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第一部五章 軍神

男と女

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 女――いや、関東管領・上杉弾正小弼輝虎は、驚愕の表情を浮かべる信繁の様子を見ると、満足げな微笑を浮かべ、膳を持って部屋の中に入る。
 そして、信繁の前にどんと音を立てて膳を置くと、自分はその向かいに腰を下ろし、屈託の無い笑みを浮かべた。

「さて、早速ろうではないか。――ほれ」

 そう言いながら、彼は信繁に盃を差し出す。

「盃を取れ。注いでやろう」
「……あ、いや……」

 輝虎の申し出に逡巡する信繁だったが、輝虎は強引に彼の手に盃を持たせると、徳利を傾け、白く濁った酒を注ぐ。そして、注ぎ終わると、今度は徳利を信繁に突きつけた。
 突然の事に、キョトンとした顔で、輝虎の顔と突き出された徳利を交互に見るだけの信繁に、輝虎は焦れた様子で言った。

「……案外と気の利かぬ奴だな。余にも注げ」
「あ――し、失礼仕った」

 ようやく輝虎の意図をめた信繁は、慌てて盃を置くと、輝虎の手から徳利を受け取り、彼の盃に酒を注いだ。

「――よし」

 輝虎は、濃厚に立ち上る酒の香りに目を細めると、手にした盃を高々と掲げる。信繁も、彼に倣って急いで盃を取る。

「では――乾杯」
「乾杯……」

 ふたりは、視線を交わし合うと、盃に口をつけ、一気に飲み干した。

「ふう……美味い」

 輝虎は、その形の良い唇から微かな吐息を漏らしながら、満足げに言う。
 信繁もまた、含んだ瞬間に口中に広がった濃厚で芳醇な酒の風味に、思わず感嘆の声を上げた。

「これは……確かに、美味い――」
「で、あろう? 我が越後の地で育った米から作った酒よ。身贔屓無しで日の本一の酒だ。貴様もそうは思わぬか?」
「……どうでしょうか。何せ某は、あまり諸国の酒を嗜んだ事はござらぬ故、日の本一かと言われると……。――なれど」

 そう言いながら、信繁は手酌で酒を盃に注ぐと一息に呷り、喉を通る酒の辛さをしっかりと味わった。そして、ふぅと溜息を吐くと、静かに言葉を継ぐ。

「――正直、甲斐では、これ程の酒は飲めませぬな。……美味うござる」
「ははは! さもあろう! さあ、もっと飲め!」

 率直な賞賛の言葉に気を良くしたのか、輝虎は明るい笑い声を上げると、信繁の盃に自ら酒を注いでやる。

「酒の味が分かる奴に悪い奴はおらぬ。やはり、貴様は、余の見込んだ通りのおとこだったようだな!」
「……恐悦にござる」

 信繁は、輝虎の言葉にようやく表情を和らげると、輝虎の盃に酒を注ぎ返した。
 そして、どちらかともなく互いに盃を掲げると、同時に飲み干す。
 盃から口を離した二人は、同時に感嘆の吐息を漏らし――そして、信繁は輝虎の顔と全身をチラリと見ると、思わず言葉を漏らした。

「……それにしても、意外でござった。――輝虎殿が、その……まさか女子おなごであったとは――」
「ん?」

 信繁の言葉にキョトンとした表情を浮かべた輝虎は、女物の小袖を着た自分の身体を見下ろしてから、鷹揚に首を横に振る。

「ああ、か。いや……違うぞ、それは」
「……違う?」

 苦笑いを浮かべる輝虎に、訝しげな表情を向ける信繁。
 輝虎は、つと真顔に戻り、盃に目を落としながら、ポツポツと話し始める。

「斯様な格好ゆえ、貴様がそう思うのも無理はないが……余は、女子おなごではない。――だが、かといって、『男だ』とも言い切れぬのが、歯痒いところであってな……」
「……男とも言えない……?」

 信繁は、輝虎の妙な物言いに、思わず首を傾げる。
 輝虎は、困ったような表情を、その整ったかんばせに浮かべつつ、言葉を続けた。

「つまりな。……余は、、――そして、のだ」
「……!」

 唖然とした顔の信繁を尻目に、輝虎は静かに腹に手を当てつつ、言葉を継ぐ。

「――つまり。余の体は、男と女、ふたつの性質たちを持ち合わせているのだ。女子おなごほどではないが乳も膨らんでおるし、不規則だがさわり(月経)も来る」
「……」
「しかし、完全な女ではない故、子を成す事は出来ぬようでな。……孕ませる事も孕む事も能わぬ。――まあ、そのおかげで、家臣共から子をせがまれる事も無いのは、気が楽だがな」

 と、輝虎は自嘲気味に嗤う。
 そんな彼の言葉を、信繁は神妙な顔で黙って聞いていた。
 そして、輝虎の目をジッと見つめて、静かに言う。

「……左様でござったのか……」
「おや、半信半疑といった感じだな? どれ、確かめてみるか――?」

 そう言いながら、おもむろに小袖のあわせを寛げようとする輝虎。

「――い、いや、それには及びませぬ! どうぞ、お構いなく!」

 慌てて静止してくる信繁に、輝虎は意地の悪い薄笑みを向けて言った。

「なんだ、別に減るものではない故、余は構わぬのに。……案外、初心うぶな性根のようだのう、左馬助! ははははは……」
「……」

 朗らかに笑う輝虎を前に、信繁は辟易とした顔で、肩を竦めるのだった。
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