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初恋編

29話 別離と悪意1

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 マリエンヌ王妃とカイル皇子が、狩りを終えてゲストハウスに戻ると、他の紳士達も狩りから戻っており、それぞれ手柄を報告しあっていた。
 狐を仕留めた者、ミンクなどの小動物を仕留めた者も何人かいたが、大物の鹿を仕留めたのは、カイル達だけだった。
 カイルが馬に乗ったままフィオナの側に寄ると、同じく優雅に乗馬用のドレスで馬に横乗りしているマリエンヌ王妃が満面の笑みで近づいてきて、カイル皇子が鹿を仕留めたと娘に報告すると、周りの紳士や令嬢達が歓声をあげた。
 
 「カイル様、おめでとうございます。見事な若い雌鹿を仕留められて」

 フィオナのプラチナのような金色の巻き毛が顔の周りにくるくるとかかり、風にそよいでいる。
 頬は、薄いピンクのバラのようにほんのりと色づき、カイルを見上げるアメジスト色の瞳は澄んだ泉のように美しい。
 カイルは、フィオナの手をそっと引き寄せ、馬上からかがみこんで、その耳元で囁いた。

「実は、君の母上が仕留めたのさ。なにも仕留められなかった僕に、手柄を与えてくれたのだよ」

「まぁ…、お母様が?」

 目を丸くして驚くフィオナを見て、カイルは苦笑した。

「そういうことだから、ありがたく君の母上の気遣いを受け取っておくよ」

 フィオナの顎に手を当てて上を向かせると、妹にするように額に軽いキスを落とした。
 周りで、遠巻きに見ていた令嬢達の嬌声が湧く。

 フィオナはまたしても真っ赤になって俯いてしまった。
 やれやれ…額への軽いキスだけで、なんて初心な娘なんだろう。きっとリゼルだったら、欲望に潤む目で私を見つめて、その唇をそっと開き、私が彼女にキスせずにはいられなくなるようにしただろう…。

 そう思うと、ついリゼルと比べてしまったことにカイルは罪悪感が湧いた。
 リゼルは今日の鹿狩りには欠席している。
 ルーファス王子と日帰りのピクニックに出かけたということだ。
 もちろん、そんな約束がなくてもあの夜にあったことを思えば、フィオナ王女の歓迎行事に顔を出すわけがない…

  しかし、あの宰相ダークフォールが、男と二人きりの遠出を許すとは…。
 社交界では、ルーファス王子とリゼルが噂になってきている。
 二人が婚約を前提に交際をしていると。
 すでにルーファスは婚約を申し込み、宰相ダークフォールは許可したのだろうか。

 カイルはその考えを打ち消すかのようにかぶりを振った。

 まさか、リゼルが受けるはずがない。私がリゼルの純潔を奪ったのだから。
 私以外の男の求婚など受け入れるはずがない。
 そういう風にリゼルを縛ったのは私自身だ。

 でも、もしリゼルがルーファスを受け入れたら?
 彼は世継ぎの王子だから、求婚を受け入れればリゼルはモルドヴィンの正妃となる。
 普通に考えれば、側妃より正妃の方が魅力的だ。
 リゼルがそんな打算では選ばないことはわかっているが、私の正妃となるフィオナをすぐ傍で見ているのはどんなにか辛い事だろう。

 いっそ、リゼルとともに国も家名も何もかも捨てて、駆け落ちができれば、二人ともこんなに苦しい思いをせずにすむだろうに。
 リゼルがルーファスを選んでモルドヴィンに行ってしまったら、自分は耐えられるのだろうか。
 カイルは二人が初めて肌を重ねあった日以来、会っていないリゼルに心が掻き乱されていた。

 「カイル様…?」
 
 難しい顔で馬上で黙り込んでしまったカイル王子に、フィオナは違和感を感じた。
 カイル様には、他に思う人がいるのではないか…。
 フィオナはそんな気がしていた。自分には、いつも礼儀正しく婚約者として大切に扱ってくれる。 だけれど、その瞳にはいつも誰か違う人を映し出しているような、そんな気がした。
 でも、大帝国の皇太子であるカイル皇子は、意に染まぬ婚約であれば、簡単に破棄できるはず。
 ましてや、我が国は隣国とはいえ、エルミナールに比べればほんの小国だ。
 なぜ、数多あまたいる各国の王女の中から自分を選んだのか…
 カイル皇子と接するうちにフィオナは、その疑問に突き当たった。

 それに、母は私が小さい時から、『あなたはエルミナールの妃になるのよ』といい聞かせていたことも気になる。
 王女として生まれたなら、誰でも大国エルミナール帝国の妃になる事を夢見るだろう。
 母も、私に夢を見させているだけかと思っていた。

 まさか、母が何か動いたのでは・・・

 フィオナは、そんなことあるはずない、と、すぐにその考えを打ち消した。

 魔力、権力、美しさ、聡明さ、なんでも備わっているカイル皇子が、王女という身分以外、何の取り柄もない自分を選んだのかと不思議になり、フィオナはいつもカイル皇子と並ぶと恥ずかしさで一杯になった。

 そう、あの夜会でお会いしたリゼル様のようなしっとりとした美しさと慈悲深い聡明さを兼ね備えている人こそ、カイル皇子の妃に相応しいのに…

 フィオナは、夜会以来、見かけないリゼルのことを思った。

「わぁ、雨だ…!」

 いつの間にか広がった雨雲から、ぽつぽつと雨が降り出してきた。

「どうぞ、皆様ゲストハウスの中へ。昼食をご用意しています」

 ランスロットの秘書、マーリンが、皆を誘導する。

「フィオナ、濡れてしまう。あなたも早くゲストハウスの中へ。私は馬を戻してから、後から行くよ」

 フィオナが頷いて、ゲストハウスに向かおうとしたその時、カイル皇子の背後の少し離れた森の方角に動く人影を見つけた。

「あれは…、リゼル様?」

 思わずカイルが、フィオナ王女の見つめる方向を見ると、森の入り口あたりで、黄色っぽいドレスを着た黒髪の女性がとぼとぼと雨に濡れながら、一人で歩いているのが見えた。
 
 リゼル…!?なぜ一人で…?
 一緒に出かけたというルーファスの姿はどこにもない。

 リゼルに何かあったのか…カイルの心がざわめく。
 その瞬間、カイルは迷う事なくすぐさま馬の向きを変えると、リゼルの方に馬を駆けさせて走り去っていった。

 近くに控えていたランスロットは、マリエンヌ王妃とフィオナ王女の見ている目の前で、自分の妹の姿を見つけて、馬で疾走するカイルを見て、思わず舌打ちした。
 娘である婚約者フィオナないがしろにしているとマリエンヌ王妃に取られても仕方がない。

「マリエンヌ王妃様、フィオナ王女様、どうぞ濡れてしまいますから早く屋敷の中へ。2階に昼食とあたたかいお茶をご用意していますから」
 
 ランスロットは平静を取り繕って、マリエンヌ王妃が馬から降りるのに手を貸すと、ゲストハウスの2階に二人をエスコートした。

 二人ともしばし無言だったが、フィオナ王女が沈黙を破ってランスロットに聞いた。

「リゼル様は大丈夫かしら?」
「申し訳ございません、王女様。ご心配には及びません。私もこれから妹を迎えに行きますので、どうぞ皆様と昼食をおとりになっていてください」

 ランスロットは、敢えてリゼルを追っていったカイルのことは何も触れなかった。 
 二人を昼食会場内に案内すると、すぐさま階段を駆け下りて、自分の馬に飛び乗りカイルの後を追った。

 
 リゼルは、ルーファスの甘い誘惑から逃れるため、思わず狩猟小屋から飛び出し、乱れた衣服を走りながら直すと、森の中を彷徨さまよった。

 少し前までは暖かい陽が射していたのに、晩秋の冷たい雨がリゼルの頬を伝い流れる。 

 ・・・ルーファス様は、悪くない。私が共もつけずに男の人と二人で出かけることに同意したのは、ルーファス様に気があると思われても仕方がない。だから、父も母も二人きりの遠出を許したのだろう。
 あんな風にルーファス様が私を求めたのも、先ほどピクニックで口づけを許した私が悪い。
 そう思うリゼルの瞳からはどんどん涙が溢れてきた。

 結局は、カイル様の面影をあの人に求めていただけで、自分は優しいルーファスの心地よさに付け入っていただけだと己を責めた。そして甘い快楽を与えられながらも、どうしてもカイルを忘れることができない自分に気付かされた。

 雨が冷たくリゼルの頬を伝う。
 私のこの気持ちも何もかも、全て洗い流してほしい…
 リゼルは立ちどまって、空を仰いで雨粒を顔に受けた。

 自分の顔を伝う雨が、どこからが涙で、どこからが雨なのか既に分からなくなりながら、森を歩き続けると、いつの間にか森を抜けて草原に出ていた。

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