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一章
4、夕食
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初日の夜。
用意された浴衣に着替えたわたくしは、高瀬先生と座敷でお膳を並べて食事をとりました。
実家では、少しでも負債を返すために節約の日々でしたから。日々、漬物とメザシ、それに白米なんて贅沢なので雑穀を混ぜたものを食しておりました。
学校に持っていくお弁当も、梅干しを一つ入れただけで。わたくしはいつも恥ずかしくて、級友に見られないようにこっそりと蓋で隠しながら食べていたものです。
今は没落したとはいえ、わたくしも男爵家の娘です。
友人たちは優しいですから、わたくしの質素なお弁当を見ても、からかう人などおりませんでした。
もちろん気位の高い華族のお嬢さまもいらっしゃいます。
わたくしはお付き合いがないので、あまり話すことはないですが。
「あの、こんな贅沢な食事をいただいていいんですか?」
「どうぞ?」
座布団に座るわたくしの前に置かれたのは、とても素敵なお料理です。
アワビの刺身を水に浮かべ、薄く切ったきゅりを彩りに散らした水貝。これは海が近い土地だからでしょう。それに蓴菜の酢の物。
かりっと揚がったてんぷらは、海老と夏の季節のお野菜。
ああ、なんと久しぶりなんでしょう。
「てんぷらは、天つゆにするかい?」
「いえ、お塩でいただきます」
こんな素晴らしいてんぷらは、そのまま素材の味を楽しみたいではありませんか。
わたくしは、うきうきと塗りのお箸を手にしました。
「食べさせてあげようか?」
「はい?」
突然の先生の申し出に、わたくしは声が裏返ってしまいました。
食べさせるですって? なんという冗談を仰るのでしょう。
そう思ったのに、先生の顔は真面目でした。
「あの、自分で食べられますけど」
「そりゃあね。でも、俺が翠子さんに食べさせてあげたいんだ。いいだろう?」
「でも、高瀬先生」
「欧之丞でいい」
そんな急に名前で呼ぶなんて無理です。
「で、では。旦那さま」
呼びかけると、高瀬先生は目を大きく見開きました。なにか驚かせるようなことを言ったのでしょうか。
「ふぅん。旦那さま、か。使用人みたいな呼び方だが、すぐに俺のことを『欧之丞』とも呼びにくいだろうし。まぁ、いいだろう。そう呼びなさい」
「はい、旦那さま」
高瀬先生は、ご自分の座布団をわたくしの方へと押しやりました。そして足を崩して座り、わたくしの手から箸を奪ったのです。
「いいかい、翠子さん。君は俺のことを『旦那さま』と言う。ならば『旦那さま』の言うことには従わないといけない。そう思うだろう」
「はい。だって旦那さまであり、先生なのですから」
「生真面目だな、君は」
柔らかな笑みを先生が浮かべました。
学校では、あまりお見かけしない表情です。
端正な顔立ちで女学生に人気はありますが、厳しい印象の先生ですから。こうして家での素顔を見られるのは、少し嬉しいかもしれません。
「冷めないうちに、てんぷらをどうぞ」
ぱらぱらと塩をかけて、先生が箸で海老のてんぷらを挟みます。わたくしの口元にそれを持ってきましたが。これは、口を開けばいいのでしょうか。
箸を持つ先生の手は大きくて、白墨を持つ手と同じです。当たり前のことですが。
ふと教室で黒板の前に立つ高瀬先生の姿が浮かんで、思わず顔を背けてしまいました。
「いらないのかい?」
「は、恥ずかしいんです」
「ふぅん、これくらいで? えらく可愛いことを言うね」
先生が目を細めます。楽しそうに見えるのですが、その楽しさがわたくしにはよく分かりません。
「そうだな。翠子さんから口をつけて」
「あの、何を仰っているんですか」
「だから、俺は動かない。君がこれを食べに来るんだ。そのまま俺の膝に手をかけて、体を乗せなさい」
あまりにも無茶な言葉に、わたくしは唖然と口を開いてしまいました。
生徒が先生の膝に乗って、食事を食べさせてもらうですって?
用意された浴衣に着替えたわたくしは、高瀬先生と座敷でお膳を並べて食事をとりました。
実家では、少しでも負債を返すために節約の日々でしたから。日々、漬物とメザシ、それに白米なんて贅沢なので雑穀を混ぜたものを食しておりました。
学校に持っていくお弁当も、梅干しを一つ入れただけで。わたくしはいつも恥ずかしくて、級友に見られないようにこっそりと蓋で隠しながら食べていたものです。
今は没落したとはいえ、わたくしも男爵家の娘です。
友人たちは優しいですから、わたくしの質素なお弁当を見ても、からかう人などおりませんでした。
もちろん気位の高い華族のお嬢さまもいらっしゃいます。
わたくしはお付き合いがないので、あまり話すことはないですが。
「あの、こんな贅沢な食事をいただいていいんですか?」
「どうぞ?」
座布団に座るわたくしの前に置かれたのは、とても素敵なお料理です。
アワビの刺身を水に浮かべ、薄く切ったきゅりを彩りに散らした水貝。これは海が近い土地だからでしょう。それに蓴菜の酢の物。
かりっと揚がったてんぷらは、海老と夏の季節のお野菜。
ああ、なんと久しぶりなんでしょう。
「てんぷらは、天つゆにするかい?」
「いえ、お塩でいただきます」
こんな素晴らしいてんぷらは、そのまま素材の味を楽しみたいではありませんか。
わたくしは、うきうきと塗りのお箸を手にしました。
「食べさせてあげようか?」
「はい?」
突然の先生の申し出に、わたくしは声が裏返ってしまいました。
食べさせるですって? なんという冗談を仰るのでしょう。
そう思ったのに、先生の顔は真面目でした。
「あの、自分で食べられますけど」
「そりゃあね。でも、俺が翠子さんに食べさせてあげたいんだ。いいだろう?」
「でも、高瀬先生」
「欧之丞でいい」
そんな急に名前で呼ぶなんて無理です。
「で、では。旦那さま」
呼びかけると、高瀬先生は目を大きく見開きました。なにか驚かせるようなことを言ったのでしょうか。
「ふぅん。旦那さま、か。使用人みたいな呼び方だが、すぐに俺のことを『欧之丞』とも呼びにくいだろうし。まぁ、いいだろう。そう呼びなさい」
「はい、旦那さま」
高瀬先生は、ご自分の座布団をわたくしの方へと押しやりました。そして足を崩して座り、わたくしの手から箸を奪ったのです。
「いいかい、翠子さん。君は俺のことを『旦那さま』と言う。ならば『旦那さま』の言うことには従わないといけない。そう思うだろう」
「はい。だって旦那さまであり、先生なのですから」
「生真面目だな、君は」
柔らかな笑みを先生が浮かべました。
学校では、あまりお見かけしない表情です。
端正な顔立ちで女学生に人気はありますが、厳しい印象の先生ですから。こうして家での素顔を見られるのは、少し嬉しいかもしれません。
「冷めないうちに、てんぷらをどうぞ」
ぱらぱらと塩をかけて、先生が箸で海老のてんぷらを挟みます。わたくしの口元にそれを持ってきましたが。これは、口を開けばいいのでしょうか。
箸を持つ先生の手は大きくて、白墨を持つ手と同じです。当たり前のことですが。
ふと教室で黒板の前に立つ高瀬先生の姿が浮かんで、思わず顔を背けてしまいました。
「いらないのかい?」
「は、恥ずかしいんです」
「ふぅん、これくらいで? えらく可愛いことを言うね」
先生が目を細めます。楽しそうに見えるのですが、その楽しさがわたくしにはよく分かりません。
「そうだな。翠子さんから口をつけて」
「あの、何を仰っているんですか」
「だから、俺は動かない。君がこれを食べに来るんだ。そのまま俺の膝に手をかけて、体を乗せなさい」
あまりにも無茶な言葉に、わたくしは唖然と口を開いてしまいました。
生徒が先生の膝に乗って、食事を食べさせてもらうですって?
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