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番外編

~あの夜を忘れない~ランスロット&フィオナ(14)

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 ランスロットは温室を出ると、従僕に急いで馬を準備するように伝えた。
 途中、母とすれ違って何か言葉をかけられたが、頭にきすぎて誰とも話をするような気分ではなく無視して通り過ぎた。

 くそ。全く、腹立たしい。
 フィオナにもそうだが、自分にも腹が立つ。あんな風に上から押し付けるようないい方をして…。
 彼女の気持ちも考えるべきだったのに。
 どうしてか、フィオナの前に出ると理性的でなくなってしまう。彼女の言葉ひとつひとつにこんなにも、心がかき乱されてしまう。まるで、10代の若者ように。

 少し頭を冷やさなくては・・・。
 多分ここのところ色々あったから、自分もピリピリしているだけだ。フィオナには落ち着いてから、もう一度ちゃんと話をしよう。
 登城して仕事をすれば、少し自分の頭も冷えるだろう。

 ランスロットは、自室で手早く着替えると、まだ侍医から止められているにもかかわらず、久しぶりに愛馬に乗って城に向かって行った。


 その夜、フィオナは、もう一度ランスロットときちんと話をしたいと思ったが、結局、ランスロットは城に出かけたまま帰ってこなかった。
 まだ怪我が治ったばかりで、目の方は安静にしていないといけないというのにお仕事などに戻って大丈夫だろうか・・・
 昼間、言い争ったとはいえ、やっぱりランスロット様に会えないと寂しい思いが募る。

 晩餐室で公爵夫人と二人きりで夕食の席についていたが、フィオナは物思いに耽り、フォークで料理をつつくばかりで、ほどんど食べ物を口に運んでいなかった。

「フィオナ様、あなたは二人分食べないといけないわ」

 見かねた公爵夫人が、諭すように言った。

「ランスロットは、自分の体調のことはよく分かっているから大丈夫よ。それに城にはリゼルもいるから、きっと治癒魔法で、目もどんどんよくなるわ」

 そうだわ・・・
 お城には、カイル様のお妃様となったリゼル様がいる。
 リゼル様は、私がランスロット様の赤ちゃんを身ごもったことを知って何て思っているのだろうか。
 母があんな恐ろしいことをしたというのに、私を恨んでいるのではないだろうか…

 暗澹(あんたん)とした気持ちが、つい顔に出てしまったようだ。

「ふふ、フィオナ様、また、あれこれと考えているのでしょう。大丈夫よ。リゼルもきっとあなたとランスロットのことを喜んでいるわ」

 まるで心を読まれたように言われて、フィオナの頬は思わず朱色に染まった。

「そうそう、明日は一緒に街に買い物に行きましょう。赤ちゃんのものを色々揃えないとね。家に商人を呼ぶのもいいけれど、少し外を歩いた方が、きっと気分転換になるわ」

「でも先日もいっぱい赤ちゃんのものを買っていただきましたし、これ以上は…」

「まぁ!赤ちゃんのものは、いくらあっても足りないくらいよ。二人も育てた私が言うのだから間違いはないわ。それにフィオナ様もこれからお腹も大きくなってくるから、楽なドレスをいっぱい作りましょう。評判のよいお店があるのよ」

 公爵夫人は上機嫌で言うと、最新のマタニティファッションの流行について語り出した。
 
 翌日は、買い物日和とでもいおうか、少し汗ばむような小春日和のぽかぽかと暖かい日だった。フィオナは厚手のコートはやめて、薄手のケープを羽織り、公爵夫人と馬車に乗り込んだ。最近は、悪阻つわりも徐々に薄れて、逆にとても身軽な感じだった。

 最近ほんの少し下腹が膨らんでしてきたような気がしたが、恥ずかしくてまだ誰にもお腹が膨らんできたことは言っていなかった。
 特に、ランスロット様に気付かれたらと思うと恥ずかしさのあまり死んでしまうかもしれない。赤ちゃんは嬉しいけれど、絶対にお腹を見られたくなかった。

 二人は、まずは社交界での評判が良く公爵夫人オススメだというマタニティドレス専門のサロンに行った。
 するとお店の上品なマダムが出迎えてくれて、簡単な採寸が終わると生地選びに入った。出産する時期は、秋口だから、夏物を多く仕立てることになり、薄手の生地を3人であれこれと見ていた。
 普段用着用から、夜会用のドレス、それにネグリジェから小物に至るまで、余りに多いのではないかというほど、公爵夫人は気前よく注文してくださった。

 そのドレスの枚数に恐縮していると、全てランスロットに請求するから、お礼はランスロットにたっぷりしてね、と含み笑いをする。
 こんなに購入してしまってランスロット様に叱られないか聞くと、絶対そんなことはない、逆に喜ぶはずだと請け合う。
 
 どうしよう、困ったわ・・・
 お礼と言っても何も思いつかない。

 よく考えたら、ランスロット様の趣味や好きな色さえ知らない。
 きっとアイラさんは、なんでも知っているのだろうな…と思いながら、今回の買い物に同行し、少し離れた場所で、お店の商品を見ているアイラさんにちらっと目をやる。

 でも自分なりに考えてみようと思い、お店の中をぶらぶらしていると、紳士用のハンカチーフが目に入った。光沢のあるシルクで布感触(ぬのざわり)もとても心地いい。
 色違いで幾つか買って、このハンカチーフにランスロット様のイニシアルを刺繍しよう、そう思うと少し心が晴れやかになってきた。

 公爵夫人とフィオナ、アイラの3人はサロンを出ると、喉が渇いたので近くにある貴族専用のティールームに行くことにした。
 メインストリートを歩いていると、公爵夫人がカンタベリー侯爵夫人と出くわし、声をかけられ立ち話を始めてしまった。
 フィオナはお邪魔するのも悪いと思い、少し離れてお店のショウウィンドウなどを眺めていると、背後から見知らぬ女性が近づいてきた。

 「王女様、弟君のことで大切なお話があります。こちらへ・・・」

 周りの誰にも聞き取れないような声で言うと、フィオナをお店とお店の間の路地にさっと引き入れた。そこには帽子を目深にかぶった男性がおり、抜かりない目つきでフィオナを見ると、一瞬その帽子を外した。

 「リスコーム!何故お前がこんなところに?」

 リスコーム宰相は、王妃ははと同じく、エルミナールの簒奪さんだつを企んだ犯人として、見つけ次第捉えるようにとの手配が近隣諸国に回っているはずだ。それが堂々と、エルミナール帝国の王都に潜入しているとは・・・。
 フィオナは不穏な空気を察し、すぐに引き返そうとしたがリスコームに腕を強く掴まれてしまった。

 「王女フィオナ様、時間がありません。急ぎ私の話を聞いてください。あなたの弟君に関わることです」

 リスコームの声もだいぶ緊張を孕んでいる。それもそのはず、もしここにいることがバレれば、すぐに衛兵らに捕まってしまうだろう。その危険を冒してまで会いに来るということは何か重大なことがあったのかもしれないと思い、話だけは聞くことにした。

「弟に何かあったの?」
「王女様、どうか目を覚ましてください。あなたは今や、エルミナールの人質となっているのですぞ。弟君を支持する我らローゼンの貴族らは、エルミナールのやり方に反発しています。近く、エルミナールからローゼン統治の実権を奪い返す計画を練っています。ただ王女の貴方が人質となっていると、我われは思い通りに動けません。どうか、我らと共に来てください」

 リスコームは、早口で話し終わると、ぬかりなく周りに目を走らせた。

「そ、そんなことはできないわ。もともと、こうなったのも、貴方と母のせいよ。それに私は人質なんかじゃない。とても大切にされているわ」

「それこそが、エルミナールのやり口ですよ。王女様。ランスロット侯爵は、カイル皇子の側近中の側近なのですぞ。やつは冷酷な男だ。王女の貴方を決してローゼンには帰らせないでしょう。国のためとあらば、あなたを甘い言葉で騙し、結婚をしてでもエルミナールに引き止めるはずだ。あなたという人質がいれば、ローゼンの貴族や弟君は、迂闊に動けないですからな。そもそも王妃様(ははうえ)がランスロット侯爵を傷つけ、リゼル嬢の処刑を企てたのに、なぜダークフォール公爵家はあなたを手厚く保護しているのですか? おかしいと考えたことは? 王女、どうかよく、冷静にお考えください。ダークフォール公爵家は、わがローゼンの敵なのですよ。誰一人信用してはなりません。」

「そんな・・・・!」

 フィオナはリスコームの言葉に、図星を指された気がした。
 ーそう、普通ならこの国の転覆を画策し、ランスロット様やリゼル様を殺そうとした者の娘を快く受け入れるだろうか…。公爵家の方々は、とても優しい。それだけに、なぜなのだろうという疑問が常に頭をもたげていたのだ。

「王女様、時間がない。私はもう行きます。三日後の同じ時間に、またここに一人で来てください。迎えをやります。弟君は心細くて、あなたに会いたがっておりますぞ。必ずやお一人でいらしてください。このことがエルミナールに知られれば、弟君に害が及ぶということをお忘れなく」

 そう言い残してリスコーム宰相は、路地の奥の方に消えていった。

 フィオナは、一人、路地で立ち尽くしていた。
 私は人質・・・?

 私がエルミナールにいれば、弟が反旗を翻すことができないから、ローゼンを牽制するためのもの?
 ランスロット様は、そのためだけに私と結婚するの?
 うそ、そんなこと・・・

「フィオナ様?こんなところで何をされているのですか?」

 アイラが目ざとくフィオナを見つけ、路地の入り口から声をかけてきた。

「ひ、日陰で少し休んでいたの。なんでもないわ」

 不審そうな目で見るアイラを無視して、心の動揺を抑えながら公爵夫人のところに向かって歩き出した。

 だめだわ。考えがうまくまとまらない。ランスロット様のこと。公爵夫人がおっしゃったこと。そしてリスコームの言葉・・・。
 一人になって、これまでのことをゆっくり考えたい。何が本当で、何がうそなのかを。いったい私はどうしたらいいのだろう・・・。

 公爵夫人はまだカンタベリー夫人に捕まってずっと立ち話をしていた。フィオナは先に帰ると声をかけようと、そっと近づいた。

「でもまぁ、ルイザ様、今回のことは本当に災難でしたわね。ランスロット様がおかわいそうだわ」

「ご心配頂くほどのことはないのですよ。ランスロットの目は順調に回復しておりますから。戦になれば、もっとひどい傷を負うこともありますから」

 どうやらランスロットの怪我のことを話しているようで、フィオナは思わず足を止めた。ランスロット様のお怪我は、自分の母のせいだ。なんだか二人に近づきにくい・・・。そう思って足を止めると、カンタベリー夫人はさらにまくしたてるように話し始めた。

「まぁ、いやだ、ルイザ様。お怪我のことではありませんわ。もちろん、お怪我もおいたわしいですけれど。王女様との結婚のことですわよ」

「え? 結婚ですか?それがどうして・・・?」

「まぁ、おとぼけになって。マリエンヌ王妃様の犯罪が明るみになってしまって、フィオナ様をカイル皇子様と結婚させることもできずに、結局、カイル殿下はいわくつきの王女様をランスロット様に下賜(かし)されたではないですか。皇子様の補佐官ともなると、そこまで後始末をしないといけないのかと社交界のもっぱらのお噂でしてよ。ランスロット様だったら、どんなご令嬢とでも望みのままに結婚できましたのに、本当に厄介ものの王女様を押し付けられてしまってお可哀そうですわ。うちの娘もランスロット様をお慕いしていたからショックで寝込んでいますのよ」

 カンタベリー公爵夫人の容赦のない言葉が、フィオナの心を突き刺した。白い顔がみるみるうちに青くなる。
 すぐに公爵夫人が否定していたが、フィオナの耳には全く届いていなかった。

 押し付けられた厄介ものの王女・・・

 その言葉が、がんがんと頭の中に鳴り響く。
 ーランスロット様に下賜された。
 エルミナールの社交界は、自分をそのように思っているのだ。
 母が罪人となり、皇子様との結婚ができなくなったため、臣下であるランスロット様に下賜された厄介ものの王女と。

 いやだ。そんなふうにエルミナールの社交界に思われているなんて・・・!

 フィオナはもう、この場にいることができなかった。これ以上、カンタベリー夫人の話を聞けば、往来できっとみっともなく、泣いてしまう。一刻も早く、馬車に戻らなければ・・・。

 フィオナが、さっときびすを返すと目の前にアイラさんがいた。
 この人にも、傷付いた自分を見られたくない。はやく、早く帰りたい・・・!

「フィオナ様?どちらへ?」
「アイラさん、ちょっと具合が悪くて、先に公爵家に戻ります。すみません。奥様にそう伝えて・・・」

 やっとのことでそれだけ言うと、フィオナは公爵家の馬車に向かって小走りに駆け出していった。

 アイラは、フィオナの後ろ姿を目で追うと、うんざりしたようにため息を漏らした。

 本当に、厄介な王女様だ。
 昨日はランスロット様と口論したらしい。そのせいで、まだ病み上がりだというのに仕事に戻ってしまわれた。全く、これ以上ランスロット様の心をかき乱さないでほしい。

 でも、それもあと三日・・・。
 先ほど王女様と路地裏にいた男は、きっとローゼンの人間にちがいない。王女を探しに行くと、三日後に迎えに来ると聞こえてきた。

 そう、王女様には、先ほどの男と三日後にローゼンに戻っていただくのが一番いいのだ。そうすればランスロット様も、いい加減、諦めるだろう。
 私がこっそり手引きしてもいい。 

 フィオナ王女と結婚しても、ランスロット様は幸せになれないのだから。
 そう思うと、アイラの心は今日の天気のように晴れやかになった。

* * *

 公爵家に戻ったフィオナは、体調が悪いから先に寝るといい、早々にベッドの中に潜り込んだ。ただ、どうしても今夜、彼に会って話がしたくて、今夜帰ってきてほしいと、話をしたいと書いた手紙をランスロット様に届けてくれるように公爵家の侍女に頼んだ。

 少し経って公爵夫人が様子を見にきてそっと声をかけてくれたが、吐き気がすると伝えてそのまま掛け布をかぶり、横になっていた。外を連れ回したことを詫びていたが、これ以上、公爵夫人にも優しくされたくなかった。

 この国で自分は厄介者としか思われていないと思うと、国に帰りたくてしようがなかった。
 それでも夜になると身支度を整えて、ランスロット様が帰ってくるのを待っていた。
 リスコームは、私が人質だと言ったけれど、その言葉を信じたくはなかった。
 ランスロット様の本心を聞きたかった。

 何時頃帰ってくるのだろう?

 トレーに夕食を持ってきた侍女に聞くと、ランスロット様は、当分の間お城に泊まるとのことで、いつ頃、戻れるかはわからないようだった。
 手紙のことを確認すると、確かにランスロット様に届けたが、返事は来てないという。
 
 とたんに、フィオナは心に必死に積み上げてきたものが崩れるような気がした。
 会いたいと請い願う手紙を出したのに、言伝や返事さえもない。
 あの日、言い争いをしたことも、私のことは全てランスロット様の中では、とるに足りないことなのだ。
 私が会いたいと思っても、彼はやはりカイル様の側近。仕事が優先なのだ。

 こんなに心細くて、そばにいてほしいのに。

 ランスロット様が、怪我から目覚めた最初の日のように、彼と同じベッドで甘い言葉を囁いて欲しかった。
 でも、それも私を留めておくための策略だったのかもしれない。
 リスコームの言うように、私を人質としてしか見ていないのかもしれない。

 フィオナはひどくみじめな気分になった。
 嘘でぬり固められたまやかしのような生活には耐えられない。
 やはり、ここにはもう、いられない。
 私の居場所は、ここにはない。

 ローゼンに戻り、ひっそりと出産して、田舎で暮らすか修道院にでも入ろう。
 
 三日後、私はリスコームとこの国を去る。
 そして、もう戻らない・・・

 彼の赤ちゃんも、いらない。彼にそっくりの赤ちゃんが傍にいれば、辛いだけだ。
 生まれたらエルミナールに届けよう。

 何もかも、もう、疲れてしまった。
 まだランスロット様が誰かわからなかった時の方が、信じて待つことができた。
 でも、今は・・・

 「もう、無理なの。あなたが信じられない・・・」

 しんとした部屋に、フィオナの嗚咽がこだましていた。


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