上 下
2 / 28
一章

1、颱風の夜【1】

しおりを挟む
 それは秋の颱風たいふうの夜でした。一人暮らしのわたし、水野貴世子きよこは、建てつけの悪い雨戸を閉めようと、ガタガタと派手な音を立てながら奮闘していたのです。
 古い木の雨戸は重く、しかもどこかに引っかかったのか途中で動かなくなってしまいました。

 明治の初め頃に建てられたお家は、大正の今となっては古びて見えます。
 かつてはお父さまやお母さま、それにねえや達使用人も大勢いたのですが。
 両親は過労がたたり、二人とも去年亡くなってしまい。使用人たちも辞めていき、今ではわたし一人きりです。

「ひっ」

 いきなり、バサバサと何かが戸袋から飛び出してきました。
 突然のことに、わたしはその場に固まってしまったんです。

 それは小さな蝙蝠こうもりでした。まるで蝶々のようにひらひらと翼をひらめかせながら、雲が重く垂れこめた空へと飛んでいきます。

「う……蝙蝠でも居てくれた方が良かったかも」

 ああ、こんなことなら猫か犬でも飼うのだったわ。わたしは風雨で湿った左右の三つ編みに触れました。

「颱風が来るだなんて。測候所は、逸れると言っていたのに」

 町の掲示板に貼られた気象予報との違いに文句を吐きながら、無駄な努力を続けます。
 木の葉交じりの雨。腕には濡れた葉が張りつき、木綿の着物もぐっしょりと濡れています。

 どうしよう。このままでは窓が割れるかもしれません。
 ゴオッという風の音。ひときわ強い雨に、顔と腕を叩かれました。

 すでに縁側は雨で濡れ、木の床がてらてらと光っています。
 
「うーん、何とか。あと少しでも動けば」

 力を込めて雨戸を引いたとき、濡れた指が滑ってしまいました。

「あっ」と思った時には、わたしの体は廊下に叩きつけられていたのです。
 なんて情けないの。したたかに打った腰は痛く、女一人の力では何もできないことが情けなくなります。

 両親が健在だった頃は、あんなにも賑やかな家だったのに。
 がらんとした広い家に、今はわたし唯一人。
 
「おいおい、大丈夫か?」

 背後から声がして、わたしはぎょっとしました。
 恐る恐る振り返れば、ちかちかと点滅する電燈に照らされて一人の男性が立っています。
 年の頃は三十くらいでしょうか。頬に刀傷のようなものがあり、びしょ濡れの背広を着て縁側にいるんです。

 え? いつ入ってきたの? どこから? というかあなた、誰?

「勝手口が開いとったで。ちゃんと鍵を閉めんとあかんやんか」

 強面のその人は「まぁ、俺が閉めといたから」と、ぼそっと呟きました。

 閉めるって中からですよね。思いっきり不審者が入り込んでますけど。
 混乱のあまり口を開くことも出来ずにいると、その人は雨戸を閉め、まるで勝手知ったる我が家とでも言いたげに箪笥を開いたんです。

「ほら、手拭いで拭いとき。風邪引くで」
「え、あの。どうして」
「まぁ、ええやん。ただのお遣いや。婦女子は体を冷やしたらあかんねんで」

 その不審者はわたしの頭に青い豆絞りの手拭いを載せました。そして失礼なことを呟いたの。

「えらいぼろぼろの手拭いやな。端なんかほぼ繊維やんか、やっぱり金欠なんやな」

 あまりな言いように、わたしは顔がかーっと熱くなるのを感じました。
 ええ、慎ましい生活でした。
 父が事業に失敗し……正確には騙されて会社を失い、それで両親とも身を粉にして働き、そして倒れてしまったんです。
 
 結局、借金を返せなかったせいで、この家も近々手放すことが決まっています。
 
 女學校に通いながら、わたしもお裁縫の内職をしていたのですが。その程度では、生活費の足しにしかなりません。結局、退學を余儀なくされました。

「こんなうっすい布きれでは、水も吸わへんやろ」

 男はそう言うと、自分の鞄の中から手拭いを出して、わたしの頭と頬を拭いたんです。
 ふかふかのお日さまの匂いのする手拭い。これは舶来のものだわ。

「ご親切にどうも、不審者さん」
「ふ……不審者」
「不審者でも紳士でいらっしゃるんですね」

 わたしの言葉に不審者紳士は「あー、参ったな」と天井を仰ぎました。
 電燈がちかちかと明滅しています。もしかしたら停電になるのかもしれません。

「俺の名前は名原なばら幾久司いくじ。まぁ、いわゆる組のもんや」
「く、くみ……」

 ええ、その組の示すものが學校の東組や西組でないことは明白です。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない

絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

処理中です...