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二. ニーナの章

43. 翼

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 ふいに音が戻った。


 陣幕の布をバサリと掻き揚げる音に彼らの長い話し合いが終わった事を知る。

 リュシアが出てくる。
 身に覚えのないローブを纏っている。

 土色の味気ない質素なローブである。飾り物といえば腰の位置に大きなバックルのベルトがあるのみで、ベルト自体も茶色だから目立ってもいない。
 リュシアはすっぽりと頭からローブを羽織っていて、またあの美しい顔を隠してしまっていた。

「旦那!」
「おかえりなさい」

 彼の元へ駆ける。
 随分と長かった。一刻はゆうに過ぎたのではないか。

 リュシアに特に変わった様子は見られない。あのサドスティックな騎士団長と喧嘩をやらかして、また殴られていないか心配もしていたが、取り越し苦労であったようだ。

「待たせたな」
「いいえ。それよりあの、騎士団長とは何を…」
「これを着ろ」

 リュシアは両手に抱えていた布をドサリと地面に落とした。
 重そうな音がする。色はリュシアが着ているものと同じ。

「早くこれを着ろ。これからすぐに港に向かう」
「は、はい」

 碌な説明もなく渡されたのは、リュシアと同じローブであった。

 私とアッシュの二人分。革製で薄汚れていたれど、随分としっかりとした造りをしている。
 重いローブに袖を通す。着慣れないローブは肩からずっしりと重さを感じ、動きにくいったらなかった。
 彼と同様に頭も被れというので言われるまま被ったら、ちょうど目線の位置にフードの先があって、先を見通すのも困難である。

 口元を隠せば息はし辛いし、何よりも暑い。
 革は風を通さない。じっとりとした汗が身体を伝うのが分かる。

 アッシュも動きにくそうだ。こんな成りでリュシアは平然としている。彼にとってローブ姿はいつもの定番の恰好だから、ごく普通の事なのだろう。

 ローブを着たアッシュとリュシアを見比べると、彼らは背格好も似通っているからどっちがどっちだか判別がつかなくなった。
 若干動きにくそうに歩くのがアッシュの方か。

 なるほど、こうして隠してしまえば、私の正体が分からなくなるのか。
 私に不信感を抱いている町民の目を誤魔化す為に、リュシアはこれを用意してくれたのだ。

 3人並んで街並みを歩く。
 誰もが中身を騎士団と思って会釈してくる。
 先程のように私に対する不躾な視線は無い。
 これを着て正解だった。


「色々と取り付けた」

 騎士団長は、私を諦めてリュシアに託す事に合意し、身を欺くためのローブを貸してくれた。
 そして、私の母と祖母も《中央》に自宅を用意して、騎士団と共に《中央》に向かう手筈を取ってくれたというのだ。

「その代わり、この町には俺はもう手出しは出来なくなった。此処はこれより騎士団の管轄となる。あの弟が代表に就くから、町そのものの生活は今とほぼ変わらんだろ」

 これからリュシアが成そうとする事も、騎士団は関知しないし邪魔しない。
 必要なら物資の手配も運搬も請け負ってくれるとの事。

 また、町に未だ残っているだろう、例の黒の行商人が売っていたあの透明な石の回収も、騎士団が率先してやってくれるらしい。
 あのサドスティックな騎士団長から出た言葉とは思えない、至れり尽くせりな結果となった。


「随分と大盤振る舞いですね。まさか騎士団がそんなに協力的とは…。あの時の態度から想像もつきません」

 生理的に気色悪いあの笑みを思い出す。

 上から下までねっとりと、リュシアを舐めまわすように見ていた。
 私やアッシュなど眼中にすらなかった。交渉の対象に私の名前が出ていたのに、あの黄金甲冑は一度も私を見なかったのだ。

 あの男がタダで動くとは思えない。

 二人きりの話し合いに、何を交渉し、そして何を代償にこの人は支払ったのだろう。

「あの…私の為にありがとうございます」
「気にやむ必要はない。そもそも騎士団と俺のやり方は違う。あれはが欲しいからな」

 歩きながらリュシアが言う。

 思えば彼は最初の頃と比べてやけに饒舌となった。
 それだけ私に気を許してくれたのかと思うと嬉しく思う。

 彼は必要と思わなければ話さない。和気あいあいと無駄口を叩くことも無い。
 彼と世間話をしている自分は想像もつかないが、恐らく何も喋らないだろう。

 そんな彼が今日は随分と喋る。彼の透き通った声が心地よい。
 口元を覆い隠すローブの存在だけが邪推だ。

「この町を救ったという、目に見えた成果って事かよ」

 独り言のようにアッシュが呟いた。

「俺が欲しいのはだ」
「対策…?」

「実はグレフが殺せる事も、グレフが【核】というもので動いてて、それが弱点だっつーのも、旦那が発見したんだ。だから旦那が出張る。グレフの噂がある場所に、大将自ら赴く理由ってやつさ」

 リュシアの後に、アッシュが続いて補足する。

「今回は人を操るって事か?あと、グレフ同士が共鳴してる事とか?それの原因を旦那はこれから判明させるために、今から行くとこが廃墟なんだろ?」
「……」

 黙って頷く。

「《王都》への道はまだ半ば。俺達は敵を知らなさ過ぎだ。だから10年も、ただ殺されるだけだった」

 怒れる神が殺せる事は、リュシアが来て初めて知ったのだ。

 あれに対抗策はないと思われていた。それが今の世界の常識だったのだ。
 常識を覆す。条理に諍う。
 彼のしようとしている事は、途方も無く一筋縄ではいかない茨の途である。

「対策が分かれば、人は考え、進化する。遠回りかもしれんが、確実に近づく」

 人間は元より『考える』生き物だ。原始の時代より、まずは火を扱い、道具を覚え、言語を発明した。徐々に人は考えながら進化し、今の何の不自由もない私達に繋がるのだ。

 此処に至るまでに何千年、何万年も掛かった。
 しかしリュシアはたった10年で、我々を支配しようとする敵を暴いた。

 決して遅くなんてない。むしろ、進化のスピードは異常と云えるだろう。
 遠回りかもしれない。一歩一歩、それでも確実に怒れる神の衣を剝ぎ取れている。

 全て丸裸にした時こそ、怒れる神から人間は解放されるのだ。
 リュシアの手によって。


「騎士団のように漁夫の利が欲しければ好きにすればいい。俺はそんなのに興味は無い」

 ―――『神の死』以外の興味など知ったことじゃない。
 この人は一貫してブレない。

 町はすぐにでも騎士団が溢れかえるだろう。第二陣、三陣と町を助ける名目で、騎士団の更なる栄光を彩る為にやってくるだろう。

 その横で、地道に汚れ役を買っている人もいる。
 でもそれは互いに互いが納得付くでやっているのだ。
 騎士団が表舞台で目立って成果を挙げるほど、世間のギルドに対する風評は広まる。勿論、良い方に。

 ギルドの名が売れれば、《中央》以外の町や村の協力も仰ぎやすくなるだろう。
 災厄を経て人は疑心暗鬼で心が狭くなった。自分以外を信じぬ輩もいるだろう。
 そんな頑なな人たちの心も和らぐに違いない。
 怒れる神を殺せる希望を、彼らにもたらすことによって。

 ロルフ団長の言う、騎士団の良いとこ取りとは、こういう事だったのだ。
 彼は地べたを這いずり縁の下の力持ちになる人たちに同情したのだろう。




 広場の先、港が見えてくる。
 何度も行き交ったこの道。今は騎士団が忙しなく走り回っている。

 この階段を降りるとすぐに港だ。港横の旧漁業組合事務所は騎士団によって閉鎖されている。
 団員の血の痕が凄惨だったのだ。あそこで何があったのか、誰が見ても分かるだろう。
 あの夥しい血の量で、あの中にいた人は誰も助からなかった事を。


 港の先、船着き場の一角で、こっちに向かって手を振る人物がいる。


 あれは!!


 遠目からでもはっきり分かる派手なバンダナ。風に煽られ揺れる帆の下、猫背の男が私を見て、笑って…。


 ――ギャバンではないか!!


 私は駆け出した。
 声は出せない。港には騎士団の他にも町の住民たちが何人か集まっている。

 私だと知られれば、せっかく色々と便宜を図ってくれたリュシアや騎士団長の顔を潰す羽目になるのだ。
 それがもどかしくて、でも目の前の彼の姿は嬉しすぎて、もう居ても立っても居られなかったのだ。

 一気に階段っを駆け下り、何事かと私を見る町民の横を通り過ぎ、船着き場へ走る走る。
 そのままの勢いでびっくり顔のギャバンに抱き着いて、力を相殺できなかった彼と一緒に船の中に転がり落ちる。


「生きてた!ギャバン、生きてた!!」
「…ニーナ、無事で良かった」

 細目が更に細くなって、彼は笑う。
 間違いない。これはギャバンだ。

「死んだかと思ってた!みんな、みんな死んだから!あなたも、もう…死んだのかと…」

 船の中は私とギャバンだけ。
 私はローブから顔だけ出して、目の端から零れ落ちる涙を掬った。

 あの館でアドリアンがギャバンのバンダナを喰らっていたのだ。ボロボロのバンダナは血塗れで、あの中にギャバンの姿を探しきれなかっただけで、もうとっくに死人になっていたと思っていた。

 リュシアとアッシュが追いつく。
 組んず解れず狭い船の入り口で格闘している私達を飛び越えて、船の中に入る。

「これはどういう事なんですか?」

 当たり前のような顔で船に乗るアッシュと、無言のリュシア。
 ローブの中に隠された顔は、いつもと同じ平坦なのだろう。

 彼らが船に乗ったのを確認してから、ようやくギャバンが私から離れる。
 彼はどうやら、リュシア達を待っていたようである。

 ギャバンが船頭の方へ行く。
 アッシュとリュシアは船の後部、簡素な長椅子に並んで座る。
 その向かい側に私も座った。膝を立てればすぐに真正面の人と当たってしまう狭さ。

 小さな漁船だった。随分と慣れた様子でギャバンは出航の準備を進めている。
 そうか、彼は元・船乗りだった。それにしても船なんて持っていたのか。
 彼と出会って二年弱。それなりに知った仲だとは思っていたが、改めて思ってみるとそういえば彼の事はそれなりにしか知らなかった。

 夜目が利いて、天気が読めて、動物にも詳しい。人間と接するのは苦手だが、得手の方が多くて団長がその力量に惚れこんでカモメ団に勧誘してから彼との付き合いが始まった。
 瞬く間に幹部にのし上がったギャバンはいかんなくその才能を発揮し、団は様々な分野で多いに助けられてきたのだ。


「そいつ、“塔”の人間なんだぜ」

 アッシュが言う。
 目を見張る。テキパキと動いていたギャバンと目が合った。

「嘘!?」

 済まなそうにペコリと頭を下げられる。


「…マスター、いつでも出れます。良いですか?」

 そして彼はリュシアを“マスター”と呼んだのだ。
 私達にも、団長にすら使わなかった敬語で、だ。

「ええと、ギャバンは元船乗りで、二年ぐらい前にうちにきて…え、そうだったの!」
「…ごめんね、ニーナ。“塔”創設当初からマスターには世話になってる…」

 果てしなく混乱しそうだ。いや、もう混乱している。

 だから初めてリュシアとあの廃墟で出会った時、人見知りの激しいギャバンなのに極自然体に彼らに接した理由はそこだったのか。
 ストンと心の閊えが落ちる感覚。腑に落ちてスっとする。

 リュシアを馬の背に乗せた時も、食事会の時も、ギャバンはリュシアの側にいたのだ。リュシアが無口だから居心地がいいのだろうとばかり思い込んでいた。
 そうではなく、彼の仕える上官だったから。リュシアを慕う一人だったからだったんだ。

 そういえばギャバンはリュシアの奇抜なローブ姿を見て揶揄する私達の話に加担しなかった。団長がリュシアに連れていかれてアッシュが事情を説明してくれた時も、ギャバンはさほどショックを受けた様子ではなかったのだ。それもそのはず、全て知っていたからなのだろう。

 なんて人が悪い。

 不貞腐れ、プウと頬を膨らます私を見てギャバンが笑う。


「ふふ、いいのよギャバン。もう色々ありすぎていちいち怒ってたら身が持たないわ」
「…よかった」




 船が出る。
 ゆっくりと艪を漕ぎ、帆が風を含んで動き出す。

 私達を気にするものは誰もいない。
 徐々に遠くなる街並み。これが私にとって、最後の町の景色となるのだ。

 誰にも挨拶せぬまま、誰にも祝われぬまま、誰にも知られぬまま。

 逃げ出すように町を出る。私が今すぐにも飛び立ちたかった町の外へ、まさかこんな形で出るとは思いもしなかった。


 冒険者として勇んで出るつもりだった。
 海の女神に祝福され、家族の期待を背負って。そんな夢見た未来は10年前の災厄で絶たれた。


 私の一世一代の門出は、とても静かで寂しい海だった。




 船は問題なくどんどん進み、沖を越える。米粒ほどの大きさとなった町が見える。
 海はとても静かであったが、そこから先は行けなかった。

 そう。町の漁業が廃れる原因がここにある。
 沖を越えたすぐ先の海は静かなのに常に荒れているのだ。

 渦が幾つも重なり合って、潮が一定でない。
 このまま無理やり進めば船は流され、渦に巻き込まれて敢え無く海の中、藻屑と化すだろう。
 これがあるから船で遠出は出来なくなった。

 この潮は魚も阻まれる。天然の障壁を作っているのだ。
 あの町に獲れる魚は沖合のものか、この渦に巻き込まれて出られなくなった魚のみである。
 この渦は災厄の弊害が造ったものだ。海を介しておきながら、町が外の資源に頼らざるを得なかった理由である。


 船は渦に阻まれ、これより先に進めない。
 廃墟はこれを越えた海の向こうにあるのだ。

 渦の手前で船を止め、ギャバンがリュシアを振り返る。

「…お願いします」
 リュシアは身を乗り出し、手を伸ばす。海の水をチャパチャパと手遊びしているかと思ったら、突然船が空中に浮いたのである。

「わあ!」
「うひょー!!」

 波しぶきが舞う。振り落とされないようにしっかりと船にしがみ付く。

 船は浮上しているのではなかった。渦の中心から何本もの細い竜巻が現れて、船底を押し上げているのだ。
 手のように生え、渦から渦へと渡していく。

「…流石ですね、マスター」

 リュシアの魔法によって、難なく船は渦を越えた。
 町の10年の苦節を、いとも簡単に突破したのである。

 そんなギャバンの賛辞にもリュシアは何も反応せず、また自分の定位置に戻っていく。

 彼にとっては朝飯前。褒められた事ではないのだろう。その魔法力が何処から湧き出るのか不思議でたまらない。


 恐らく説明されても理解はできない。彼の魔法は、世の条理から外れているのだから。



 ■■■



 海は穏やかであった。波も静かで水面を照らす太陽の光も柔らかい。
 昨夜グレフが支配していた海と同一とは思えない。台風が頻発するこの時期に、海風が荒れてないのも珍しい。嵐の前の静けさなのか。そう感じ取るのも仕方無い事だと思う。

 それでも私達は寛いでいる。
 廃墟までは後二時間程は掛かるというので、思うままの恰好でその静けさを愉しんでいた。


 船の舵を担うギャバンを見る。
 いつもと違う赤いバンダナが風に煽られ揺れている。

 ギャバンは死んでいなかった。
 昨夜は馬の様子がおかしく、運良く外に出ていたそうだ。

 動物は人間よりも気配に敏いと聞く。グレフが現れる兆候をいち早く気付いたのだろう。
 夜が更けても馬舎が騒がしく、やけに興奮していたという。翌日は明朝よりリュシア達に馬を貸す予定だったのもあり、様子見で彼らの面倒を見ていた時にあの惨劇が起きた。ギャバンはテルマの殺戮を免れ、さてどうしたものかと馬舎で隠れていたそうだ。

 アドリアンが彼のいつものバンダナを咥えていたのは、たまたまだったのだ。

 アッシュが騎士団を呼びに行き、私がリュシアの影であるロンと港を目指していた頃、館の死人を排除して出てきたリュシアに気配を探られ、その後は彼の庇護下に入ったお陰で町中のグレフや死人からも免れた。その際に彼に頼まれて、船を出す手筈となったらしい。


 何故“塔”に所属するギャバンがこの町にいたかといえば、単純に海の近くに居たいと言う彼の希望を叶えただけだったそうだ。
 リュシアはどれだけ部下に対して寛容なんだと思ったが、ギャバンを通じてこの町の情報も入ってくるし、なんせこの町にはあの騎士団長の可愛がる弟ロルフ団長もいるから把握はしたかったそうで。

 それに貿易都市亡き今、この町が人間大陸唯一の港を持っているのだ。
 いずれ《中央》のギルドが中心となって対グレフの戦争が始まるだろう。
 《王都》は陸路からだと一番早く大軍を投入できるが、海路から《王都》に侵攻する手段もギルドの構想の中にあるらしい。だから敢えてギャバンを町に送り込むのに、リュシアは躊躇しなかったという訳である。

「…“塔”も“団”も、オレには家族だよ」

 そうして笑う彼の細い目は、泣きそうに歪んでいた。




「あー…吐きそう」

 アッシュが項垂れている。
 標高の高い村の出身のアッシュは、船に乗るのが初めてだと言う。そもそもが、海の無い地。村を出てから真っ直ぐに《中央》に行ったので、海を見る事態が初めてだったらしい。

 私達と出会う前、リュシアと一緒に廃墟で海を拝んだ時は母なる大海に心躍らせ大興奮していたようで、船に乗る際も心なしかウキウキしている様子を見せていたが、実際に潮の満ち引きを船上で感じると勝手は違ったのか、渦を越える時点で既にギブアップしている。

 顔面真っ青で、もうすでに何度か吐いていた。


「死ぬ?俺、死んじゃう?船ぱねえ!うっぷ…ふね、ぱねえ…」

 何も吐くものがなくなると、その場に突っ伏した。
 リュシアは力の抜けたアッシュをその膝に乗せ、額に手を置いている。

「あー…ひんやり。旦那の手ぇ、冷たくて気持ちいい…うえ…」

 彼にスリスリと擦り寄って目を閉じる。甘えているようだ。

 陣幕から何処となく不機嫌だったアッシュは、ようやくリュシアに構ってもらってご満悦である。
 そんな二人を眺めながら、私は意を決する。


 今しかない。
 戦いに興じていない、煩わしさの無い今だからこそ言うのだ。
 リュシアが私の話だけを聞いてくれるこの状況が最も相応しい。


 ――自分の、気持ちを。



「リュシアさん、聞いていただけますか」

 リュシアを正面に姿勢を正す。

「……」

 彼はチラリと私を一瞥して、視線を下に落とす。
 アッシュは私の張り詰めた空気を察知して黙り込む。クルリとリュシアに頭を預けた状態で背を向け、彼の腹に抱き着く恰好で沈黙した。

「私は今までうだうだと悩んでばかりでした。自分では何も生み出さず、他人の後ろにいつも控えてて、そんな自分を変えたいと思っているのに、結局怖くて何も変わらず仕舞いの自分が大嫌いでした」

 考え込むのは自分の悪い癖。堂々巡りでこんがらがって、いつも答えを先延ばしにするのが私。


「私はいつでも飛び立てるのに、色んな人の所為にして伸ばして伸ばして…。最初の一歩がどうしても踏み切れなかったんです」

 15歳の時、私は冒険者になるはずだった。
 法律という後押しがあったからこそ、私は義務感で町を旅立つ勇気が持てたのだ。

 そんなちっぽけな勇気は出鼻をくじいた途端に臆病に変わった。災厄の所為にして、臆病な私はずっとこの町にしがみ付いたままだった。

 他人に依存するしかない大嫌いな町と、壊れた家族に私も依存したのだ。


「カモメ団で何か変わると思ってました。でも、私は何も変わりませんでした。あんな事があって、団が無くなって私の居場所も失って私は足掻かなきゃいけないのに、私は私のままでした」

 ロルフ団長を中心にカモメ団にいた私の心は潤沢だった。なにせ何も考えずとも、団長が先陣を切って行動してくれるからである。

 団長の側は楽だった。みんなの隣は楽しかった。
 私はそんな日々を充実していると思い込んで、毎日をとりあえず生きていたのだ。
 それは団を失った今も、変わらない。目印も目安もなくし、今度こそ問答無用で外の世界に放り出されてしまったのに、私の目は次なる寄生先を探した。


「今も、私は流されています。あなたの好意に甘えて、私は何も考えていません」

 この先どうなるかなど、存在が希薄な私では考え付かない。
 だから、正直に言うのだ。明け透けなく曝け出す事だけしかできないのだから。


「だから、事にしたんです」

 その言葉にアッシュが僅かに顔を上げる。
 ギャバンは驚いたような表情。
 リュシアは分からない。フードに隠された顔は俯いたままで、彼は彼らしく無言だ。

 私の話を聞いているか否か。それすらも分からない。


「考えて考えて、考え抜いた答えがこれです。…私は、そんな人間なのでしょう。誰か強い人の後ろに、私は安心感を得る事で自分を保てる性質なのだと」

 考えても分からない。動きたくても動けない。
 逃げ出したくとも逃げ出さない。自分の力で立ちたいのに、誰かの傍で依存する。

 私の25年の人生は、この繰り返しだった。
 だったら認めるしかないじゃないか。
 これが、これこそが私なんだと。


「あなたが私の何処に助けてくれた理由があるかは分かりません。だけど、私は自分の足で一人で立って歩く事は出来ないけれど、誰かを立てて後方で支援するならお手の物なんです。…あなたを、私なりの方法で、支えたいと思いました」

 私は無力だが、無能ではない。それなりに魔法も使えるし、得意分野だってある。書物もたくさん読んで知識も豊富だし、書類整理を任されたら素早く片付ける自信だってある。

 私だってそれなりに役に立つ。ほんの微々たる力だろう。
 万能なリュシアから見ると、飲み残されたマグカップの底にくっ付いたコーヒー滓くらいの存在かもしれない。でも滓は滓なりに、やれる事はあるのだ。

 私が団で培った経験は、偽りではなく本物だ。例え騎士団が真なる危険を避けてくれていたとしても、魔物退治ぐらいは私にだって出来た。


「ふふ。烏滸がましいでしょうね。何を偉そうにって。でもそ捉ってもらっても構いません」

 開き直るのだ。呆れられるくらいどうってことない。


「私の意思は一つ。―――あなたの傍を離れたくないんです」

 次のやどりぎはこの人。
 私を導くのは、謎多き魔法の使い手リュシア。

 その強さと内面に儚さを持ち合わせた美しい人。私の心を狂わせた張本人。


「お願いします。私をあなたのギルドに入れてください。どうか、私をあなたの元に置いて欲しいんです!」

 これが私の考え。浅はかな私の正直な気持ち。
 変われないのなら無理に変える必要はないのだ。

 いつまでも悩むのが私ならば、それをありのままに受け入れ、私自身が上手く付き合っていけばいい。

 だってこれこそが、私の「ニーナという性格」なのだから。

 果たしてそれをリュシアが呑むか否か。
 でも不思議で否定されない自信もあった。厚かましいのが私ならば、それこそ私の本当の本質なのだ。


「旦那…」

 アッシュが身を起こす。
 真っ青な顔をして、それでも生真面目な表情でリュシアを促すように声を掛ける。


 リュシアはたっぷり黙り込んだ後、


「そうか」


 と、一言だけ言った。

 呆れるように空を仰ぐアッシュと、ただ微笑むギャバン。



 でもそれで良かった。


 リュシアは私を拒絶しなかったのだから。
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