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三章

13、夜のお風呂【2】

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「湯、熱なかったか?」と俺が尋ねると、絲さんは「大丈夫です」と言ってくれた。
 よかった。熱いのもあかんけど、冷たいのも体に悪いもんな。

 実は絲さんには内緒やけど。俺は何回か洗髪の練習をした。組員相手に。
 基本的には角刈りとか、短髪の奴が多いんやけど。中には気障に髪を伸ばした奴もおる。
 断髪令が施行され、ざんぎり頭が流行ったんも随分と前のことや。

 しばしその時のことを思い出す。場所は、今と同じ風呂やった。
 他にも風呂はあるが、そっちはうちで暮らしとう奴らが使うから、俺はよう知らん。

カシラぁ。爪立てんといてくださいよ」
「あぁ? 気持ち悪いこと言いなや。誰がお前に爪立てるんや」
「いや、そういう意味じゃなくて……」

 頭に泡を載せられた奴は、情けない声を出した。
 ふん。絲さんが俺の背中に爪を立てるんはええけど。そういうのは会話ですら、他の奴としたないわ。

 けど、実際は心の中では寂しかった。
 その時は、絲さんを遠野の実家に戻しとったから。彼女の髪を洗ろたる日が、また来るとは正直信じてへんかった。
 それでも諦めきれんと、練習するのは未練やな。
 俺は、こんなに未練たらしい奴やったんやな。
 
カシラ。あの泡が」

 ああ、きめ細かい泡やな。これを絲さんのすべらかな肌に載せて、存分に撫でたいなぁ。

「あのぉ、そこ髪やのうて肩なんですけどぉ」
「なんでお前の肩は、そないに盛り上がって筋肉がついとんや」
「無茶言わんといてくださいぃ」

 そいつは涙声になって訴えてきた。泣きたいんはお互いさまや。こっちかって、男のごわごわした髪なんか洗いたないし、ごつごつした肩なんか撫でたない。

「ああ、絲さん。なんで俺は手放してしもたんやろ」

 しゃぼんの泡や立ちのぼる湯気と共に、俺の呟きは儚く消えた。

「迎えに行きはったらええやないですか。あんな小柄な娘、攫うのわけないでしょうが」
「うるさい、黙れ」

 俺は桶に湯を汲むと、そいつの頭上にぶちまけた。

「冷たっ、痛っ」
「ああ、水やったか。すまんな」

 ふん、温度なんか知るか。夏やから水風呂でも風邪も引かへんやろし、火傷せんかったら問題ないわ。

 果たしてあの粗雑で乱暴な洗髪は、練習になったんやろか。

 まぁええか、と俺は気を取り直して回想をやめた。

 泡立てた石鹸で、絲さんの髪を洗っていく。絹糸みたいに細くて柔らかい髪や。触れるんが申し訳なくなるほどに。

「寒いやろ」と声を掛けつつ、彼女の肩に湯をかけてやる。ちゃんと指で適温か確認して。夏風邪を引いたら治りが遅いもんな。それに火傷せんかっても、熱かったら肌が赤なってしまう。

「蒼一郎さんは丁寧なんですね」
「そうやで。俺は何でも丁寧なんや」

 いけしゃあしゃあと嘘を言っている訳ではない。絲さんに対しては、何でも丁寧なんや。もちろん抱くときも。

 おっと、あかんあかん。互いに服を着ていない状態で向かい合って、妙なことを考えてしもた。
 もう今日は、絲さんに無茶はせぇへんのや。自粛、自粛。
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