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四章
10、名前
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俺たちが家に戻ると、すでにお清は近所の自分の家に帰っていた。銀司をはじめとする他の使用人もいない。
風呂は沸かしてくれているので、ありがたいことだ。
それにしても、驚いた。
いや、翠子さんが俺のことを思い出すなんて、有り得ないだろ。こういう言い方をしては失礼だが……だが、事実なので言わせてもらう。
はっきり言って、翠子さんは記憶力が良くないぞ。
俺は彼女に惚れ込んでいるが、担任なので公私混同はしない。一年の時からの翠子さんの数学のテストを採点するたびに「どうして公式を当てはめるだけの問題が解けないんだ」と、何度歯噛みしたことか。
きっと公式すら、彼女の頭に入っていないのだろうと、落胆して肩を落としたことも数えきれない。
そう、たとえば数学の宿題を教えている時のことだ。
「はい。そのことでしたら、よく覚えております。忘れもしませんよ。えーと、なんでしたっけ」などと言われたことも、ある。
「はっ!」
俺は、気づいた。もしかしたら翠子さんは……。
「翠子さん。俺の名前を覚えているか?」
「高瀬先生です。忘れるはずないです」
「いや、苗字ではなくて」
廊下を歩く翠子さんを追い越して、彼女の前方に立つ。
翠子さんは、にこにこと微笑むけれど。名前を口にしてはくれない。
……怪しいなぁ。
俺たちの部屋である座敷に戻ると、翠子さんは着替え用の衝立の後ろへと向かった。
お清が気を利かせて用意したものだ。
「翠子さん、こちらへ」
部屋の行灯に明かりをつけながら、俺は翠子さんを手招きした。
朝になれば、あなたは生徒で俺は担任だ。だから、この夜はあなたを独り占めしたい。
「なんでしょうか。旦那さま」
「名前で呼んでほしいと言ったはずだが」
「いえ、それは……その。間違って学校で、口にしてしまったら困りますから」
「なるほど、一理あるな」
姿見の鏡台の前に翠子さんを立たせる。蛍狩りに出かける前にベルトのずれを直してやった時のように、俺は彼女の後ろに立った。
翠子さんのセーラーの衿を広げ、ボタンを一つずつ外していく。
「あの、着替えなら自分で……」
背後に立つ俺を、翠子さんが見上げてくる。頼りない行灯の明かりに、とまどう表情が浮かび上がる。
「あなたは学校で、俺のことを『旦那さま』と呼びそうになった。確かに教室で俺の名を呼ぶのは、まずいだろう。だから、卒業するまでは『旦那さま』で我慢しよう」
「え、ええ」
「だが、あなたを抱いている間だけは、名前で呼んでほしい。さすがにあなたでも、混同はしないだろう」
翠子さんは、うなずいた。
俺がワンピースのボタンを全部外すと、恥じらいながら胸を手で隠そうとする。
そんなことをしても無駄なのに。
中途半端に脱がされたワンピース。今の翠子さんは、肩や胸をはだけた状態だ。その姿が鏡に映るので、顔を背けて瞼を閉じている。
「……恥ずかしいです。鏡に布をかけてください」
「無理だな」
背後から翠子さんにくちづける。いつもと違う角度からなので、うまく重なり合わない彼女の唇を、軽く噛む。
「や、痛いです」
「そうだな。痛くしている」
俺は翠子さんの露わになった肩に歯を立てた。思わぬ場所への刺激に、彼女は首を振る。そのたびに黒髪が乱れ、愛らしい少女から妖艶な女性へと変化を遂げるようだった。
風呂は沸かしてくれているので、ありがたいことだ。
それにしても、驚いた。
いや、翠子さんが俺のことを思い出すなんて、有り得ないだろ。こういう言い方をしては失礼だが……だが、事実なので言わせてもらう。
はっきり言って、翠子さんは記憶力が良くないぞ。
俺は彼女に惚れ込んでいるが、担任なので公私混同はしない。一年の時からの翠子さんの数学のテストを採点するたびに「どうして公式を当てはめるだけの問題が解けないんだ」と、何度歯噛みしたことか。
きっと公式すら、彼女の頭に入っていないのだろうと、落胆して肩を落としたことも数えきれない。
そう、たとえば数学の宿題を教えている時のことだ。
「はい。そのことでしたら、よく覚えております。忘れもしませんよ。えーと、なんでしたっけ」などと言われたことも、ある。
「はっ!」
俺は、気づいた。もしかしたら翠子さんは……。
「翠子さん。俺の名前を覚えているか?」
「高瀬先生です。忘れるはずないです」
「いや、苗字ではなくて」
廊下を歩く翠子さんを追い越して、彼女の前方に立つ。
翠子さんは、にこにこと微笑むけれど。名前を口にしてはくれない。
……怪しいなぁ。
俺たちの部屋である座敷に戻ると、翠子さんは着替え用の衝立の後ろへと向かった。
お清が気を利かせて用意したものだ。
「翠子さん、こちらへ」
部屋の行灯に明かりをつけながら、俺は翠子さんを手招きした。
朝になれば、あなたは生徒で俺は担任だ。だから、この夜はあなたを独り占めしたい。
「なんでしょうか。旦那さま」
「名前で呼んでほしいと言ったはずだが」
「いえ、それは……その。間違って学校で、口にしてしまったら困りますから」
「なるほど、一理あるな」
姿見の鏡台の前に翠子さんを立たせる。蛍狩りに出かける前にベルトのずれを直してやった時のように、俺は彼女の後ろに立った。
翠子さんのセーラーの衿を広げ、ボタンを一つずつ外していく。
「あの、着替えなら自分で……」
背後に立つ俺を、翠子さんが見上げてくる。頼りない行灯の明かりに、とまどう表情が浮かび上がる。
「あなたは学校で、俺のことを『旦那さま』と呼びそうになった。確かに教室で俺の名を呼ぶのは、まずいだろう。だから、卒業するまでは『旦那さま』で我慢しよう」
「え、ええ」
「だが、あなたを抱いている間だけは、名前で呼んでほしい。さすがにあなたでも、混同はしないだろう」
翠子さんは、うなずいた。
俺がワンピースのボタンを全部外すと、恥じらいながら胸を手で隠そうとする。
そんなことをしても無駄なのに。
中途半端に脱がされたワンピース。今の翠子さんは、肩や胸をはだけた状態だ。その姿が鏡に映るので、顔を背けて瞼を閉じている。
「……恥ずかしいです。鏡に布をかけてください」
「無理だな」
背後から翠子さんにくちづける。いつもと違う角度からなので、うまく重なり合わない彼女の唇を、軽く噛む。
「や、痛いです」
「そうだな。痛くしている」
俺は翠子さんの露わになった肩に歯を立てた。思わぬ場所への刺激に、彼女は首を振る。そのたびに黒髪が乱れ、愛らしい少女から妖艶な女性へと変化を遂げるようだった。
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