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第二部六章 軍師

城攻めと犠牲

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 ――その翌日の未明から、武田軍による烏峰城攻めが本格的に始まった。

 古城山の頂上に築かれた烏峰城は、本丸・二の丸・三の丸に加え、南西に出丸を配した構造の山城で、そこまで大規模な城では無いものの、要所には堅牢な石垣が組まれていた事もあって防御力は高い。
 ……だが、かつて烏峰城を攻め落とした久々利頼興から『城の北東にどうしても防御が薄くなる急所がある』という情報を得た武田信繁は、真田幸綱を主将にした一隊を久々利衆と共にそこへ送り込んだ。
 久々利頼興の先導で夜明け前の暗い中、灯りも点けずに細く険しい獣道を伝って山を登った真田幸綱隊は、日が昇る直前を狙って城へと攻め寄せたのである。
 烏峰城の守備兵たちは、武田軍の主力が集まった南西の出丸に集中していたせいで、突然北東方向から大挙して攻め登ってきた真田隊への対処が遅れ、手薄だった東腰曲輪への侵入を許してしまい――勝負はそこで決した。
 幸綱の指揮で瞬く間に東腰曲輪を制圧された事で、烏峰城兵たちの間に強い動揺が広がる。
 南西の出丸で武田軍と戦っていた兵たちにも、真田隊の侵入を許したという悲報が伝わり、彼らは大いに浮足立った。
 逆に、出丸を守る城兵たちの抵抗が緩んだのを目敏く見抜いた信繁は、全軍に総掛かりの命を下す。
 信繁の命を受けた馬場信春・浅利信種らが一斉に攻勢を強めた事で、ほどなくして出丸は陥落し、次いで二の丸・三の丸も落ちた。
 残った本丸も、東腰曲輪から攻め寄せる真田隊と二の丸から殺到してくる武田本軍に挟撃される形になり、一刻 (約二時間)ほどの抵抗した後、降伏の意を表したのだった。

 以上のように、夜明け前に始まった烏峰城攻めは、午の刻 (午後零時)前には武田軍の圧勝という形で趨勢が決した。
 ……だが、このような一方的な戦いであっても、味方の犠牲は皆無という訳ではなかったのである。



 「……なに? それはまことか、弾正?」

 本陣の帷幕の中で、各将から戦果の報告を聞いていた信繁は、真田幸綱の報告に思わず眉を顰めた。

「久々利頼興が討ち死にしただと?」
「はっ」

 信繁の問いに、甲冑姿の幸綱は小さく頷く。
 その土埃に塗れた顔は、彼には珍しく神妙だ。
 そんな彼に、信繁は胡乱気な視線を向けながら問いかける。

「何があったのだ? お主が付いていながら……」
「面目次第も御座らん」

 幸綱は、信繁の言葉に頭を下げ、大きな溜息を吐いた。

「おそらく……欲が出たのでしょうなぁ。我らを東曲輪に導いた悪五郎殿は、そのまま本丸を目指して突出なされ、奮闘している最中に飛んできた敵の流れ弾に当たり……不運としか申せませぬ」
「……本当か?」

 幸綱の話を聞いた信繁は、険しくした隻眼で彼の顔をじっと見据える。
 その鋭い視線を受けながら、幸綱は神妙な表情を崩さずに大きく頷いた。

「間違い御座らぬ。悪五郎殿が銃弾を喉元に受けて斃れるのを、この目でしっかり見届け申し――」
「そうではない」

 信繁は低い声で幸綱の言葉を途中で遮り、眉間に深い皺を寄せながら、言葉を続ける。

「“たまたま飛んできた敵の流れ弾”……それは本当か?」
「……と、申しますと?」

 幸綱は、信繁の問いかけに対して、大げさに首を傾げながら訊き返した。
 そのわざとらしさを感じさせる幸綱の反応に、信繁は更に表情を険しくしながらも、殊更に感情を抑えた様子で言葉を継ぐ。

「……久々利を斃した銃弾……それは、?」
「…………はて、どうでしょうな」

 信繁が重ねた問いに、幸綱は小刻みに首を左右に振って答えた。

「何せ、結構な乱戦でしたからなぁ。悪五郎殿に当たった弾が敵味方のどちらから飛んできたのかなど、ワシには分かりかね申す。何せ、銃弾に名前が書いてある訳では御座らぬからのう、カッカッカッ!」
「弾正! 下らぬ冗談ではぐらかすな!」

 大きく口を開けて笑い飛ばす幸綱を、信繁が一喝する。
 珍しく声を荒げた信繁に、その場に控えていた武藤昌幸と馬場信春が驚いた表情を浮かべた。
 そんなふたりの表情も気付かぬほどに激昂した信繁は、幸綱の顔を怒りに満ちた目で睨みつける。

「弾正、お主……まさか、乱戦にかこつけて、独断で久々利の事を――」
「て――典厩様!」

 声を荒げる信繁を、昌幸が慌てて制した。

「お怒りになるお気持ちは分かりますが、それ以上はご諒恕下され! こう見えて、親父殿の武田家に対する忠義は確かなものに御座ります! 此度の事も、武田家の為を思ってこそ――」
「源五郎! お主は黙っておれ!」

 必死で幸綱の事を庇おうとする昌幸を強い言葉で制したのは、馬場信春である。 
 歴戦の猛将の叱責に固まる昌幸。
 そんな彼に思わせぶりな目くばせをした信春は、険しい顔をしている信繁に向けて静かに言った。

「……典厩様。一徳斎殿の言を疑い、罪を問うのであれば、某も同罪として処して頂きとう御座る。久々利殿の身を一徳斎殿に委ねたのは、他ならぬ某ゆえ」
「ば、馬場様……それは……!」

 信春の言葉を聞いた昌幸が、驚きで声を上ずらせる。
 一方の信繁は、更に眉間の皺を深くしてから、大きくかぶりを振った。

「……違う。そうではない」

 そう言うと、彼は幸綱に険しい顔を向ける。

「儂は……美濃はもちろん、弾正の罪を問う気は無い。……弾正の話か真かどうかは別にして、な」

 と、彼は小さく息を吐き、今度は哀しそうな表情を浮かべた。

「……儂が咎めたのは、弾正が儂に一言も話をしなかった事だ」
「……!」
「弾正よ」

 信繁は、無言で頭を下げた幸綱に向け、静かな声で言う。

「お主がどう考えていたのかは、何となく分かる。万が一事が露見した際、儂に責が及ばぬようにという配慮なのだろう?」
「……」
「……だが、そのような気遣いはやめてくれ」
「……!」
「儂は、此度の美濃攻めを任されておる総大将だ。お主ら、配下の将の行動に対する責を負う立場なのだ。その責は『知らなかった』では免れぬし、お屋形様から拝命している以上、免れるつもりなど微塵も無い」

 そうきっぱりと言い切った信繁は、頭を垂れた幸綱に向け、諭すように言った。

「だから、今後、此度のような事を仕出かそうとするのならば、必ず儂に話せ。儂に総大将……いや、武田家の副将としての責をしっかりと負わせてくれ。――頼むぞ」
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