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第二部四章 衝突

城と乗っ取り

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 佐助の口から出た“安藤伊賀守守就”と“竹中半兵衛重治”という名を聞いた瞬間、信繁と昌幸は表情を変えた。

「斎藤龍興が、謹慎中の安藤守就を呼び戻す事は予測していたが……」
「まさか……あの竹中半兵衛までとは……」
「……喜兵衛よ」

 難しい顔をして考え込む昌幸に、正俊が尋ねかける。

「竹中とは……よもや、昨年起きたという稲葉山城乗っ取りの際の――?」
「……左様に御座ります」

 正俊の問いに、昌幸は小さく頷いて答えた。

「竹中半兵衛重治は、昨年の二月に、己の義父である安藤守就と共に一計を案じ、僅か二十名足らずの人数で斎藤家の本拠である稲葉山城を乗っ取った男です」



 ――斎藤右兵衛大夫龍興は、父の義龍が永禄四年 (西暦1561年)に他界した事を受け、僅か齢十四で美濃斎藤家の家督を継ぎ、稲葉山城の主となった。
 だが、彼は父や祖父である斎藤道三に比べて凡庸であり、それまで斎藤家を支えてきた美濃三人衆を疎んで重用せず、その代わりに斎藤飛騨守らを好んで用いる。
 飛騨守らは、主に胡麻を擦って仕えるような佞臣たちで、まだ年若い……むしろ幼いと言っていい龍興自身も、彼らの吐く甘言の心地よさにすっかり酔い、彼らに政を任せて、日々酒色に溺れる毎日を過ごしていたのだった。
 そんな主の体たらくを嘆き、斎藤家の将来を憂慮したのが、西美濃三人衆のひとりであった安藤伊賀守守就であり――彼の娘婿・竹中半兵衛重治である。

 竹中半兵衛は、美濃国大野郡大御堂城の城主だった竹中重元の子として、天文十三年(西暦1544年)に生まれた。
 永禄三年 (西暦1560年)に竹中家の家督を継いで菩提山城の城主となった半兵衛は、斎藤家の重臣である安藤守就の娘を娶り、斎藤家に属する事になる。
 彼は、龍興の家督相続の混乱に乗じて美濃国内に攻め込んできた織田信長軍を、その優れた知謀によって何度も撃退したのだった。

 ……だが、斎藤飛騨守ら取り巻きの家臣たちは、斎藤家の為に働く半兵衛の秀でた才気を良く思わず、むしろ疎んじ、半兵衛の悪評を主の龍興に吹き込んだ。
 龍興も、寵臣から聞いた陰口をあっさり信じ込み、半兵衛の事を冷遇する。
 それに味をしめた飛騨守たちは、主の威光を笠に着て、半兵衛の事――殊に彼の女子のような外見と性格を馬鹿にし、事ある毎に“女面男めづらおとこ”と揶揄からかった。
 そんな侮辱にも、半兵衛は涼しい顔をしたまま、穏やかな態度で聞き流すだけだった。……だが、その裏で、彼はとある策を講じ、着々と準備を整えていたのである。

 ――そして、遂にその時が来る。

 永禄七年 (西暦1564年)二月――、
 半兵衛は夜になるのを待ち、自分の弟であり、当時人質として稲葉山城に入っていた久作 (後の竹中重矩)の病気見舞いとして、義父である安藤守就と共に登城した。
 もちろん、久作の病は偽りである。
 彼らは、見舞いの品として大きな長持を持参していた。見舞品なので、門番は碌に調べもせずに城中への持ち込みを許したが、その中身は槍や甲冑などの武具類だった。
 まんまと城中に入り込んだ半兵衛たちは、素早く武具を身に着け、主である龍興を誑かす佞臣たちを排さんと、一気に本丸目がけて攻めかかった。
 まず彼らが討ち取ったのは、龍興の寵臣の中でも一番の大物である斎藤飛騨守である。彼はその日の宿直番頭とのいばんがしらでもあった為、頭を喪った形になった城兵たちは統制を喪い、たった二十名にも満たない半兵衛たちの攻勢を受けて、あっという間に潰走した。
 その中には、他ならぬ龍興自身も混じっていて、彼は寝間着姿のまま、這う這うの体で自分の城から逃げ出したのだった。

 たった二十名足らずの人数で美濃の中枢である稲葉山城を乗っ取った半兵衛たちの噂は、驚きと共に、瞬く間に各地へと伝わった。
 その中には、美濃を虎視眈々と狙っていた尾張の織田信長も居た。
 彼は、すかさず使者を稲葉山城に送り、「稲葉山城を携えて当方にくだるなら、褒美として美濃半国を与えよう」と持ちかけたという。
 ……だが、半兵衛と安藤守就は、その破格の誘いを断った。
 なぜなら、彼らが稲葉山城を乗っ取り、佞臣たちを討ち取ったのは、全て斎藤家の為だったからである。
 当時の彼らは、諸悪の根源は龍興ではなく、彼に甘言を囁き傀儡に仕立てている斎藤飛騨守らの佞臣たちであると考えていた。
 だから、信長からの度重なる帰順の誘いを悉く断り、乗っ取りから半年ほどが経過した同年八月に龍興が改悛したとみるや、実にあっさりと稲葉山城を返還する。
 『半兵衛が稲葉山城を龍興に返還した』という報せは、半年前と同じ……いや、それ以上の驚きを周囲の勢力に齎したのだった――。



 「――その後、安藤伊賀守は出家して自ら謹慎し、竹中半兵衛は家督を弟に譲って隠遁したと聞き及んでおるが……」
「はい」

 訝しげな正俊の言葉に、昌幸は小さく頷く。

「それは間違い御座りませぬ。かねてより美濃国内に放っていた乱破も、そのように申しておりました」
「ああ」
「……尻に火が点いた龍興が呼び戻したのであろうな」

 指で顎髭を頻りに撫でながら、信繁が呟いた。

「安藤以外の西美濃三人衆である氏家直元も稲葉良通も、居城が尾張に近い。織田との関係も予断を許さぬ状況にある以上、みだりには動かせぬ。そうなると、斎藤家の中で烏峰城への援軍を率いさせるに足る将は、安藤以外には居らぬ」
「如何に先年の遺恨があろうとも、最早そのような事を言っておられぬ状況では無いでしょうからな。切歯扼腕の思いで呼び戻したのでしょう」

 信繁に続いてそう言った昌幸は、可笑しそうに笑う。
 そんな彼につられるように苦笑しながら、信繁は頷いた。

「安藤も、主からの召し出しを断る理由は無かろう。そもそも、去年の稲葉山城乗っ取りの際の動きを見る限り、主である龍興への二心があった訳では無いようだからな」
「この乱世の中で、愚昧な主君への忠義を一途に貫き通そうとするとは、珍しき男ですな」

 正俊が、感嘆とも呆れともつかない表情を浮かべて言う。
 そんな正俊の言葉に頷いた信繁は、つと表情を曇らせた。

「だから、安藤が出てくる事は予測していたが……あの、竹中半兵衛までもか」
「……確かに、彼が出てくるとは――いや、彼が軍列に加わる事を主の龍興が赦すとは思いもしませんでした」

 そう言った昌幸は、佐助の方に顔を向けると、訝しげな顔で尋ねる。

「佐助……それは真なのか? 民たちが広めた根も葉もない噂ではないのか?」
「噂などではない」

 昌幸の問いに、佐助は憮然としながら首を横に振った。

「さっきも言っただろう? 斎藤方の援軍を実際に見に行ったと。そこで、軍列の中に“丸に九枚笹”の旗印があったのを見たのだ」
「“丸に九枚笹”……確かに、それは竹中の旗印に相違ないな」

 佐助の答えに、信繁は眉を顰めて考え込む。

「あの竹中半兵衛が采配を振るう軍か……思っていた以上に手強い敵となるやもしれぬな」
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