上 下
83 / 216
第一部八章 陰謀

瓜と銭

しおりを挟む
 「瓜ー。瓜はいらんかえ~!」

 喧しい蝉の音が鳴り響く恵林寺の境内に、瓜売りのよく通る声が響き渡る。

「採れたての瓜だよ~。お侍方、喉が渇いてなさるなら、おひとついかがかね~?」

 瓜売りは、その頬被りをした猿のような顔に人懐っこい笑顔を浮かべながら、手にした瓜を高く掲げつつ、鬱蒼とした木々に囲まれた境内を練り歩く。
 と、本堂の方から、わらわらと数人の武士が血相を変えてやって来た。

「これ! 止まれ! そこの瓜売り、止まれい!」

 武士達は、刀の鍔に指をかけ、いつでも鯉口を切れるようにしながら、瓜売りの周りを取り囲む。
 瓜売りの笑顔は消え、驚いた表情に変わった。

「おお、怖い。そのような怖いお顔で……一体何事で御座いまするか、お侍方――?」
「貴様、ここで何をしておる!」

 訝しげに訊く瓜売りの顔を睨みつけ、髭の濃い武士が居丈高に問い質す。
 だが、威圧感たっぷりの武士の誰何に、瓜売りはキョトンとした表情を浮かべて答える。

「……何をしておるも何も……あっしは瓜を売りに来ただけでござりますが?」
「……」

 瓜売りの言葉に、武士達は互いの顔を見合わせた。
 そんな彼らに向かって、眉根を寄せた瓜売りは、少し苛立ちを込めた目を向ける。

「本来、あっしは、向嶽寺の辺りで商売をしていたんですがね。今年は、アガリやら何やらでちょいと揉めちまいまして……。寺衆から出禁を喰らっちまったんですよ。それで、チョイと足を伸ばして、今年からは恵林寺ここで稼がしてもらおうと思いましてね……へへ」
「……残念だが、この恵林寺で商売は罷り成らぬ。早々と立ち去れ」
「ええ、何でですかい?」

 取りつく島も無い武士の言葉に、瓜売りは血相を変えて食い下がった。

「そこを何とか! 家には、腹を膨らませたかかあと、うるせえ盛りのガキが三人、あっしの帰りを待ってるんでさ。瓜を売りさばく事も出来ねえで、全部持ち帰ったとあっちゃあ、かかあが家に入れさせてくんねえよ!」
「知るか。とにかくダメだ。諦めよ」
「……そんなご無体な……」

 けんもほろろに拒絶された瓜売りだったが、諦めきれぬとばかりに、武士達の内、もっとも年若い者に縋り付いた。

「何故? 一体、何故でございますか? こんな広い境内の片隅で瓜を売るくらい、お見逃し下さいよぉ」
「……ええい、しつこい! あまりに食い下がれば、この場で斬って捨てるぞ!」

 泣き疲れた若い武士は、苛立ちで顔を顰めながら刀の柄に右手をかけ、鯉口を切る。
 瓜売りは「ひぃっ!」と叫ぶと、若い武士の元から飛び退き、背を丸めて頭を石畳に擦りつけた。

「ひい……な、何とぞ、お赦しを……!」
「――分かったら、早々に消えよ! これ以上、手を患わせるな。……我らは忙しいのだ。お屋形様の警護でな……」
「――オイ! 喋りすぎだ!」

 思わず口走った若い武士を、慌てた様子で年嵩の武士が小さな声で窘める。――だが、遅かった。
 瓜売りが、驚きで目を丸くした顔を上げた。

「――お屋形様? 信玄様がいらっしゃるのですか? この恵林寺に――?」
「……忘れよ!」

 興味津々で尋ねてくる瓜売りに、渋い顔を向けて、年嵩の武士は小声で言った。
 だが、瓜売りは、目を輝かせて武士達の方へとにじり寄る。

「――でしたら、是非とも、信玄様にお伝え下さい! あっしの売る瓜は、それはそれは瑞々しくて美味うござります。信玄様に召し上がって頂ければ、お喜びになるはずですし、あっしの瓜に箔が付くって――!」
「ええい、しつこいと言うに! 本当に斬り捨てるぞ、貴様ッ!」

 遂に激昂した若い武士たちが、一斉に刀を抜いた。瓜売りは「ひっ!」と短い悲鳴を上げると、身体を小さくして平伏する。
 ――と、

「……おい、止めろ! お屋形様の庇護篤いこの寺の境内を、卑賤な瓜売り如きの血で汚したとあっては、叱責では済まぬ事になる!」

 年嵩の武士の声に、その他の武士達はハッとして、戸惑い気味にお互いの顔を見合わせた。そして、渋々といった様子で、抜いた刀を鞘に納める。
 彼らが納刀したのを見た年嵩の武士は、ふるふると頭を振ると、懐に手を入れながら一歩前に出る。
 そして、亀のようにちぢこまって、ブルブルと震えている瓜売りの背中に向けて声をかけた。

「おい、お前。……そこまで申すのならば、ワシがその瓜を買うてやろう。さすがに、お屋形様に献上する訳にはいかぬが……それでも良いか?」

 武士の言葉を聞いた瓜売りは、猿のような顔にありありと喜色を浮かべた。

「ま……誠にござりますか! ……もちろん、それでも構いませぬ! さすが、武田家中のお侍様じゃ! 御心が広いッ!」
「……見え見えの追従は要らぬわ。――ほれ、銭じゃ。持っていけ」

 苦笑を浮かべて言うと、年嵩の武士は、懐から取り出した銭入れを瓜売りの前に放り投げた。

「あ――ありがとうございます!」

 瓜売りは、深々と頭を下げると、満面の笑顔を浮かべて、眼前に落ちた銭入れに手を伸ばした。――が、銭入れの紐を解き、中の銭を検めた瓜売りの顔が陰った。

「あの……いや……これは少し……瓜代としては――」
「……何じゃ、それじゃあ不満か?」

 口ごもる瓜売りに、ニタニタと底意地の嘲笑わらいを向けながら、年嵩の武士は訊いた。
 その言外の意味を悟った瓜売りの顔が青ざめる。

「……!」
「……確かに、この境内での殺生はならぬ。――が、ならば、どうかのう……?」
「ひ――!」
「――分かったら、その銭を持って、サッサと失せよ! ……もちろん、瓜はワシが買うたのじゃから、全て置いていけよ! カッカッカッ!」
「そ……そんな……ご無体な――」
「ほれっ! サッサとせぬか!」

 そう怒鳴ると、年嵩の武士は左足を引き、今にも抜刀しようという仕草を見せる。

「ひ――ッ!」

 瓜売りは悲鳴を上げると、足を縺れさせながら、一目散に逃げ出す。
 その滑稽な姿に、武士達は一斉に嘲笑わらい声を上げた。
 年嵩の武士が、瓜売りの背中に向かって、更に言葉を投げる。

「安心せい! お主の美味い瓜とやらは、ワシらが有り難く平らげてやるからのう! ハッハッハッ!」
「ガハハハハハッ!」

 年嵩の武士の言葉に、他の武士の嘲笑が加わる。

「…………」

 その言葉を背中越しに聞きながら、瓜売りは脇目も振らずに、山門に向かって走る。
 ――と。

「…………くく」

 その口元が、三日月のように綻んだ。
 彼は走りながら、不敵な薄笑いを浮かべ、ぼそりと呟く。

「――ああ、皆で仲良く食うがいい。それは、美味い瓜だからな。……、な――」
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

戦国三法師伝

kya
歴史・時代
歴史物だけれども、誰にでも見てもらえるような作品にしていこうと思っています。 異世界転生物を見る気分で読んでみてください。 本能寺の変は戦国の覇王織田信長ばかりではなく織田家当主織田信忠をも戦国の世から葬り去り、織田家没落の危機を迎えるはずだったが。 信忠が子、三法師は平成日本の人間が転生した者だった…

蒼雷の艦隊

和蘭芹わこ
歴史・時代
第五回歴史時代小説大賞に応募しています。 よろしければ、お気に入り登録と投票是非宜しくお願いします。 一九四二年、三月二日。 スラバヤ沖海戦中に、英国の軍兵四二二人が、駆逐艦『雷』によって救助され、その命を助けられた。 雷艦長、その名は「工藤俊作」。 身長一八八センチの大柄な身体……ではなく、その姿は一三○センチにも満たない身体であった。 これ程までに小さな身体で、一体どういう風に指示を送ったのか。 これは、史実とは少し違う、そんな小さな艦長の物語。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

日は沈まず

ミリタリー好きの人
歴史・時代
1929年世界恐慌により大日本帝國も含め世界は大恐慌に陥る。これに対し大日本帝國は満州事変で満州を勢力圏に置き、積極的に工場や造船所などを建造し、経済再建と大幅な軍備拡張に成功する。そして1937年大日本帝國は志那事変をきっかけに戦争の道に走っていくことになる。当初、帝國軍は順調に進撃していたが、英米の援蔣ルートによる援助と和平の断念により戦争は泥沼化していくことになった。さらに1941年には英米とも戦争は避けられなくなっていた・・・あくまでも趣味の範囲での制作です。なので文章がおかしい場合もあります。 また参考資料も乏しいので設定がおかしい場合がありますがご了承ください。また、おかしな部分を次々に直していくので最初見た時から内容がかなり変わっている場合がありますので何か前の話と一致していないところがあった場合前の話を見直して見てください。おかしなところがあったら感想でお伝えしてもらえると幸いです。表紙は自作です。

大日本帝国領ハワイから始まる太平洋戦争〜真珠湾攻撃?そんなの知りません!〜

雨宮 徹
歴史・時代
1898年アメリカはスペインと戦争に敗れる。本来、アメリカが支配下に置くはずだったハワイを、大日本帝国は手中に収めることに成功する。 そして、時は1941年。太平洋戦争が始まると、大日本帝国はハワイを起点に太平洋全域への攻撃を開始する。 これは、史実とは異なる太平洋戦争の物語。 主要登場人物……山本五十六、南雲忠一、井上成美 ※歴史考証は皆無です。中には現実性のない作戦もあります。ぶっ飛んだ物語をお楽しみください。 ※根本から史実と異なるため、艦隊の動き、編成などは史実と大きく異なります。 ※歴史初心者にも分かりやすいように、言葉などを現代風にしています。

鬼嫁物語

楠乃小玉
歴史・時代
織田信長家臣筆頭である佐久間信盛の弟、佐久間左京亮(さきょうのすけ)。 自由奔放な兄に加え、きっつい嫁に振り回され、 フラフラになりながらも必死に生き延びようとする彼にはたして 未来はあるのか?

処理中です...