上 下
125 / 206
第二部二章 駆引

命令と拒否

しおりを挟む
 客間の襖を開けて入ってきたのは、龍の声に違わず、彼女の母親である琴だった。
 母親の声を耳にした龍は、驚きながらも嬉しそうに顔を綻ばせ、両手をついて深々と頭を下げる。
 だが、

「母さ……ま……?」

 伏せていた顔を上げて、鮮やかな色合いの打掛を身に纏った母を見た途端、彼女の表情は凍りついた。
 いつもは本丸御殿に引き籠っていてる琴が、わざわざ客人に会う為だけに二の丸まで下りてきたのは珍しい事ではあったが、客人が自分の叔母であり義兄嫁あによめでもあるつやならば、そんなに不自然な事ではない。
 琴が表情を強張らせたのは、そのせいではなく、彼女の後ろに続いて無遠慮に侵入はいってきた数人の甲冑を纏った武者の姿を見たからだった。
 更に、そのうちのふたりが、甲冑が紅に染まるほどの夥しい返り血を浴びているのを見て、顔面を蒼白にする。
 だが、龍は恐怖で唇を戦慄わななかせながらも、気丈な声を上げた。

「な、何なのですか、お前たちは! つや様のお部屋に、そのような物々しい格好で……っ! そ、それに、その返り血は――」
「――たつ」
「……ッ!」

 武者たちへの詰問を、冷たい響きを湛えた声で遮られた龍は、当惑した表情で、自分の母に問いかける。

「か、母様……? な、何があったのですか? この者たちは……そ、それに……その血は、誰の――」
「貴女には関係の無い事です」

 自分に向けられた龍の問いを、先ほどと同じ素っ気ない声で断ち切った琴は、目配せで退室を促した。

「さあ、たつ。貴女は本丸御殿へお戻りなさい」
「で、ですが……母さ――」
「戻りなさい」

 食い下がる龍に向けて、氷のように冷え切った声で命じる琴。
 その声に応じるように、甲冑を纏った家臣のひとりが、龍を力づくで退室させようと、彼女に向けて足を踏み出した。

「ひ――ッ!」

 近づいた武者の面頬の間から覗く血走った目に、龍は一瞬恐怖で身を縮こまらせたものの、すぐにキッと眦を上げると、母親の怜悧な貌を真っ直ぐに見返す。

「も、戻りません! 母様がつや様に何をするつもりなのか、わたしには分かりかねまするが、そのような物騒な装いをした者どもを引き連れている以上、良い事だとは到底思えませぬ! それなのに、つや様ひとりを残したまま、本丸御殿に戻る事など、わたしには断じてできま――」
「……龍殿」

 ――声を上ずらせながらも、毅然とした態度で母親に抗する龍の肩にそっと手を置いたのは、つやだった。
 彼女は、穏やかな微笑みを浮かべながら、龍に向けて軽くかぶりを振り、諭すように言葉を継ぐ。

「私の事を慮ってくれている貴女の気持ちは、とても嬉しいです。ですが、ここは琴殿――貴女の母上様の言葉に従うのです」
「で、ですが……つや様……」

 つやの言葉を聞いた龍は、母の背後に立つ甲冑武者たちに怯えた目を向けながら、不安げな声を上げた。
 そんな彼女に「大丈夫です」と言ったつやは、つと琴の方に目を向け、念を押すように尋ねかける。

「ですよね? 琴殿」
「ええ……もちろんです」

 琴は、つやの鋭い眼差しを受けながらも、気圧される様子も無く、口元に酷薄な薄笑みさえ浮かべながら頷いた。

「私は、久しぶりにお会いした叔母上と愉しくお話をしたいだけです。それなのに、娘の貴女に信用されず、そのように警戒されるのは哀しいですわね」
「……愉しくお話をしたいだけなら、なぜおひとりで参られなかったのですか? そのような血腥い者どもを多数引き連れておきながら、信用されなくて哀しいとは――」
「龍殿」

 母親に向かって気丈に言い返そうとする龍を、つやが再びやんわりと制止する。
 その声に、龍は険しい表情を浮かべながら振り返るが、つやが無言で首を縦に振るのを見て、きゅっと唇を噛んだ。

「……かしこまりました、母様」

 顔に不安と不満をありありと浮かべながらも、そう言って母に向けて首を垂れた龍は、最後にもう一度心配そうにつやを見てから、家臣に促されながら無言で退室していった。

「……さて」

 龍が部屋を出て行ったのを横目で見ていた琴は、小さく息を吐いてそう呟くと、今度はつやを背中で守るようにぴったりと寄り添った侍女に目を向ける。
 そして、見下しきった声で冷たく命じた。

「お前も出て行きなさい」
「……」

 だが、侍女は、まるで琴の声が聞こえていないかのように押し黙ったまま、つやの傍らから微動だにしない。
 そんな侍女の態度に、琴の顔が険しくなった。

「……聞こえなかったのですか? この部屋から出て行きなさい」
「……」
「出て行きなさいと言っている! 今すぐ!」
「……」

 琴の怒声を浴びても、侍女は相変わらず動かない。
 ただ、琴にその子猿のような顔を真っ直ぐ向けたまま、沈黙し続けていた。
 その侍女の太々ふてぶてしい態度に目を吊り上げた琴は、真っ直ぐに伸ばした指を突きつけ、背後に立つ家臣たちに鋭い声で命じる。

「お前たち! このうつけ者を部屋から引きずり出しなさい! ……いいえ、いっそ、この場で斬り捨て――」
「琴殿!」
「ッ!」

 琴の苛立ち混じりの絶叫を、凛とした声が鋭く遮った。
 その声に、琴と家臣たちはびくりと身を震わせる。
 傍らに置いた刀を握り、腰を浮かせたつやは、琴と家臣たちに油断の無い視線を向けながら、静かな声で言った。

「この者は、私の……いえ、岩村遠山に仕える者です。苗木遠山の者である貴女に指図されたり……ましてや斬り捨てられる謂れはありません!」
「う……」
「それとも――」

 つやは、一瞬怯んだ琴を睨めつけると、低い声で更に言葉を続けた。

苗木遠山あなたたちは、本家である岩村遠山わたしたちに弓を引こうというおつもりですか? それが……苗木遠山家の当主である勘太郎殿の意向であるという事なのですか?」
「ぐ……」

 つやの鋭い問いかけに、琴は返事に窮するように言い淀む。
 そして、悔しげに紅を引いた唇を固く噛みながら、侍女に突きつけていた指を下ろすと、隠しきれぬ敵意に満ちた目を向けて言った。

「……分かりました。では、その猿面女は、そのままでいいです。その代わり――」

 そこで一旦口を閉じた琴は、背後に立つ甲冑姿の家臣たちを横目で示しながら言葉を継ぐ。

「私の方も、家臣たちをこのまま同席させる事とします。それで宜しいですね、叔母上?」
「……ええ、私はそれで構いません」

 琴の念押しにあっさりと頷いたつやは、探るような目を向けながら尋ねた。

「――それでは、お伺いしましょう。貴女の“愉しいお話”とやらを」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

架空世紀「30サンチ砲大和」―― 一二インチの牙を持つレバイアサン達 ――

葉山宗次郎
歴史・時代
1936年英国の涙ぐましい外交努力と  戦艦  主砲一二インチ以下、基準排水量五万トン以下とする などの変態的条項付与により第二次ロンドン海軍軍縮条約が日米英仏伊五カ国によって締結された世界。 世界は一時平和を享受できた。 だが、残念なことに史実通りに第二次世界大戦は勃発。 各国は戦闘状態に入った。 だが、軍縮条約により歪になった戦艦達はそのツケを払わされることになった。 さらに条約締結の過程で英国は日本への条約締結の交換条件として第二次日英同盟を提示。日本が締結したため、第二次世界大戦へ39年、最初から参戦することに そして条約により金剛代艦枠で早期建造された大和は英国の船団護衛のため北大西洋へ出撃した だが、ドイツでは通商破壊戦に出動するべくビスマルクが出撃準備を行っていた。 もしも第二次ロンドン海軍軍縮条約が英国案に英国面をプラスして締結されその後も様々な事件や出来事に影響を与えたという設定の架空戦記 ここに出撃 (注意) 作者がツイッターでフォローさんのコメントにインスピレーションが湧き出し妄想垂れ流しで出来た架空戦記です 誤字脱字、設定不備などの誤りは全て作者に起因します 予めご了承ください。

北海帝国の秘密

尾瀬 有得
歴史・時代
 十一世紀初頭。  幼い頃の記憶を失っているデンマークの農場の女ヴァナは、突如としてやってきた身体が動かないほどに年老いた戦士、トルケルの側仕えとなった。  ある日の朝、ヴァナは暇つぶしにと彼の考えたという話を聞かされることになる。  それは現イングランド・デンマークの王クヌートは偽物で、本当は彼の息子であるという話だった。  本物のクヌートはどうしたのか?  なぜトルケルの子が身代わりとなったのか?  そして、引退したトルケルはなぜ農場へやってきたのか?  トルケルが与太話と嘯きつつ語る自分の半生と、クヌートの秘密。  それは決して他言のできない歴史の裏側。

日は沈まず

ミリタリー好きの人
歴史・時代
1929年世界恐慌により大日本帝國も含め世界は大恐慌に陥る。これに対し大日本帝國は満州事変で満州を勢力圏に置き、積極的に工場や造船所などを建造し、経済再建と大幅な軍備拡張に成功する。そして1937年大日本帝國は志那事変をきっかけに戦争の道に走っていくことになる。当初、帝國軍は順調に進撃していたが、英米の援蔣ルートによる援助と和平の断念により戦争は泥沼化していくことになった。さらに1941年には英米とも戦争は避けられなくなっていた・・・あくまでも趣味の範囲での制作です。なので文章がおかしい場合もあります。 また参考資料も乏しいので設定がおかしい場合がありますがご了承ください。また、おかしな部分を次々に直していくので最初見た時から内容がかなり変わっている場合がありますので何か前の話と一致していないところがあった場合前の話を見直して見てください。おかしなところがあったら感想でお伝えしてもらえると幸いです。表紙は自作です。

永艦の戦い

みたろ
歴史・時代
時に1936年。日本はロンドン海軍軍縮条約の失効を2年後を控え、対英米海軍が建造するであろう新型戦艦に対抗するために50cm砲の戦艦と45cm砲のW超巨大戦艦を作ろうとした。その設計を担当した話である。 (フィクションです。)

天下人織田信忠

ピコサイクス
歴史・時代
1582年に起きた本能寺の変で織田信忠は妙覚寺にいた。史実では、本能寺での出来事を聞いた信忠は二条新御所に移動し明智勢を迎え撃ち自害した。しかし、この世界線では二条新御所ではなく安土に逃げ再起をはかることとなった。

【武田家躍進】おしゃべり好きな始祖様が出てきて・・・

宮本晶永(くってん)
歴史・時代
 戦国時代の武田家は指折りの有力大名と言われていますが、実際には信玄の代になって甲斐・信濃と駿河の部分的な地域までしか支配地域を伸ばすことができませんでした。  武田家が中央へ進出する事について色々考えてみましたが、織田信長が尾張を制圧してしまってからでは、それができる要素がほぼありません。  不安定だった各大名の境界線が安定してしまうからです。  そこで、甲斐から出られる機会を探したら、三国同盟の前の時期しかありませんでした。  とは言っても、その頃の信玄では若すぎて家中の影響力が今一つ足りませんし、信虎は武将としては強くても、統治する才能が甲斐だけで手一杯な感じです。  何とか進出できる要素を探していたところ、幼くして亡くなっていた信玄の4歳上の兄である竹松という人を見つけました。  彼と信玄の2歳年下の弟である犬千代を死ななかった事にして、実際にあった出来事をなぞりながら、どこまでいけるか想像をしてみたいと思います。  作中の言葉遣いですが、可能な限り時代に合わせてみますが、ほぼ現代の言葉遣いになると思いますのでお許しください。  作品を出すこと自体が経験ありませんので、生暖かく見守って下さい。

処理中です...