんといてほしいわ」
「ぼくはそんなこと、聞いてない……。聞いてないぞっ」
達比古は、俺に向かって怒鳴った。
「ぼくを騙したのかっ。あんたはただの土地と金を持った教師だろうが」
「なぜ友人でも何でもない、むしろ敵でしかないあんたに、俺の交友関係を知らせてやらないといけないんだ」
とんだ言いがかりだ。だが、琥太郎兄さんの言う通り、汚い仕事を嫌う三條組の面子を、この男は穢した。
だから翠子さんの誘拐を依頼された組の人間は、若頭に相談し、それが俺の許嫁だとすぐに知れた。
達比古は簀巻きにして川や海に放り込まれることは、さすがにないだろう。
だが、殺人を好まない琥太郎兄さんでも、事情によっては達比古の指の数を減らすように命じるかもしれない。
いずれにしろ、あの街で暮らすことは叶わないだろう。
「自業自得です……おじさま」
達比古を睨みつける翠子さんの髪やこめかみの辺りに、土がついている。
まさか、この男に踏みつけられたのか?
こいつは、俺の翠子さんを踏みにじったのか。
「琥太兄。翠子さんを……」
俺は翠子さんを琥太郎兄さんに任せると、達比古へと向かった。その襟首をぐいっと掴み、車のボンネットに上体を倒させる。
俺の手には斉川の匕首。鞘には戻しているが、左右の手でそれを持ち、達比古の首に押し付ける。
「言ったよな。翠子さんに近づくなと。ああ、俺は二度言ったはずだ。三度目はもうないよな」
匕首を鞘から抜くと、常夜燈の明かりに刀身がぎらりと光を反射した。達比古は「ひぃ」と引きつった声を出した。ボンネットに縋りつくように手を伸ばすが、つるつる滑るばかりで逃げることはできない。
急いで後部座席の扉を開き、その光景に瞠目した。翠子さんが転がされていたからだ。
「み、翠子さんっ!」
「……っ」
彼女の肩から胸にかけて、しかも首にも荒縄が掛けられている。足と腕はそれぞれ縛られ、まるで江戸時代の罪人だ。
口は布を噛まされて、言葉を発することもできない。
ああ、三木達比古にあえて誘拐されたと勘付かれないように、縛りあげたのだろうが。
こんな無体な仕打ちを、あなたが受けねばならないなんて。
翠子さんを抱え起こそうとしたとき、助手席から三木達比古が振り返って俺を見た。その目は驚愕に見開かれている。
「高瀬。なんであんたがここにいる?」
こんな奴に教えてやる必要はない。俺は翠子さんを車から降ろして抱き上げた。縄がこすれて、首に痕がついている。
さぞや痛かっただろう。苦しかっただろう。怖かっただろう。
なのに、翠子さんは俺を見て、柔らかく目を細めた。
「斉川。欧之丞にドスを貸したげなさい」
「はい。若」
鞘に入ったままの匕首を、斉川が俺に手渡してくれる。俺はその刃で翠子さんを縛める縄を切った。
ぶつりと鈍い音の後、弾けるように縄が跳ねた。
緊縛から解放された翠子さんが、俺の腕の中に倒れてくる。猿ぐつわを解いてやると、翠子さんは咳き込んだ。
とても苦しそうなその様子に、俺は背をさすってやることしかできない。
「だ……ん、なさま」
「いいから。無理に喋らなくていい」
翠子さんは縄の痕の残る手を、俺の頬に伸ばしてきた。ずっと縛られていたからだろう。いや、それとも恐ろしさのせいだろうか、その手は小刻みに震えている。
「おい、どういうことだ。高瀬がいるなんて聞いていない」
「なんでって言われても。このお嬢さんは、私の友人の許嫁やからな。逆になんで、あんたがうちの組員に、姪を誘拐なんかさせとんのか聞かせてもらおか」
「うちの組員……」と、達比古は呆然と琥太郎兄さんを眺めた。
「ああ、挨拶さしてもらおか」
琥太兄は、優雅な仕草で一礼した。
「私は、三條組で若頭を務めさしてもろてる三條琥太郎。そこの高瀬欧之丞の古い友人や。しかし、困ったなぁ。うちは人身売買は禁じとんのや。誘拐なんてもってのほかやなぁ」
「若頭……?」
「ほんま困ったわ。うちの看板に泥ぬらんといてほしいわ」
「ぼくはそんなこと、聞いてない……。聞いてないぞっ」
達比古は、俺に向かって怒鳴った。
「ぼくを騙したのかっ。あんたはただの土地と金を持った教師だろうが」
「なぜ友人でも何でもない、むしろ敵でしかないあんたに、俺の交友関係を知らせてやらないといけないんだ」
とんだ言いがかりだ。だが、琥太郎兄さんの言う通り、汚い仕事を嫌う三條組の面子を、この男は穢した。
だから翠子さんの誘拐を依頼された組の人間は、若頭に相談し、それが俺の許嫁だとすぐに知れた。
達比古は簀巻きにして川や海に放り込まれることは、さすがにないだろう。
だが、殺人を好まない琥太郎兄さんでも、事情によっては達比古の指の数を減らすように命じるかもしれない。
いずれにしろ、あの街で暮らすことは叶わないだろう。
「自業自得です……おじさま」
達比古を睨みつける翠子さんの髪やこめかみの辺りに、土がついている。
まさか、この男に踏みつけられたのか?
こいつは、俺の翠子さんを踏みにじったのか。
「琥太兄。翠子さんを……」
俺は翠子さんを琥太郎兄さんに任せると、達比古へと向かった。その襟首をぐいっと掴み、車のボンネットに上体を倒させる。
俺の手には斉川の匕首。鞘には戻しているが、左右の手でそれを持ち、達比古の首に押し付ける。
「言ったよな。翠子さんに近づくなと。ああ、俺は二度言ったはずだ。三度目はもうないよな」
匕首を鞘から抜くと、常夜燈の明かりに刀身がぎらりと光を反射した。達比古は「ひぃ」と引きつった声を出した。ボンネットに縋りつくように手を伸ばすが、つるつる滑るばかりで逃げることはできない。
0
お気に入りに追加
1,475
あなたにおすすめの小説
【1章完結】経験値貸与はじめました!〜但し利息はトイチです。追放された元PTメンバーにも貸しており取り立てはもちろん容赦しません〜
コレゼン
ファンタジー
冒険者のレオンはダンジョンで突然、所属パーティーからの追放を宣告される。
レオンは経験値貸与というユニークスキルを保持しており、パーティーのメンバーたちにレオンはそれぞれ1000万もの経験値を貸与している。
そういった状況での突然の踏み倒し追放宣言だった。
それにレオンはパーティーメンバーに経験値を多く貸与している為、自身は20レベルしかない。
適正レベル60台のダンジョンで追放されては生きては帰れないという状況だ。
パーティーメンバーたち全員がそれを承知の追放であった。
追放後にパーティーメンバーたちが去った後――
「…………まさか、ここまでクズだとはな」
レオンは保留して溜めておいた経験値500万を自分に割り当てると、一気に71までレベルが上がる。
この経験値貸与というスキルを使えば、利息で経験値を自動で得られる。
それにこの経験値、貸与だけでなく譲渡することも可能だった。
利息で稼いだ経験値を譲渡することによって金銭を得ることも可能だろう。
また経験値を譲渡することによってゆくゆくは自分だけの選抜した最強の冒険者パーティーを結成することも可能だ。
そしてこの経験値貸与というスキル。
貸したものは経験値や利息も含めて、強制執行というサブスキルで強制的に返済させられる。
これは経験値貸与というスキルを授かった男が、借りた経験値やお金を踏み倒そうとするものたちに強制執行ざまぁをし、冒険者メンバーを選抜して育成しながら最強最富へと成り上がっていく英雄冒険譚。
※こちら小説家になろうとカクヨムにも投稿しております
乙女ゲーム攻略対象者の母になりました。
緋田鞠
恋愛
【完結】「お前を抱く気はない」。夫となった王子ルーカスに、そう初夜に宣言されたリリエンヌ。だが、子供は必要だと言われ、医療の力で妊娠する。出産の痛みの中、自分に前世がある事を思い出したリリエンヌは、生まれた息子クローディアスの顔を見て、彼が乙女ゲームの攻略対象者である事に気づく。クローディアスは、ヤンデレの気配が漂う攻略対象者。可愛い息子がヤンデレ化するなんて、耐えられない!リリエンヌは、クローディアスのヤンデレ化フラグを折る為に、奮闘を開始する。
国王陛下の夜伽係
水野酒魚。
BL
新国王に即位したコラサオンは、幼馴染みで乳母の子であるネーヴィエスを『夜伽係』に任命する。
年若い国王(28)×ノンケの衛士長(40)。
#闇BL2023企画に向けて書かれた作品です。救いとかそんなモノはありません。
※欠損表現があります。
異世界ゲームへモブ転生! 俺の中身が、育てあげた主人公の初期設定だった件!
東導 号
ファンタジー
雑魚モブキャラだって負けない! 俺は絶対!前世より1億倍!幸せになる!
俺、ケン・アキヤマ25歳は、某・ダークサイド企業に勤める貧乏リーマン。
絶対的支配者のようにふるまう超ワンマン社長、コバンザメのような超ごますり部長に、
あごでこきつかわれながら、いつか幸せになりたいと夢見ていた。
社長と部長は、100倍くらい盛りに盛った昔の自分自慢語りをさく裂させ、
1日働きづめで疲れ切った俺に対して、意味のない精神論に終始していた。
そして、ふたり揃って、具体的な施策も提示せず、最後には
「全社員、足で稼げ! 知恵を絞り、営業数字を上げろ!」
と言うばかり。
社員達の先頭を切って戦いへ挑む、重い責任を背負う役職者のはずなのに、
完全に口先だけ、自分の部屋へ閉じこもり『外部の評論家』と化していた。
そんな状況で、社長、部長とも「業務成績、V字回復だ!」
「営業売上の前年比プラス150%目標だ!」とか抜かすから、
何をか言わんや……
そんな過酷な状況に生きる俺は、転職活動をしながら、
超シビアでリアルな地獄の現実から逃避しようと、
ヴァーチャル世界へ癒しを求めていた。
中でも最近は、世界で最高峰とうたわれる恋愛ファンタジーアクションRPG、
『ステディ・リインカネーション』に、はまっていた。
日々の激務の疲れから、ある日、俺は寝落ちし、
……『寝落ち』から目が覚め、気が付いたら、何と何と!!
16歳の、ど平民少年ロイク・アルシェとなり、
中世西洋風の異世界へ転生していた……
その異世界こそが、熱中していたアクションRPG、
『ステディ・リインカネーション』の世界だった。
もう元の世界には戻れそうもない。
覚悟を決めた俺は、数多のラノベ、アニメ、ゲームで積み重ねたおたく知識。
そして『ステディ・リインカネーション』をやり込んだプレイ経験、攻略知識を使って、
絶対! 前世より1億倍! 幸せになる!
と固く決意。
素晴らしきゲーム世界で、新生活を始めたのである。
カクヨム様でも連載中です!
【前世の記憶】と【現世の記憶】~元婚約者の前で、前世のご主人様を求めた話
くったん
恋愛
他の女に夢中な婚約者に婚約破棄され、【前世の記憶】が甦る。しかし皇子の命令で地下牢へ。そこで【前世の記憶】にあるご主人様と出会い、婚約者の前でご主人様と行為を……。皇子で遊びながらも徐々に気持ちを取り戻していくが、でもやっぱり裏切り者には制裁をする話。//
私が悪役令嬢? 喜んで!!
星野日菜
恋愛
つり目縦ロールのお嬢様、伊集院彩香に転生させられた私。
神様曰く、『悪女を高校三年間続ければ『私』が死んだことを無かったことにできる』らしい。
だったら悪女を演じてやろうではありませんか!
世界一の悪女はこの私よ! ……私ですわ!
【完結】浮気者と婚約破棄をして幼馴染と白い結婚をしたはずなのに溺愛してくる
ユユ
恋愛
私の婚約者と幼馴染の婚約者が浮気をしていた。
私も幼馴染も婚約破棄をして、醜聞付きの売れ残り状態に。
浮気された者同士の婚姻が決まり直ぐに夫婦に。
白い結婚という条件だったのに幼馴染が変わっていく。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる