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二. ニーナの章

49. 本能

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 冒険者ギルド跡地上空。

 グレフの攻撃から逃れた6体のアンティーク人形を再び水の底へ潜らせる。


 奴の攻撃が当たらない位置に。しかし明らかに挑発する。

 一体が近づいたかと思うと別の人形が複数で水の中を掻き回す。
 そっちに気を取られるグレフの反対側で、また同じ動きを繰り返して翻弄するのだ。

 すると面白いように釣れる。 

 アンティーク人形は私のマナのみで動いているから、グレフの情景までは分からない。
 グレフそのものにマナは無い。そこだけが「無」だからこそ、位置が把握できるのだ。

 グレフはいちいち人形に反応し、凄まじい水圧を放ってくる。
 翻弄しているとはいえ、こっちも必死だ。攻撃を喰らえば人形は壊れる。
 まずはここできちんと奴を釣り糸に引っ掛けなければ話にならないのだ。


 水圧の頻度が上がってくる。
 勢いも雑になってきた。

 相当、いる。

 もはや奴の視界に人形が入るだけでも、問答無用に攻撃してくる。
 避けきれずに2体失った。衝撃によろける身体をリュシアの腕が支えてくれている。


「そろそろ、いいぞ」
「はい」

 4体の人形をグレフの四方に。

 攻撃の対象をどいつにしようか、奴は惑っている。
 その一瞬の隙を突き、奴の脇をすり抜け一気に海の、更に深い底へ潜る。



 グモモモモモモ!!!


 グレフが反応し、人形達を追う。
 凄まじい気迫、苛ついた奴はそれが罠だと気付いていない。

 誘い出された先はこの真下。沈んだ瓦礫を抜け、大海に抜けた場所。そう、そこには50体の傀儡が陣形を敷いて、神の到着を手ぐすね引いて待っている。


「来た!」


 だだっ広い海。
 グレフが飛び込んだ真正面にテルマが出張る。

 初めて私達の前に、その姿を曝け出した。

「これは…!」

 バックルを通して私にも視える。
 何となく予想は付いていた。彼の姿が伝説の魔物を模しているのなら、こいつもその類であろうと。

 ――――マーメイド?


 スキュラと同様、上半身は裸。
 しかし明らかに違うのは平たい胸元。硬い筋肉の筋はわざとらしく、割れた筋肉がやけにたくましさを強調していて逆に滑稽に見えた。

 特筆すべきは下半身だろう。

 人間の足があるべきところは鱗で覆われており、魚の尾鰭がくっついている。
 屈強な上半身の肉体と比べて魚の部分が妙に細く不格好で、しかし鰭は異様に伸びていて水中を自在にうねうねと収縮しているのだ。

「マーメイドの雄―――【マーリン】」

 昔読んだお伽話を思い出す。
 よくベッドの上でテルマに読んできかせていた。
 人種の違う恋をして、泡となって消える儚い不幸な人魚のお話である。


 しかしこれは別物だ。

 人を模した上半身の一番上を飾る頭は、なんと貝殻が据えてあったのだ。

 掌サイズの貝殻である。絶句するほどのアンバランス感。やっつけ感が半端ない。
 グレフにとって顔というものは然程重要なものではなく、人間のように個人を認識するパーツでもないのだろう。


【マーリン】の前にテルマが立ちはだかる。

 遮るものが何もない広い海。逃げられないように4体の人形を真上に展開する。

 随分と近くに寄っているのに、マーリンは攻撃しない。
 いや、できないでいる。

 テルマの核が怪しく光っている。心臓のある場所で。
 体内から漏れ光る色は白。グレフ特有の白いモヤが暗い海中を照らす。

 まるで巨大なスクリーン。光の中に影が浮かぶ。徐々に影は濃くカタチを形成していく。


「錯覚を起こす。あれが見ているのは雌だ」

 海中の即興スクリーンに可視化されるは、あのスキュラの姿絵であった。

 シルエットのみだが、あの異様な姿は影だけでも判別できる。
 リュシアがバックルを介して新たな魔法を発動しているのだ。
 魔法の遠隔操作まで簡単にこなしている。

「あれが『見て』いるかは分からん。だから保険も掛けた」

 あの雌の臭い、そしてマナとは違うグレフの力を再現し、スクリーン上に発生させているのだという。

「わたしを形造るのは神の核よ。お兄ちゃんによって浄化されているけど、全く力が無くなった訳じゃない。それを利用しているの」

 私だけ置いてけぼりの心地である。
 もはや私如きでは彼らの足元にも及ばない。人智を越え次々と不可能を可能に、あらゆる原理は彼らの前に解析組み解かれ、既に創造神の領域に踏み入っている。


「外見3歳のわたしが囮になるには、教育的にどうかと思うけど」
「え?」

 テルマの溜息を吐いた先、マーリンを模した雄のグレフの様子が変化した。


 フシュー!!!フシュー!!!
 グモモモモモモモモモオオオオオ!!!


 頭上の人形達にも目をくれず、ブルブルと震えたかと思うと凄まじい声で咆哮したのだ。
 先刻の苛つきとはまた違う。明らかに興奮している嘶き。

 すると下半身、魚の鱗が騒めき立ちゾワゾワとけたたましく動いた。

「な!」

 下っ腹辺りの鱗が急に無くなった。次いでそこにぽっかりと穴が開く。

 黒の空洞はスキュラと似通った粘り気のある糸を引いた。
 糸はすぐに水中に流されるがじわりと滲み出ている。それが乾かない内に、違うナニカが生えてきた。


 それは一言で表現するならば、である。


 人間でいうところの股間にあたる位置、そこからナマコがにょきっと生えたのだ。

 生えた途端に先端から白濁を吐き出した。ねっとりとした白い塊が重さを伴って海の底へ沈んでいく。


「あれは…なに…」


 そそり立つナマコは笠のはっきりした茸のようで。
 幹の部分はやけにでこぼこと血管のような筋が幾つも走っている。

 全体的に青白いグレフの色味とは対照的にとても赤黒い。
 生々しいてかりが何度も白濁を零し、上へ上へと立ち昇る。
 長く太く、膨張している。


 これは、一体なんだ。
 この、あからさまにグロい物体は!?


 勃起した男根じゃないか!!



「釣れた、な」

「……うえ」



 テルマは凄く嫌そうな顔。
 うへえと舌を出した後、早くしてくれとリュシアを促す。

 一方リュシアは何処か薄ら笑っていたが、すぐに展開を開始した。



 まずテルマをバックルに掴まらせる。

 テルマは釣り糸の下に垂れ下がる餌だ。この番どもの役割が「産卵」だとすれば、奴らが動くのはまさにこの通りである。

 本能に従い、雄は雌と契る為に。雌は雄と受精する為に巣を用意する。

 子作りの為の巣。スキュラが陣取っていた場所、今私達がいるこの地だ。

 しかし本物のスキュラはリュシアが殺した。番の雄が気付いていないとも思えない。
 だが造られていたとしたら?
 奴に抗う術はないだろう。



 案の定、グレフの臭いと核を持つテルマにマーリンは激しく反応し、下半身を昂らせて今にもむしゃぶりつきそうな勢いでバックルを追いかけ始めた。

 バックルは付かず離れずの絶妙な位置を取っている。

 しかしマーリンは本能に駆られているはずなのに、時折正気に戻るのか、ふと泳ぎを止めるのだ。
 逃げられたら面倒である。

 私の50体の傀儡は、そのマーリンを取り囲む網の役割を果たしているのだ。
 余りにも操る数が多すぎて、細かな動きが伝わらないのがネックだ。
 正気を取り戻したマーリンの攻撃を私は避ける事ができない。

「きゃあ!」

 敢え無く何体もの傀儡が破壊され、海の底に沈む。
 破壊の衝撃は直接頭を殴られるような痛みを伴う。

 彼の腕にしがみ付いて何とか立っている状態だ。少しでも気を抜けば集中力が途絶える。
 私の魔法が解除されれば、リュシアの操るバックルも私の50体の傀儡も力を失い地に落ち、奴は大海に放たれる。

 そして、無防備なテルマだけが残るのだ。


「臭いが少ないか。ほぼ浄化したから当たり前か」
「ここまで釣れますかね?」
「あれだけ猛っているんだ。冷静に見えても少しも萎えてない。ただ違和感を感じているんだろう」

 マーリンが動きを止めると、テルマがバックルを盾にして奴に近づく。
 そうして再び本能を引きずり出し、ここへ誘いだすのだ。



 私はバックルを介して海の世界を視ているから、眼前にあの下半身の凶器が曝け出されている。


 グロい。グロすぎる。


 スキュラも下半身の構造は人間と酷似していた。まじまじと敢えて見た事は無いが、あれと同じような器官が私にも備わっている。スキュラの下半身は、女性の膣を完全再現していたのだ。

 マーリンのあの哮りが人間の男性器を模ったものとすれば、あんなに生々しくグロいものが男性の真ん中にぶら下がっているのだろう。

 恥ずかしながらこの歳で私に男性経験はなく、耳年増が拍車をかけて知識だけはあるものの、本物の男根を拝んだ事は過去一度もなかったりする。


 あれを、男は持っているのか…。


 幻想だけ抱いて知らなかった方が幸せだと思うほど、あまりにもショックな物体であった。
 女のそれもアワビみたいで決して綺麗なものではないが、外に出ていないだけマシな気もする。


 あれが。あの変なナマコを…この人も。
 持っているというのか。そのローブの下に…。
 その美しい顔の、華奢な身体の真ん中で、対極的にあんなグロいモノがブラブラと―――。


 かあっと頬が熱くなる。
 何を私は考えているのだ。こんな状況で何を。


 ああ、一度でも意識してしまうと止まらない。
 見たくないのに、彼のローブの下が気になって仕方ない。


 だってそれほどまでにマーリンの一物は逸物なのだ。あんなのを間近で見せられて冷静でいられるほど私は大人じゃない。

 私が一人で百面相をしている間にも、リュシアとテルマはグレフを翻弄し続けている。
 確実にこの場へ導き出されている。

 私の傀儡の数は大分減ってしまったけれど、包囲網を突破される事だけは何とか阻止出来ている。



 いつか私にも経験する時が来るだろうか。
 このまま死ぬまで処女の可能性もあるが、それは侘びし過ぎる。せめて一度は経験してみたい。

 しかしあのグロいのを目の前にボロンと出されて、私は上手く取り繕える自信がない。


「人の股間の中身を勝手に想像するのは構わんが、集中だけは途切れさせるなよ」
「はう!」

 流石に気付かれてしまった。慌てて取り繕うももう遅い。
 若干引き気味のリュシアが呆れた顔で私を見ている。

 そこで私も遠慮なく彼の下を凝視していたのだと気付かされる。

「あわわ!ご、ごめんなさい!そんなつもりは…あの、アレがすごいから、つい…」

 認めてどうする、私!

 だって猛りは更に増して、先端からビュクビュクと白濁を吐き出し、見ていられないのだ。
 もう色んな意味で混乱している。

 私には刺激が強すぎる。


「あの、男の人って…みんなあんなのを持っているんですか…?」

 まさか直接聞かれるとは思ってもいなかったのだろう。少し驚いた顔だ。
 それから口元だけを僅かに上げて笑う。

「ご、ごめんなさい!どうしても気になって!!その、生々しすぎて…」
「…まあ、確かに。まじまじと見るものじゃないな」

 くぅ!は、恥ずかしい!!

「あれは誇張し過ぎた感もあるが。ここにいた雌型もそうだ。…生々しいが作りもの感もある。ディルドや張子のように」

 この人の口から余り聞きたくない下種な単語が飛び出た。
 またも面食らう私を横目にリュシアは続ける。

「グレフは人間をよく研究しているようだ。マナを操作して攪乱させる小賢しさであったり、グレフ同士の連帯行動であったり、雌雄の生殖行為であったりな。そのどれも馬鹿に詰めが甘いが、学習しこの失敗を次に活かされた時、より一層奴らは人に近づく」
「…人間になりたいのかな」

 リュシアは人差し指を口元に添え、目を閉じた。


 考え込む時の彼の癖。


「人に、なりたい、か…」


 それきりリュシアは黙り込んだ。


 私はマーリンの一物に慄きながらも、なんとか傀儡を操るのであった。



 ■■■



 もう少し、あと少しだ。

 傀儡の数は半分以下に減ってしまっている。

 意外とスムーズに事が運ばない。確かにテルマの核に惑わされて上手く誘い出されてはいるが、マーリンの立ち止まる頻度も上がっているのだ。
 やはり幻だと効果は薄いのか。

 まだ奴の身体は大海にある。このまま逃げられては厄介だ。
 奴の動きも変わってきている。傀儡の囲い込みにも気付いている。本能と理性の狭間でグレフ自体も混乱している。逃走の方へ比重が傾いているのは失った傀儡の数からみて間違いないだろう。

 しかしこのまま逃がすほど、リュシアもテルマも阿呆ではない。
 最後の追い込みと言わんばかりに、二人は阿吽の呼吸で動き出す。


 白いモヤのスクリーンに映し出された雌型スキュラの影の形が変わった。
 傀儡の隙間を推し量っていたマーリンに、テルマがゆっくりと近づいて行く。

 警戒するグレフ。魚の尾がけたたましく震え気泡が湧き立つ。



 なんだ?何をするつもりなのだ。


 幻のスキュラの映像から、黄ばみがかった液体が滲み出た。

 するとスキュラの下半身、あの何万本も生えた触手がぶわりと捲れ上がった。たかが影なのに、はっきりと見える。

 擡げ上げられた触手が掻き分けられ、あの時の私達がここで見た産卵の時の姿が再現された。
 触手の中央。縦にぽっかりと空洞。影が糸を引き、内部から粘り気を伴った女性器を彷彿とさせる物体が飛び出てくる。

 黄色の液体は、そこから滲み出ている。

 それは、マーリンを受け入れるかの如く、ビクビクと痙攣し、左右に開閉する。


 グモモモモ?グモモモモモ!?グモモモモモモモモモオオオオ!!!


 マーリンが咆哮をあげる。

 ドガドガと厚い胸元を叩き、へなちょこにくっ付いている貝殻もどきの頭が何度も何度もパカパカ開く。



 完全に掛かった。



 本能が理性を上回った瞬間だった。
 マーリンの下半身は今までひたすら勃起していただけであったが、なんと更に大きく太く長く伸び、奴の興奮を示すかのようにぐるぐると回転し始めたのだ。

 先走りの白濁は、もはや止める事は不可能だ。
 蛇口から出る水、じゃあじゃあと小尿のように流され海の中を激しく汚す。


 もうあれは、リュシアが作った幻に魅惑され、アソコにアレを挿れる事しか考えてない。

 あからさまな雄の猛りは凄まじく、私の女性としての嫌悪感を引きずり出すには充分であった。


 とにかく気色悪い。


 ついにマーリンがテルマに襲いかかった。
 しかし、それも想定内だ。むしろそうならなければ作戦は失敗だった。


「お兄ちゃん!!」

 テルマの焦る声。私はバックルを通じて安全な場所で視ているだけに過ぎないが、テルマ本人はそれと対峙しているのだ。

「掴まってろ」

 マーリンの逞しい腕がスクリーンごとテルマをむしゃぶりつく寸前、彼女の身体がスポンと抜けた。
 その勢いを保ったまま、テルマをしがみ付かせた状態で、バックルが爆走したのである。

 猛りの収まり場所を探すマーリンは直ちに体勢を立て直し、爆走するバックルを追いかける。

 私の傀儡など、眼中にない。


 凄い速さであった。
 傀儡は完全に置いて行かれた。

 水中の圧力などまるで無視である。
 バックルから見える様子も、立ち込める泡と水流で殆ど分からない。

 だが、興奮の冷めやらないマーリンの影は視える。腕を伸ばし、男根を伸ばし、もがいてもがいて何とか捕獲しようと必死だ。


 この勢いでは数分も掛からぬだろう。
 この場に奴を、釣り上げるまで。


 ゴクリと喉がなる。

 散々遠回りさせられたが、ようやく終わるのだ。




 さあ、来い。


 あなたを、殺してやる。
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