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初恋編
44話 発覚
しおりを挟むエルミナールに到着するなり、馬車に酔って貧血で倒れるなどという、失態をさらしてから数日。
フィオナは宮殿に与えられた豪華な部屋で、落ち着かない気分でいた。
あの時は、出迎えに来ていたランスロット侯爵様が倒れた私を運んで下さっという。
お礼も言えぬまま、入れ違いのようにランスロット様は、不在になってしまった。
ああ、早くランスロット様にお礼が言いたい‥
フィオナは、ランスロット侯爵があの黒騎士様と背格好が似ているため、ついその姿を重ねてしまい、次に彼に会うのを密かに心待ちにしていた。
でも、ここ数日の悩みは他にもあった。
エルミナールに来てからというもの、毎日のように胃がムカムカとしてだるい日が続いていた。
「メアリ、ラヴェンダー水を持ってきてくれるかしら? やっぱり少し横になっていた方がいいみたい…」
「・・・・」
メアリは、このところ続いている王女の不調に嫌な予感がした。
王女の月のものが遅れている…。
もう二月も来ていない。もうすぐ三月になるというのに、まだその気配はない。
しかも、さらに酷くなる王女様の体調不良。
朝起きては、吐きそうになり、だるさと微熱が続いている。
これは、お腹に子を身ごもったばかりの女性の症状とまるきり同じではないか。
メアリは、ゴクリと唾を飲み込んだ。
まさか王女に限って過ちを犯してしまったなどということが、あるのだろうか。
いや、そんなことはない‥。メアリは頭を振った。
ローゼンでの王女の寝室の入り口には部屋付きの近衛兵が張り付いていたし、婚姻前に間違いがあっては困るので、自分は王女の寝室のすぐ隣の間に控えていたのだ。夜に男が忍こむのは不可能だ。
でも・・・・!
メアリは、ふと一つだけ思い当たった。
あの、仮面舞踏会の夜。
メアリとフィオナ王女の部屋付きの近衛兵は、つい気を良くして一緒にお酒を飲んで朝まで酔いつぶれて寝てしまった。
朝になってメアリが慌ててフィオナ王女の支度に行くと、王女が寝ていた寝台のシーツに、赤い染みがついていたのだ。今思うと、その他にも汚れがあったような気がした。
王女に訊くと夜食にでたワインを少しこぼしてしまったと言っていた。
あの時は、さほど、気にも留めなかったが、まさか・・・・。
メアリの背筋にぞっとするような戦慄が走った。
「お、王女様、まさかとは思いますが、お腹の中に子供ができたのではありますまいな…?」
メアリがドアの外に聞こえないよう低く小さな声で、しかしフィオナの様子を見逃さないように、視線を合わせて訊いた。
「子供? なぜ?」
フィオナはメアリが、唐突に変なことを聞いてきたので、目をぱちくりとさせた。
子供なんて、まだ結婚もしていない私に、できる筈がないのに、なぜ、そんなことを聞くのだろう。
「王女様、これは、とても大事なことです。私にだけは、本当のことをおっしゃってください。まさかとは思いますが、仮面舞踏会の夜、殿方に体を許したりしてはおりますまいな?・・・純潔を捧げたりなど」
声を潜めて、メアリが王女に訊いた。
フィオナは、その問いに驚いてメアリを見た。
なぜ私が純潔を捧げたことがわかったの?
それがどうして子供につながるの?
フィオナは不思議に思ったが、誰にも言えずにいた仮面舞踏会の夜のことを思いがけず、メアリに言い当てられると、一人で抱え込んでいた秘密に緊張の糸が切れ、涙が溢れそうになり思わずパチパチと瞬きをした。
「ああ、メアリ。なぜわかったの? 私、誰にも言えなくて…。どうしたらいいの?」
そのフィオナの言葉に、メアリに衝撃と動揺が走る。
ああ、恐れていたことが…
なんと、なんということを…!
「お、王女様、いったい何があったのです?このメアリに何もかもお話しください。きっと悪いようにはいたしません」
緊張をはらんだ声でメアリが言うと、フィオナはすすり泣きながら、仮面舞踏会の夜にあったことを告白し始めた。
仮面舞踏会で、騎士の仮装をした素敵な殿方に一目で恋に落ちたこと。
彼に純潔を捧げたこと。
そして、いずれ必ず迎えに来るからと言われたのに、未だに連絡がないことを。
そこまで話すと両手を顔に当て、感情の高ぶりを抑えきれずに、肩を震わせながら泣きはじめてしまった。
「な、何と…」
メアリはあまりのことに絶句して頭を抱えた。
あの仮面舞踏会の夜、騎士の仮装をした男などあちこちにいた。
ほとんどの若い貴族の男性は騎士という出で立ちだったではないか!
しかも、その男は仮面をつけたままでで、顔も見ていないという。
いずれ迎えに来る?
そんなのは、その場限りの戯言。女をものにするための都合のよい常套文句だ。
王女は男に騙され、都合よく抱かれ、純潔を奪われたのだ…
それだけではない、王女は妊娠している。
どこの馬の骨とも分からない男の子供を。
気の強いメアリでさえ、そこまで考えると気が遠くなりそうになった。
「王女様、気を確かにもってお聞きください。あなた様は身ごもっておられます。その男の子を」
「な、なぜ? だって結婚もしていないのに…?」フィオナが、驚いてメアリに聞く。
ーああ、なんということだ。王女は、こんなことも知らないのだ。さぞや簡単に騙されたに違いない。
メアリはそう考えると、王女のこの純粋な問いを呪わしく思わずにはいられなかった。
「王女様、男のものを受け入れ、子種を中に注がれれば女は妊娠するのです。たとえ結婚していなくても」
「そ、んな…」
驚き、さらに蒼白になるフィオナ王女を横目にメアリの頭は目まぐるしく回転した。
このことは王妃様には絶対に言えない。
言えば、私が責任を取らされ、牢屋に入れられてしまう。
エルミナール帝国カイル皇子との婚姻が破棄されてしまえば、下手をしたら私は、王妃様の怒りを買い処刑されるかもしれない。
絶対に王妃様に気取られてないけない…!
幸い、カイル皇子様との結婚式まであと半月。
月が早く子供が生まれることなどよくある。
王女は華奢な体型だから、結婚してすぐは、妊娠も気づかれにくいだろう。
このまま、うまく隠し通すのだ。
メアリは心を決めると王女の背中を撫でさすりながら言った。
「王女様、ご安心ください。すべてこのメアリにお任せください」
「で、でも、このまま、カイル様とは結婚できないわ」
「いいえ、王女様。結婚をするのです。これは、国と国との婚姻なのですよ。考えてもみてください。あなたが裏切った形で婚約を破棄したら、小国ローゼンはどうなるでしょう。侮辱されたと言って戦にもなりかねません。王女様の御心ひとつに国民の命がかかっているのです」
メアリがきつい声で言うと、フィオナは改めて自分の軽はずみな行いの代償を思い、可愛らしい顔が苦渋に満ちた。
「このことは、王妃様にも絶対に言ってはなりません。すべて、このメアリがうまくやります。お子様は、生まれたらすぐに死産したと言って、どこかに預けましょう。大丈夫。ご安心ください」
メアリは自分にも言い聞かせるように、固く頷きながら言った。
そう、カイル皇子様との初夜には豚の血を用意して私がうまくやろう。
それを朝早くフィオナ様の足の付け根とシーツにそっと塗り付ければ大丈夫、そう確信をもって考えていると、王女が困惑した様子でメアリに言った。
「でも、メアリ。騎士様が必ず迎えに来るからとお約束してくださったわ。騎士様を待たないと…」
メアリは王女の言葉に、いい加減にして!と叫びだしそうになった。
この後に及んで何を夢物語のようなことを言っているのか。
「王女様、冷たいようですが、その男は迎えに来ません。その男は甘い言葉を巧みに使ってあなた様を騙しただけです。迎えに来る気があればとっくに来ています。どうか、目を覚ましてください。そして、ローゼン王国の国民のことをお考えください」
メアリが言い終わるか終わらないかの時、王女の寝室の扉がノックされ、マリエンヌ王妃が部屋に入ってきた。
フィオナの体調がエルミナールに来て、ここしばらく優れないのを心配してやってきたのだ。
青白い顔で寝台に腰かけるフィオナを見て、美しいアーチを描く眉を顰めた。
「メアリ、フィオナの体調はどう?」
メアリの顔にさっと緊張が走る。
心臓の激しい動悸と全身の毛穴から噴き出すような脂汗とは裏腹に、落ち着いた声で慎重に王妃に言った。
「はい。どうやら王女様は、結婚前の女性にありがちなマリッジブルーのようですわ。ご結婚が間近にせまり、少し怖がってもいるようです。そのため夜になかなか寝付けない日々が続いて、体調を崩してしまわれたようですわ」
王妃はメアリの言葉を聞いて、目に涙をためている青白い顔のフィオナを見ると労わるように言った。
「フィオナ、なにも心配することはないのよ。結婚後も私もエルミナールにずっと滞在するわ。結婚生活に慣れるまで、私も側で支えてあげるから、そんなに心配することはないのよ」
フィオナの隣に腰を下ろすと、その金色の巻き毛を撫でた。
「それにね。初夜のこともあなたに話していなかったわね?それも不安だったのでしょう?」
まさか娘が、自分の大事な切り札が、すでに純潔を失っているとは知らず王妃は続けた。
「すべて殿方にまかせていれば大丈夫、と言ってあげたい所だけれど、うやむやなままでは、余計に不安になるでしょうね。だから、きちんと教えてあげます。でも怖がらないで」
王妃は、フィオナを安心させるように、頭を撫でた。
こんな風に王妃が労(いた)わるように頭を撫でるのは、王女が小さい頃以外なかったことだった。
メアリはその様子を固唾を飲んでじっと見ていた。
「フィオナ。殿方の性器の形は私たち女性とは違うのよ。殿方は性欲を感じると、それが槍のように硬く、大きくなるの。それを私たち女性の秘めやかな部分に差し込んで、子種を注ぐのよ」
王妃は、そこまで言うとフィオナの反応をみたが、フィオナは黙ってうつむくばかりだ。
「でも、心配しないで。誰でも最初は痛みがあるの。でもその次からはとっても気持ちが良くなるのよ。カイル様であれば、特に、あなたに優しく営んでくださるでしょう。カイル様は、そちらの経験も豊富らしいから」
俯いているフィオナからは何の反応もない。すこしイライラとして、王妃はフィオナの顎に手をかけて自分に向かせた。
「フィオナ、これは大事なことよ。この行為がないと子供はできないの。だから、怖いと言って拒んだりしてはいけません。カイル皇子はお若いから、精力があるのよ。そう、きっと一晩に何度か、あなたを求めるでしょう。それを快く受け入れるのですよ」
フィオナの目を射竦(いすく)めるように見て、王妃は念を押した。
フィオナが初夜を怖がり、カイル皇子がフィオナとの性交に興ざめしては元も子もない。
真綿に包んで育ててきたせいかフィオナは、美しくはあるが、男の心を捉えるような色香がないのだ。
なんとしても、世継ぎが生まれるまでは、カイル皇子を悦ばせ、男を引き付けるような夜の技巧もフィオナに教えねばなるまいー。
そもそも、フィオナが身ごもらないことには、私の計画が立ち行かないのだから。
王妃がそう考えた時、フィオナが手のひらを口元に持って行き、何かを我慢しているように見えた。
「うっ…」
押し黙っていたフィオナが吐き気を感じ、すぐ隣の洗面室に駆け込んで行った。
「王女様…!」
メアリがすぐにフィオナの後を追おうとしたが、その腕を即座に王妃に掴まれた。
「メアリ!待ちなさい」
逃げる獲物を追い詰めるような目で王妃がメアリに詰め寄った。
「念のため聞くけれど、あの子に最後に月のものが来たのはいつ?」
(やはり、感づかれた。ここが正念場だー)
メアリは背筋に冷や汗がたらたらと流れたが、平然とした様子で王妃に言った。
「はい、ちょうど、今がその時期でございます。それもあって、寝不足や体調不良、結婚前の情緒不安定が重なっておられるのかと拝察します。それに、今朝食べた朝食が口に合わなかったようで。ここは、ひとまず、王女様をそっとして休ませておくべきです。十分に睡眠がとれれば、そのうち、体調も良くなるでしょう」
それを聞いて、王妃はほっと息を吐き、メアリをきつく掴んでいた手を離した。
「一番、近くで見ているメアリがそう言うのなら、結婚式までゆっくりと過ごさせてあげましょう。メアリ、お願いよ。あなたが頼りだわ」
「王妃様。万事、お任せください。王女様のことは、このメアリがなんでもよく存じております。ご心配には及びません」
メアリは、いつものように落ち着き払った声で言うと、王妃は安心して部屋を出て行った。
扉がパタリと閉まると、メアリは腰の力が抜け、その場にへなへなとへたり込んでしまった。
王女も自分も、この大きな嘘を突き通す他に道はない。
ひいてはローゼン王国のため。
王妃様にはもちろん、このことはカイル皇子にも気取られてはいけない。
メアリは、へたり込んだまま、小刻みに震える体を落ち着かせるように片手を心臓に手を当てた。
大丈夫、王妃様は私を信頼している。
フィオナ王女の悪阻も、いずれ落ち着くだろう。
カイル皇子との初夜さえうまく乗り切れればなんとかなる。
それに王妃様は、フィオナ王女とカイル皇子の子供を早く欲しがっているようだった。
お腹の子をカイル皇子の御子として育てるのだ。ーそれしか、方法はない。
メアリはそう決心して立ち上がると、フィオナ王女を介抱しに後を追った。
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