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第二部六章 軍師

糞親父と愚息

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 「カッカッカッ! 御無沙汰しておりますぞ、典厩殿!」
「げ――!」

 信春の招きに応じて本陣の帷幕の中に入ってくるなり、馬鹿笑いを上げながら馴れ馴れしい声を信繁にかけた僧形の男の顔を見た瞬間、昌幸はあんぐりと口を開けた。

「な……なんで貴方が斯様な所に居るのですか、親父殿……?」
「カッカッカッ! お前も元気そうじゃの、源五郎よ! 結構結構!」

 顔を顰めながら尋ねた昌幸に、僧形の男――真田弾正忠幸綱は満面の笑顔を浮かべながら手を振ってみせる。

「聞いたぞ、源五郎! お前、此度の戦ではなかなかの働きぶりだったそうではないか? まあ、北信濃攻略の際のワシに比べればまだまだじゃがな、カッカッカッ!」
「……」

 愉快そうに呵々大笑する父親にこの上なく渋い顔をしつつ、昌幸は訝しげに首を傾げた。

「……そんな事より、本当になぜ親父殿が美濃に居られるのですか? 貴方は、真田本城 (現在の長野県上田市真田町)にいらっしゃるはずでは……?」

 そこまで言ったところで、昌幸はハッと目を見開く。

「まさか……昨年の川中島の時と同様に、『面白そう』などといった動機でここまで勝手に戦見物いくさけんぶつしに――?」
「カッカッカッ! こりゃ源五郎! 『勝手に』などと、人聞きの悪い事を申すでないわい!」

 一年前の記憶を思い出して青ざめる昌幸の言葉に、幸綱は苦笑しながら首を横に振った。

「此度は、三河に出張なされておるお屋形様にきちんとお伺いを立ててお赦し頂いた上での参陣じゃ! お屋形様のご意向に逆らうつもりか、お前?」
「あ……本当にお屋形様がお赦しを……?」

 自分の答えを聞いて思わず目を丸くする昌幸にしたり笑いを向けた幸綱は、誰にも聞こえぬように「……まあ、『面白そう』だと思ったのは当たりじゃがな……」とこっそり付け加える。
 ――と、

「何はともあれ、お主が来てくれて心強い限りだ、弾正」
「カッカッカッ! 典厩殿にそう言って頂けただけで、わざわざここまで足を運んだ甲斐があったというものに御座る!」

 信繁の言葉に上機嫌で大笑する幸綱。
 そんな彼に苦笑しながら、信繁は傍らの信春に顔を向けた。

「にしても、随分と人が悪いな、美濃。弾正が加わっておるというのなら、事前に知らせてくれればよいものを」
「申し訳御座らぬ。何分、一徳斎殿 (幸綱の出家名)に固く口止めされておりましたゆえ……」
「カッカッカッ! そういう事です。ですから、あまり馬場殿をお責めになりませぬな、典厩殿」

 少し困った顔で頭を掻く信春を庇った幸綱は、おどけた顔で自分の坊主頭をペチリと叩いてみせる。

「クソ生意気な愚息が、居るはずの無いワシの顔を見て驚き呆ける様を見てみとう御座ってな。おかげ様で、なかなかに面白きものが見れて満足いたし申した!」
「この糞親父めが……」

 幸綱の言葉に、この上なく渋い顔をした昌幸が毒づいた。
 そんな彼の顔を見て思わず噴き出しかけた信繁だったが、すんでのところで堪え、咳払いをして誤魔化すと、気を取り直して口を開く。

「で……美濃よ」
「あ……、はっ!」

 幸綱と昌幸のやり取りを微笑みながら見ていた信春も、信繁に呼びかけられ、慌てて威儀を正した。
 信繁は、勝手に勧められてもいない床几に腰かけた幸綱をチラリと見てから、信春に尋ねる。

「先ほどお主が申しておった『役に立つ者』とは、弾正の事だったのだな」

 そう言った信繁は、小さく頷いた。

「確かに弾正ならば、この上なく心強い助太刀となろ――」
「お、お待ち下され、典厩様ッ!」

 信繁の声を慌てて遮ったのは、昌幸だった。
 彼は、間の抜けた顔で顎に浮いた無精髭を抜いている父親をジロリと睨みつけ、それから信繁へ向けて必死に訴えかける。

「い、今更親父殿の手……いや、など借りずとも、山城ひとつ程度なら拙者ひとりで充分に御座います! 二日……いや、一日お待ち下され! きっと烏峰城を落とす秘策を練り上げてみせ――」
「あぁ、それは違うぞ、武藤」

 意気込む昌幸を制したのは、信春の声だった。
 彼は申し訳なさそうに頭を掻きながら、軽く頭を振る。

「儂が『役に立つ者』と言うたのは、一徳斎殿の事ではないのだ」
「え……そうなのですか?」

 信春の言葉に意外そうな表情を浮かべる昌幸。
 それは、上座に座る信繁も同じだった。

「儂も、てっきり弾正の事かと思うたが……違うのか?」
「カッカッカッ! ご期待に沿えず、申し訳御座らぬ!」

 怪訝な顔をする信繁にそう答えた幸綱は、顎から抜いた髭を吹いて飛ばし、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。

「……まあ、ワシにお任せ頂ければ、で城を落とす策をひり出す事も可能では御座りますが」

 そう、当てつけのように言って昌幸に向けてニヤリと笑いかけた幸綱は、憮然とした息子に睨み返されるのも意に介さぬ様子で言葉を継いだ。

「――此度は、もっと手っ取り早く城を攻め落とせるを持つ者が居りましてな。その者を連れ、馬場殿と共にこの本陣まで罷り越した次第」
「城を攻め落とせる『知識』を持つ者?」

 幸綱の言葉を聞いた信繁は、訝しげに訊き返す。
 それに対して小さく頷いた信春は、帷幕の入り口に近付きながら尋ねる。

「中に通して宜しいですか?」
「……うむ」

 信春の問いかけに、信繁は昌幸と目を見合わせてから頷いた。
 それを確認した信春は、陣幕の間から外に顔を出し、そこに控える者に声をかける。

「――お待たせした。入られよ」
「はっ!」

 信春の声に応じ、陣幕の中に入って来たのは、四十ほどの齢の小柄な男だった。
 その顔には見覚えが無く、信繁と昌幸は互いの顔を見合わせる。
 信春の後に続いて信繁の前に進み出た男は、彼に向かって深々と一礼し、自分の名を名乗った。

「武田典厩様、お初にお目にかかり申す。某は、久々利三河守頼興に御座ります」
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