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七章
23、夜食
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お風呂に入った後、わたくしたちは夕食と申しますか、夜食をいただきました。
もうとっくに帰宅なさったお清さんは、ダイニングに夕食を用意してくださっていました。
蠅が来ないように、料理にはふわりと布巾が掛けてあります。
――お坊ちゃま。翠子さんに無理強いなさらないように。ちゃんと翠子さんにお夕飯をさしあげてください、くれぐれもお願いしますよ。
お清さんの書き置きがテーブルに置いてあります。
は、恥ずかしいです。そうですよね、夕食も食べずに愛し合っていたのですから。
「分かってるんだよ、自制すべきだということは。分かってるんだけどなぁ。難しいんだよ」
しげしげと書き置きを眺めながら、旦那さまは椅子に腰かけました。
布巾をめくると、おにぎりが作ってありました。俵型の、小さくて食べやすそうなおにぎりです。
しっとりとした海苔の巻かれたおにぎりは、塩味が効いています。
それに牛肉のしぐれ煮と、西洋セリと油揚げの煮びたし。どれも冷めても美味しいです。
もしかして、わたくしたちが夜食として食べることを察して、このような献立なのでしょうか。
そう考えると、やはりとても……羞恥心を覚えます。
「旦那さまは、気にならないのですか?」
「なにが? ああ、書き置きとか、握り飯に塩が効いていることか?」
「お塩がなにか関係あるのですか?」
「汗をかいただろう? そういう場合は、塩分がいいんだ」
汗……。先刻まで、旦那さまと汗まみれになったことを思い出し、わたくしは照れてうつむいてしまいました。
「風呂で汗を流したから、別に気にすることもないだろうに。それに前にも言ったが、あなたの学校があるからすぐには無理でも、お清は俺とあなたの子どもを見たいと思っているんだぞ」
それは、そうなのかもしれませんけど。
わたくしは、旦那さまが注いでくださった麦茶を飲みました。
「ほら、ちゃんと食べなさい」
旦那さまが、大皿から牛肉のしぐれ煮を取り分けてくださいます。味付けはどちらかといえば薄味で、生姜の風味が効いています。
「そういえば生姜は、体を温める作用があったな」
「そ、そうですね」
「夏とはいえ、服を着ていないと体は冷えるからな」
わたくしは、お行儀悪く麦茶をふいてしまいました。
「すみません」と、慌てて布巾で口元やテーブルを拭きますが、旦那さまは平気なのですね。
笠井の家にも使用人はおりましたけど、この高瀬家では使用人との距離がとても近いんです。ですから、そういう男女の関係を知られることが、とても恥ずかしくて。
でも、旦那さまもお清さんも銀司さんも、そういう部分は気になさらないと申しますか。
ただ一人気にしている自分だけが、おかしいのかと思えてしまいます。
「そういえば、学校で生徒たちが別荘に行くとか、話していたな」
「ええ、そうですね。わたくしも訊かれました」
友人の文子さんに、いつものように別荘で夏を過ごすのかと問われ、ちゃんと返事ができなかったことを思い出します。
笠井の家はすでに別荘を売り払っていますし、家を出たわたくしにはそもそも関係のないことですから。
「下界は暑いからな。森なり高原なりに別荘があってもいいかもしれない」
「お求めになるのですか?」
「考えておこう」
旦那さまは、お箸を置いてお話しなさいます。
「俺が一人だけなら、興味もないのだが。翠子さんと一緒なら別荘で過ごすのもいいと思えるのだから、不思議だな」
「素敵だと思います……けど」
相当、お高いですよね。
土地や建物の値段だけではなく、維持費もお高いはずです。どれほどかかるのか分かりませんが。
そんなわたくしの考えをお読みになったのか、旦那さまは「ふっ」とお笑いになります。
「翠子さんなら知っているだろう? 澄んだ鳥のさえずりで目を覚ますと、早朝の大気は森の色に染まって、朝靄が緑に染まるんだ」
「はい。誰も起きていない森の中をお散歩するのが、とても素敵で」
「そうそう。草に下りた朝露が、足を濡らすんだよな」
「空気がとても新鮮なんです」
はっ。いけません。つい熱が入ってしまいました。
旦那さまは、身を乗り出したわたくしをご覧になって「うんうん。欲しくなるだろ?」とうなずいておられます。
もうとっくに帰宅なさったお清さんは、ダイニングに夕食を用意してくださっていました。
蠅が来ないように、料理にはふわりと布巾が掛けてあります。
――お坊ちゃま。翠子さんに無理強いなさらないように。ちゃんと翠子さんにお夕飯をさしあげてください、くれぐれもお願いしますよ。
お清さんの書き置きがテーブルに置いてあります。
は、恥ずかしいです。そうですよね、夕食も食べずに愛し合っていたのですから。
「分かってるんだよ、自制すべきだということは。分かってるんだけどなぁ。難しいんだよ」
しげしげと書き置きを眺めながら、旦那さまは椅子に腰かけました。
布巾をめくると、おにぎりが作ってありました。俵型の、小さくて食べやすそうなおにぎりです。
しっとりとした海苔の巻かれたおにぎりは、塩味が効いています。
それに牛肉のしぐれ煮と、西洋セリと油揚げの煮びたし。どれも冷めても美味しいです。
もしかして、わたくしたちが夜食として食べることを察して、このような献立なのでしょうか。
そう考えると、やはりとても……羞恥心を覚えます。
「旦那さまは、気にならないのですか?」
「なにが? ああ、書き置きとか、握り飯に塩が効いていることか?」
「お塩がなにか関係あるのですか?」
「汗をかいただろう? そういう場合は、塩分がいいんだ」
汗……。先刻まで、旦那さまと汗まみれになったことを思い出し、わたくしは照れてうつむいてしまいました。
「風呂で汗を流したから、別に気にすることもないだろうに。それに前にも言ったが、あなたの学校があるからすぐには無理でも、お清は俺とあなたの子どもを見たいと思っているんだぞ」
それは、そうなのかもしれませんけど。
わたくしは、旦那さまが注いでくださった麦茶を飲みました。
「ほら、ちゃんと食べなさい」
旦那さまが、大皿から牛肉のしぐれ煮を取り分けてくださいます。味付けはどちらかといえば薄味で、生姜の風味が効いています。
「そういえば生姜は、体を温める作用があったな」
「そ、そうですね」
「夏とはいえ、服を着ていないと体は冷えるからな」
わたくしは、お行儀悪く麦茶をふいてしまいました。
「すみません」と、慌てて布巾で口元やテーブルを拭きますが、旦那さまは平気なのですね。
笠井の家にも使用人はおりましたけど、この高瀬家では使用人との距離がとても近いんです。ですから、そういう男女の関係を知られることが、とても恥ずかしくて。
でも、旦那さまもお清さんも銀司さんも、そういう部分は気になさらないと申しますか。
ただ一人気にしている自分だけが、おかしいのかと思えてしまいます。
「そういえば、学校で生徒たちが別荘に行くとか、話していたな」
「ええ、そうですね。わたくしも訊かれました」
友人の文子さんに、いつものように別荘で夏を過ごすのかと問われ、ちゃんと返事ができなかったことを思い出します。
笠井の家はすでに別荘を売り払っていますし、家を出たわたくしにはそもそも関係のないことですから。
「下界は暑いからな。森なり高原なりに別荘があってもいいかもしれない」
「お求めになるのですか?」
「考えておこう」
旦那さまは、お箸を置いてお話しなさいます。
「俺が一人だけなら、興味もないのだが。翠子さんと一緒なら別荘で過ごすのもいいと思えるのだから、不思議だな」
「素敵だと思います……けど」
相当、お高いですよね。
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そんなわたくしの考えをお読みになったのか、旦那さまは「ふっ」とお笑いになります。
「翠子さんなら知っているだろう? 澄んだ鳥のさえずりで目を覚ますと、早朝の大気は森の色に染まって、朝靄が緑に染まるんだ」
「はい。誰も起きていない森の中をお散歩するのが、とても素敵で」
「そうそう。草に下りた朝露が、足を濡らすんだよな」
「空気がとても新鮮なんです」
はっ。いけません。つい熱が入ってしまいました。
旦那さまは、身を乗り出したわたくしをご覧になって「うんうん。欲しくなるだろ?」とうなずいておられます。
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