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第二部五章 応酬

終戦と合流

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 それから程なくして、戦いの趨勢は決した。

 突然自陣の後方に敵が現れた事で、後備で起こった動揺と恐慌は、瞬く間に斎藤軍全体に伝播した。
 斎藤軍の後方に攻めかかった武田軍の数は、実際には三百足らずほどだったが、指揮する武藤昌幸は、雨と偽旗と味方につけた兼山湊の川衆らによる喊声を巧みに利用し、敵に自隊の数を実際よりも多いものだと錯覚させたのである。
 その数の誤認は、斎藤軍の後備から中備、更に前備へと伝わるうちに雪達磨のように膨れ上がり、それを伝え聞いた兵たちの士気を大いに消沈させた。
 士気の低下は、軍の攻めの強さ、守りの堅さに如実な影響を与える。それは、陣の先端で武田本軍を迎え撃っていた前備も例外ではなく、後備の異変を知った各隊の動きが目に見えて鈍くなった。
 もちろん、その動揺を見逃す武田軍ではない。
 総大将の武田信繁は、盛んに掛かり太鼓を打ち鳴らさせ、保科・浅利隊をはじめとした各隊は、更に攻勢を強めた。
 耐え切れず、斎藤軍の最前線で総崩れに陥る隊がポツポツと出始める。
 それを見て、もはや勝機無しと悟った斎藤軍の総大将・安藤守就は、これ以上いたずらに傷口を広げぬよう、速やかに退却する事を決めた。
 本陣から上がった退き太鼓の音を聞いた斎藤軍の兵たちは、追ってくる武田軍の追撃によって少なからざる被害を出しながら退却し、這う這うの体で西に二里 (約八キロメートル)ほど離れた大井戸の渡し (現在の岐阜県美濃加茂市太田本町)付近まで後退したのだった――。

 ◆ ◆ ◆ ◆

 申の刻 (午後三時)を過ぎた頃、挟撃の為に別動隊を率いていた武藤昌幸が、貴舩神社 (現在の岐阜県可児市兼山)に置かれた武田軍の本陣へ帰着した。

「典厩様!」

 先ほどまで降っていた豪雨で全身ずぶ濡れになったまま、神社の境内に張られた陣幕の中に入った昌幸は、彼と同じように濡れそぼった信繁の姿を見るや、上ずった声で叫んだ。
 床几に腰かけていた信繁は、陣卓子の上に広げられた地図に落としていた目を上げ、昌幸に向けて微笑みかける。

「おう、戻ったか、昌幸。怪我など無かったか?」
「せ、拙者の事などどうでもいいです!」

 信繁の言葉に激しくかぶりを振りながら、昌幸は珍しく取り乱した様子で声を荒げた。

「浅利様からお伺いしましたが……敵の狙撃を受けたと……!」
「……ああ、それか」

 昌幸の剣幕に苦笑しながら、信繁は傍らに置いてあった自分の兜を手に取る。
 そして、兜の後ろを指し示しながら答えた。

「案ずる事は無い。弾は当たっておらぬ。錣を掠めただけだ」
「か……『掠めただけだ』ではありませぬ!」

 無惨にも千切れ飛んでいる兜の錣に慄然としながら、昌幸は声を荒げる。

「も、もうあと数寸でも弾道がズレていたら、そうなっていたのは典厩様の首です!」

 顔面を蒼白にした昌幸は、信繁に深々と頭を下げた。

「……申し訳御座りませぬ……拙者の読みが甘う御座いました。まさか……敵が斯様な搦手の策を講じてこようとは……」
「そう気を落とすな、昌幸」

 信繁は、宥める様に声をかける。

「敵の手を予測できなかったのは、儂もだ」

 彼は持っていた兜の錣に目を落とし、更に言葉を継いだ。

「恐らく、敵方の真の狙いは、あの狙撃だった。山裾と木曽川に挟まれて最も狭くなった場に儂が差し掛かった瞬間を狙って、確実に総大将わしの命を奪う算段だったのだろう。……そうなれば」
「どんな軍でも、総大将が討ち取られてしまえば、たちまちのうちに崩れる……」

 信繁の言葉を聞いてそう呟いた昌幸は、ある可能性に思い当たり、ハッと息を呑む。

「まさか……あの馬防ぎの柵も、陣の内に仕込んであった罠も……いや、我らを迎え撃った斎藤軍自体が、我らの注意を前方に集め、山裾に潜んで典厩様を狙っている狙撃手の存在を隠す為の囮だった……?」
「……その可能性は捨てきれぬな」

 昌幸の推測に頷いた信繁は、ささくれ立った錣を掌で撫でながら、あの時の事を思い返す。

「……あの時、偶然後ろを振り返ろうとせねば、先ほどお主が申した通り、儂の首はこの錣のように吹き飛んでいた事だろう。――まんまと敵の術中に嵌ってしまっていたという事か」
「……やはり、かの者による策でしょうか?」

 そう信繁に問いかけた昌幸の頭に、ひとりの男の名が浮かんだ。

「竹中半兵衛重治……」
「おそらく、な」

 昌幸が口にした名に、信繁も同意を示す。

「噂に違わぬ知恵者ぶりよ。もし、半兵衛が総大将の安藤守就の側に居たならば、我らもこうやすやすと勝ちを得る事は出来なかったかもしれぬな」
「側に居たら……?」

 信繁の呟きを聞いた昌幸は、目を見開いた。

「では……やはり、半兵衛は斎藤軍の中に居なかった……?」
「ああ」

 昌幸の言葉に頷いた信繁は、帯に差していた采配を手に取ると、その柄で陣卓子の上に広げた地図の一点を指す。

「物見からの報告によれば、斎藤軍の別隊が八王子山に陣を構えたとの事だ。その旗印は――丸に九枚笹」
「半兵衛の旗印に間違い御座いませぬな」

 そう呟いた昌幸は、訝しげに首を傾げる。

「だが……妙だな。なぜ八王子山に半兵衛自らが布陣を?」
「言うほど妙か?」

 不審がる昌幸に、信繁が言った。

「八王子山は、烏峰城と久々利城の間に位置しておる。烏峰城を囲もうとする儂らと、久々利城を囲んでおる美濃 (馬場信春)たちの両方を牽制するには、最も適した地だ」
「おっしゃる通りです。ですが……」

 信繁の言葉に頷きつつも、昌幸は浮かぬ顔で指を顎に当てる。

「その代わりに、半兵衛は総大将の側を離れる事になります。そうなれば、千変万化する戦場の流れへの臨機応変な対応が出来なくなります。……特に、此度のような、双方が大小様々な策を弄した戦において、それは致命的な遅れに繋がりますし……事実、そうなりました」
「うむ……言われてみれば、確かに妙だな」

 昌幸の説明に、信繁も怪訝な表情を浮かべた。

「八王子山に兵を配置するのは、斎藤軍の軍師である半兵衛の発案だろうが……自らがその役を担うというのは、些か解せぬな」
「ええ」

 信繁の言葉に、昌幸は小さく頷いた。

「総大将である安藤守就は、確かに武勇に秀でてはおりますが……策を弄して戦う類の将ではありませぬ。それにもかかわらず、半兵衛は軍師としてその傍らで知恵を貸す事もせず、遠く離れた山に籠もるとは……」

 そう言った昌幸は、眉を顰めて考え込む。

「……もしかすると、半兵衛は、まだ腹の内に何かを秘めておるのかもしれません」
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