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一. アッシュの章

19. 村とグレフと俺と旦那と

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 聞けばアグネス達は、俺達が脱出した際に乗じて逃げ出したらしい。

 廃人と化した男二人は旦那と俺とで肩を貸し、ゆっくりとだが狭い通路を六人で進む。

 敵意丸出しだったアグネスは、あの後とても従順になった。旦那の力を垣間見た所為か、どことなく馬鹿にしていた態度が成りを顰めている。


 三か月前、俺の食堂で優雅なランチを過ごした後、村長に荷馬車を借りた。

 夕方、それに揺られて村を出た。
 しかし馬は畑の真ん中で嘶きと共にいなくなり、荷馬車も壊れた。

 夜になり、街灯一つ無い暗闇に放り出された彼女達は、闇の中あの畑でグレフと村人達に遭遇したのだという。

 それからは俺達と同様にこの地下牢へ閉じ込められ、薬を盛られて情事に耽る日々を過ごしていたらしい。

 アグネスはグレフに頭を潰されて慢性的な頭痛に悩んでいた。

 時々余りの痛みに呻いている様を村人に目撃され、頭が狂ったと思われていたらしい。

 彼女はそのまま狂人のふりをしたが、男の方は完全に狂ってしまった。


 もう一方の女性の方は、捕まった経緯はアグネスと似たようなものだったが、二年間も地下牢にいた理由は、なんとからなのだと言った。

 どんな薬を使われたか分からないが、通常は十月十日は腹にいなければならない赤ん坊が、半年ほどで産まれたのだという。

 この二年で二回、彼女は出産を果たした。

 しかし立て続けの出産と、無理に体の構造を変えられた負担に耐え切れず、ここ一年はどんなに頑張っても妊娠には至らなかったそうだ。


 では産まれた赤子は何処に行ったのか聞くと、彼女も知らないと首を振る。

 赤子を取り上げたのはアマラばあさんだったようだ。村の中年女性がたくさんいたらしい。
 赤子は産まれてからも産声一つ上げる事無く、アマラばあさんが何処かへ連れていった。

 二人目の時に赤子の姿を彼女は見ることが出来たのだが、それはかろうじて人間の形をしているナニカに見えた。

 二人目の子も、ばあさんが連れて行った。

 彼女はどんな姿であろうと我が子は我が子であり、腹を痛めて産んだ我が子の行く末を案じていたが、ついに現在まで再開には至っていない。
 一度もその腕に抱いていないのだと俯いた。


 なにが医者がいないだ。

 たんに、村から犠牲者を出したくなかっただけだろうに。

 村の詭弁にヘドが出る。


 だから子供が三歳になるまで、赤子ではなくなるまで、村の外に置いたのだ。

 村の中ではグレフに取られてしまう。
 村から人身御供は出せない。

 ならば人質に産んでもらえばいいじゃないか。
 その短絡的で非人道的な村の行為が恐ろしくてたまらない。


 奴らは笑顔で俺と接していたその裏で、死なない程度の食料を与え、人格を殺した薬で動物にし、宝である子どもを奪っていたのだ。

 一体どれだけの人々が犠牲になったのだろう。

 《桃源郷》を目指して旅しただけの人を、どれだけ捕まえて、どれだけ産ませて、そして役立たずになると殺したのだろう。


 アグネスは密かに潜めていた真霊晶石を隠し持ち、俺達の騒ぎに乗じて外に出た。

 気配からもう一組いることは分かっていた。
 その彼女と一緒に、牢屋を飛び出した。

 長い通路を進んだ途中に出てくる外への階段は、旦那が踏んだ通り入り口が埋められていてどんなに頑張っても出られなかった。

 力のある男たちは震えるばかりで役には立たない。仕方なく、彼女たちは先に進んだ。

 そしてカンテラが照らすあの空間に出た。

 空間にひしめき合うようにグレフの大群がいた。

 グレフはアグネスらを取り囲み、アグネスは魔法で応戦するも殆ど効かず、徐々に追い詰められていた時に旦那が土壁と共に現れたのだという。



 それから先は、知っての通りだ。


 俺達はたくさんあった通路から、風の流れを僅かに感じ取った旦那の意見に従ってこの曲がりくねった通路を選んで進んでいる。

 俺達を照らすものは何もない。

 暗闇に慣れた目を凝らしつつ、骨と皮ばかりの男を抱えて歩いている。


 途中、幾つかの横道があったが、暗すぎて様子が分からない。

 身動きの取れない小道に入るよりも、大人二人分ぐらいの余裕はあるこの道を進み続けた方が得策だとアグネスが言うので、そのまま進んでいる。


 アグネスと女性が先頭。
 少し遅れて俺、殿に旦那だ。



 ■■■



 このまま何もなく、出口に辿り着ければいいと思っていたが、そうは問屋が卸さなかった。

 歩き続けて約30分。

 いい加減、男達の重さが肩に響き始めた時、ついに遭遇してしまった。


 というより、待ち伏せされていたというか。

「くそ…」

 あんな騒ぎを起こしておいて、誰も気づかないなんて阿呆な話は無い。

 グレフの次は、奴ら。

 俺の愛すべき勝手知ったる村の、その住人達だった。

 逃亡が分かれば絶対に阻止しにくるはず。

 彼らにとって、贄に逃げられたら最後。
 自分の首を絞めかねないのだ。

 山狩りよろしく松明の炎をこちらに向けて、狭い通路にひしめき合うように十数人の村人達。

 怒りで顔を真っ赤にしたアマラばあさんを先頭に、みな憮然たる表情をしている。

「お痛たが過ぎるよ、アッシュ。仕置きの時間だ」

 ばあさんの後ろでコンターチさんがいつもの得物の鍬を鳴らした。

 ゴクリと俺の喉がなる。

 それを合図に、後ろに畑仕事で鍛えられた男たちが飛び掛かってきた。

「大人しくしろお!!」
「ふざけんな!!」
「抵抗するな!!」

 口々にそう叫び、碌に身動きも取れない俺達を殴りつけてくる。

 動けない男を床に置き、両手を交差して防御する。

 彼らの辞書に、容赦の言葉は無い。

 狭い通路、避けようにも混戦している誰かとぶつかって巧いようにはいかない。
 暗闇に目が慣れているとはいえ、複数の拳からは逃れられない。


「お前たちはよくもやってくれたよ」

 苦々しく、アマラばあさんが顔を歪ませる。

 元々皺が深く、目が細くて怖い老婆だ。
 その顔は醜く歪み、唾を飛ばして俺達をけん制している。

「大人しく従っていれば悪いようにはしなかったのに」
「うるせえ、ばばあ!!悪い事だらけじゃねえか!!」

 村人達に両腕を取られる。ジタバタと暴れながら俺は叫ぶ。

「口が過ぎるぞ、アッシュ!」
「貴様はもはや村の裏切り者だ!!」

 何人かに殴られる。
 しかし俺も負けてなんかいられない。


 腑に落ちない。
 勝手に裏切り者のレッテルを貼り、勝手に俺を悪人扱いしやがって。

 そもそもあんたらが、俺達の村を謀っているんじゃないのか。

 旅人を攫い、グレフを使って監禁し、人権を無視した薬を使って、人間牧場を作っていたあんたらに、俺を悪くいう権利なんぞねえ!!


「お前は分かっておらぬのよ。この行為こそ、神への捧げになる事を」

 ばあさんが両手を広げ、天を仰ぐ。
 そこに青き空は無く、茶色一色の土塊だけであるのに。

「この村があり続けるために必要な儀式であることを、何故理解しない!!」
「理解も何も、あんたらは一つ真実を教えてくれてないじゃねえか!問答無用で俺を捕まえて、化け物を嗾けて、汚い牢屋に閉じ込めた!!俺だって村の一員だぞ、なんで俺に教えない!なんで俺を殺すんだ!!!」
「お前はカミサマを怒らせた。村に仇なす人間を村に置いておけるというのか」

 もう何を言ってもダメだ。

 奴ら、全く聞く耳持っていない。

 渾身の力で両腕を振りほどき、壁を背にして奴らから少し距離を取る。


「はあはあはあ…」

 息が上がる。ばあさんの方を見る。

「くそ…」

 アマラばあさんの足元に、薬で朦朧となった戦えない男たちが転がっている。

 抵抗も何も、彼らは成されるがままで意識すらハッキリしていないのだ。

 ばあさんが彼らを足蹴にする。
 寝転がる彼らの顔に乾いた土埃がかかる。彼らはそれを払いのける事さえできない。

 廃人と化した二人の男。
 俺も同じ薬を飲まされた。
 種を絞り出す為だけに、それだけのために生かされる薬。


 アグネスは複数人に囲まれながらも何とか応戦している。

 しかし分が悪い。
 すぐに囲まれ、屈強な男たちから殴られ、行動を無効化される。

 人のやる気をそぐには、それを越す暴力で対抗すればいいのだ。

 それだけで人は簡単に無気力化する。

 アグネスの隣では、もう一人の女が泣きながら蹲っている。

 私のあかちゃん、返してと何度も何度も繰り返しているだけだ。


 そういえば、旦那はどうなった。


 あの飄々とした冷静な態度で、うまく彼らをいなしていると思ったら少し溜飲が下がるというものだが。

 視線だけ動かして旦那を探すと、あの白いローブが案外すぐ近くにいた事を知る。


「だん、」

 声を掛ける寸前で、心臓を鷲掴みにされる感覚に襲われる。


「…な?」


 嘘だろ、嘘だろ…。

 俺の中でこの人は何でも出来て、最終的に助けてくれるヒーローなのだと思い込んでいた。

 このピンチにも、グレフを一瞬で消滅させたあの凄まじい魔法でちょちょいと解決してくれるはずと、心のどこかで勝手に期待していた。


 なのに。


「はっ……」


 旦那と出会って、食堂で会った時も、畑で会った時も、夜に助けてくれた時も、一緒に牢屋に閉じ込められた時も、不本意ながら俺と同衾した時も、この人はいつも冷静だった。

 表情を変えるとしたら少しだけ笑った時だけで、俺はその顔に、その態度に救われていたのだ。


 村の男達に取り囲まれた旦那。

 一番警戒されていたのか、人数も多い。

 両腕を掴まれ、羽交い絞めにされた旦那。

 屈強な男の逞しい腕が、旦那の細い首を絞めている。

 いつのまにか剥ぎ取られた頭のローブ。
 腰までの長いプラチナブロンドが、男達の動きに沿って舞う。

 旦那はまだ女装を解いていない。


 下品な男たちの笑い声。

 耳に残る、下卑た笑い。

 旦那の顔が歪む、彼と出会って初めて見た表情。
 脳天が突き刺さる感覚。


「やめ、ろ…」

 力なく、俺は言う、旦那には届いていない。

 もちろん、その旦那を人形のように扱っている男達にも。


 その美しい顔を男が殴る。

 勢いに流され、その方向にいる男へ投げ出される旦那の細い身体。

 受け止めた男が旦那の髪を無造作につかみ、また殴る。

 よろける旦那を、また別の男が殴る。

 瞬く間に、白い陶器のような美しい肌に赤みが差す。血が流れ、肌は腫れ、赤黒く変色する。


「やめろやめろやめろ!!」

 旦那は抵抗していない。
 男たちに殴られるまま、その身を預けている。

 まさか気絶しているのか。

 慌てて駆け寄る。
 男の一人が俺の腕をつかんで制止させる。


「一人をよってたかって、恥ずかしくねえのか!!!!」

 顔を真っ赤にして叫ぶ。
 その声に旦那がゆったりと顔を上げる。


 ああ、生きてる!


「恥ずかしくもなんともないねえ」

 村の男が言う。

 ふらつく旦那に腕を回し、再び首を絞める。

 苦しそうに歪む顔。

 ああもうやめてくれ。

「すべてはこの女の所為で、村は滅ぼされるところだったんだからな」

 旦那がグレフを殺したから。

 グレフは怒り、その怒りの矛先を護っていたはずの村へ向けた。
 そういうことか。


「それにひとじゃないね。こいつは雌豚だぜ」

 男の一人が旦那の顎を持つ。顎も腫れている。

 旦那の顔を俺に見せつけるように、薄汚い笑いを浮かべたまま、ベロリと舐めた。


「しかしえらいべっぴんな豚だな、こいつは」
「ぐへへ、お前はこいつと寝たんだろ?羨ましいねえ」
「俺は豚とは寝れねえよ、あははは」
「でもこいつとなら、俺も一度は贄になってガキを作ってもいいかもな」
「ぐははは、違いねえ」

 意識が朦朧としている旦那をあちこちと厭らしく触りながら、男たちは鼻を膨らませる。


 ぶひぶひと息の荒いどっちが豚だ。

 すると前方から冷たい声が飛ぶ。

「お前たち、人質に手を出すのは構わんが、腹だけは殴るなよ」

 アマラばあさんの声。
 ニヤニヤと笑いながら、俺を横目で見ながら。

「アッシュとの子を懐妊しているかもしれんからね。一応扱いには気をつけよ」
「へいへーい」
「触るだけなら構わんだろ。うちの嫁さんには内緒だぞ」
「こんな美人、豚にするだけでは勿体ねえな」


 そして男たちの蹂躙が始まる。


「はやくヤろうぜ、興奮してきちまった」
「ああ、こんな上玉、滅多にねえぜ」
「豚のようにヒンヒン泣かしてやらあ!」

 旦那を殴るだけの行為に飽きた男達。

 まずはその野暮ったいローブを脱がそうと、数人で四苦八苦している。


 ふと、旦那が顔を上げた。

 目元が大きく腫れ、左目が完全に潰れている。
 薄い唇の端を伝う血を一舐めし、その場に吐いた。


「その家畜相手に集団で強姦とは、高尚な人間様が聞いて飽きれるな」

「旦那!!」

 その痛々しい表情とは裏腹に、坦々と紡がれる声だった。

 一定の強弱で決して取り乱す事のない冷静な、俺の知る旦那の声。

 状況は打破できていないのに、嬉しくなって俺は飛び跳ねる。

「な!」
「貴様あ!!」
「この淫乱な売女のくせに生意気なぁ!!」

 憮然とした態度の旦那に、男たちの血の気が最高潮に達する。

 下半身に集中していた猛りを、行き場のなくなった欲望のはけ口を、挑発的な旦那を殴ることで解消する。


 しかしおおきく振りかぶった拳は、旦那に当たらなかった。

「っつ!!」

 旦那に男の渾身の一撃は入らなかった。
 俺が旦那と男の間に、素早く入り込んだからである。

 勢いをつけた拳は思い切り旦那を庇った俺の背中に叩きこまれる。

 背が大きくしなる。
 息を忘れる痛みが襲う。
 背筋が逆側に折れる。
 痛みが脳天を突き破り、悲鳴を上げたくとも肺が圧迫されて声が出ない。

「アッシュ!」

 後ろの方で、アグネスの悲痛な叫びが聞こえる。

 自身も捕まっているというのに、他人の心配をしている暇があるなら、とっとと逃げやがれ。

 旦那の方へ倒れる。

 勢いがあったから旦那諸共転がってしまうかと思ったが、旦那はしっかりと俺を受け止めている。

 黙ったまま、俺をじいと見て。


 ――ゾっとした。


 俺に初めての疑問を投げかけたあの日の夕方、その視線に俺は出くわしたのを思い出す。

 氷の刃に全身を貫かれているような、骨の髄から浸食される冷たさ。

 圧倒たる圧迫感を秘めたその視線。


 血液ごと凍らせてくる絶対零度の目つきに気づいた男たちが、潜在的な恐怖を感じ、後ずさりする。

 それはまさに、大型の肉食動物に捕食される寸前の、抵抗を諦めた兎のように。


「ば、ばけもの…」

 男の一人が旦那の目線だけで腰を抜かす。

「どっちが化け物なんだか、俺にはあんたらがヒトには見えないね」
「だんな」

「できるだけヒトは殺さないようにと思っていたけど、残念だ」

 俺を支えたまま、器用にその腰を抜かした男の頭に一本だけ、指を置いた。


 刹那。

 男が瞬時に沸騰した。


 ボフン!と水蒸気が男の頭から上がったと思いきや、生臭い空気が周囲に漂う。

 柔らかい粘膜、例えば眼球だったり、耳の穴だったり、口の中だったり。
 ありとあらゆる毛穴からシュウシュウと湯気が出続けている。

 絶句して俺は言葉を紡げない。
 旦那にその身を預けたまま、口をパクつかせるだけ。


 すると男はパタリと力を失い、その場に崩れ落ちた。

 地面に触れた途端に、全身がひび割れた。
 骨の軋む音が僅かに聞こえる。

 最期に目玉が、ぐちょぐちょに潰れた白身のような両の眼球が飛び出てきた。


 俺も男たちも、ばあさん達も、言葉を紡げない、

「人間はその約7割が水分で出来ている。その水分が全て蒸発したら、ヒトはんだろうな」

 一瞬で絶命した男を一瞥し、ちっとも面白くなさそうな声で、旦那が笑った。


「うぎゃあああああああぁぁぁぁぁ!!!!」
「な!」
「うわああああああ!!!」

 この場は阿鼻叫喚に包まれた。

 そりゃそうだろう。

 今まで無抵抗に殴られていただけの奴が、突然反旗を翻したのだから。

 それもヒトが対抗し得ない、異次元の力を見せつけてきたのだから堪らない。

 大半が魔法を見た事のない村人達。
 人智を越えた刹那の殺戮に、何の迷いもない殺人に、皆慄いた。

 先頭のアマラばあさんも、横にいたオルガさんもコンターチさんもマリソンさんも、村長も村の男たちも、その場にいた全員が絶叫した。

 勿論、例に漏れず俺も。


 形勢逆転。やはり旦那はやってくれた。


 しかし、やり方がまずかった。
 非常にまずかった。

 混乱した村人達は、一目散に逃げだしたのだ。

 何もかも放って、手に持っていた松明すら放り投げて、やれカミサマに逆らうからと偉そうに能弁垂れてたその口を悲鳴に変えて。

 元々が狭い土の通路。

 ここだけ人口密度が異様に高い。
 殴られ、無気力になった人質が二人と、そもそも動けない廃人が二人床に寝そべっている。

 足元は悪く、見通しも悪い。

 恐怖にかられた人々は、本能が告げるまま足を動かす。とにかくこの危険な輩から一歩でも遠く、自分だけでも、自分だけはと本位的な考えで、ただひたすら逃げる。

 出口への方向感覚が狂い、四方八方向いている方向へと駆け出す誰かの足が引っ掛かり、誰かと身体がぶつかる。

 地面に転がっている人に足を取られ、重なり合うようにドミノ倒しに合う人々。

 松明の炎が誰かに燃え移り、あちらこちらで火の手が上がる。焦げ臭く、煙で充満する通路は、ますます視界が効かなくなる。

 それでもばあさんの、必死な声が聴こえる。

「沈まれ、沈まれ!!!」

 だがそのばあさんも、誰かに服を引っ張られ、地べたに這いつくばされ、誰かに顔を踏まれている。


 もう、めちゃくちゃだ。

 俺は旦那に抱き抱えられたまま、少し離れた場所でその様子をポカンと見ている。

 その数の多さが仇となった自滅していくけたたましい喧騒をぼんやりと眺めながら、不思議と旦那に恐怖は感じなかった。


 旦那は、呆気なく村人を殺した。

 人を、殺した。

 何の躊躇もなく、ひどく残酷な方法で、ひどく簡単に人を殺めた。

 あの目線は危険だ。
 しかし今旦那の瞳はめちゃくちゃになっていく村人達を写しているだけで、あの冷たさは無い。

 怖くないかといえば、正直嘘になる。

 でも旦那は『終わらせる』と言っていた。

 村ぐるみで行われていた殺人を、その身をもって止めるのに、何の犠牲も払わないなんて都合のいい話は無い。
 それに村人達は、そもそも俺達を殺そうとしていたのだ。

 俺達こそ、被害者なのである。


 死んだ男は、知っている男でもあった。

 親父と同年代の、スケベなオッサンだった。

 村の女のケツをバチンバチンと叩いて歩くから、女たちには敬遠されていたけど、その豪快さとたくましさは貧弱な男達からはリーダー的な扱いを受けていた。

 旦那の顎を掴んで、ねっとりとその頬を舐めたのもその男だ。

 彼は身をもって、お触りの代償を支払った。


「はあ…」

 思わずため息が出る。

「どうするっすかね、この惨状」
「頭が冷えたら落ち着くだろ」

 その原因を作った張本人が、呑気に言った。


 グモオオオオオオオォォォォォォオォ!!!!!


 その時である。

 耳を劈く、あの特徴的なくぐもった慟哭が鳴り響いた。

 ドシンドシンと振動も伝わる。


 旦那が全部消滅させたと思って安心していたが、まだ残っていたらしい。

 グレフの声は俺達がいる場所とは逆の方向、村人達が錯乱して騒ぎまくっている方向の通路から聞こえてくる。


「カミサマだ!!みな静かにしろ!!!!食われっ…ぐふ」

 村人の一人がその声に気づき知らせるも、混乱した一人から台詞の途中で殴られて気絶する。

 グレフの嘶声が間近になった時、ようやく大半の村人がまずい状況にあると察するも、すでに時は遅かった。


 あっという間に白いモヤで埋め尽くされる通路。

「カミサマ!お許しを!!!」

 アマラばあさんの叫び。

 しかしモヤは豚の形に擬態化し、ばあさんの声を無視して村人達へと攻撃を開始する。

 グレフは利用している村人には手を出さないのだと思っていたが違うようだ。

 特に暴れている人、叫んでいる人目掛けて突進し、その身体を貪り食う。

「滅茶苦茶すぎて何がなんだか…」

 俺は頭を抱えて土に背を付けた。



 豚に模したグレフは、その擬態元の性質を持ち合わせているようで、主に突撃による攻撃で村人達を翻弄している。

 手あたり次第、動きの激しい者目掛けてその鼻先から突撃し、動きを封じる。
 吹っ飛ばされ、地面に転がったところで別のグレフからその喉元に噛み付かれ、敢え無く鮮血を撒き散らす。

 地面にはあっという間に幾つもの血だまりができて、それに滑って扱けた連中も、グレフの犠牲となる。


 十数人いた村人達が、みるみると数を減らしていく中、さてこの状況をどう打破するかと思案する。

 グレフが現れたのは、村人達がやってきた方向と同じだった。
 出口の他にも、グレフの巣穴がありそうだ。

 村人もそうだが、この恐ろしい化け物も放置できない。
 今は地下で獲物を貪っているだけだが、あのご神木のように、地上に生息するのも可能のようだ。

 いつ地上にでてきて、何も知らない平和ボケした村を襲うのかを考えると、村が全滅したっておかしい話じゃない。

 それにもしこいつらが渓谷を降りたらどうなるだろうと。

 予想するに最悪な結末しか浮かんでこない。


 コツン


「ん?」

 その時、小さな石ころが足元に転がってきた。

 なんだ。


 コツン


「いって」

 今度は頭に降ってきた。

 隣にいる旦那の仕業かと彼を見たが違うようだ。

 旦那も小石の存在に気付いたらしく、降ってきた方向に目を向けている。


 コツンコツン


 パラパラと足元に散る小石を手に取り、グレフ達が暴れている方とは逆の俺達の後ろ側、暗くてよく分からないが、横道らしき場所からひょっこり何かが顔を覗かせている。


 って。


「お、おやっ」


 なんとそこには俺の親父がいたのだ。



 生真面目な顔で人差し指を口先に充てている。
 静かにしろと言っているのか。

 途中で口を噤み、目を凝らす。

 親父は小さなカンテラをその横道から出し、チラチラと振っている。
 白い光が左右に動く。
 親父の顔を照らし、暗闇を照らしを繰り返している。


 なんだ、なんでこんなところに親父が。


 そういや俺達を追ってきた村人の中に、親父の姿は無かった。

 親父は殺される寸前だった俺達の牢屋に来た時を最後に姿を見ていない。

 旦那もじいと親父を見ている。
 そして俺に向き直り、言った。

「来いと言っているようだな」

 見ると親父が手招きしている。早く来いと言わんばかりにその動きは速い。

「罠かもしれねえじゃねえか。親父は俺を売ったんだぞ」

 裏切り者の烙印を押され、その命を生贄にされかかった。親父はばあさん達に許しを乞うたらしいが、結局は俺を見捨てた。

 あのまま旦那が一肌脱がなければ、俺達は今頃グレフの腹の中だった訳だ。

 なのに今更なんだ。

 不信感が拭えない。


 親父は滅多にしない真面目な顔で俺を呼んでいる。

 ぐっと引き締められた口が、何とか泣くのを堪えているようにも見えた。

 だから、行ってやった。

 罠かもしれんがグダグダと悩んでいるよりはマシだ。
 とっとと行って親父の真意を探ってやる。


 旦那に見張りを頼んで、俺は匍匐前進で親父の元まで這った。
 なんとなくそうしたのは、グレフは動いているものに反応しているように見えたからだ。

 殴られた背中が軋んで痛むから、少し庇いながら歩を進める。
 鈍い動きに業を煮やしたか、親父が横道から出てきて素早く俺を掴んで引っ張っていった。

「あてててて」
「しぃ!静かにしろ、気づかれる」
「くそ親父、こちとら殴られてんだ優しく扱えよ!」
「だからうるせー!ちっとも口の減らないガキだ」

 この掛け合いがとても懐かしく感じた。

 ああ、まさに親父だ。

 俺の知ってる、俺の父親。ガサツで一本気があって、優しくて不器用。

 死んだ母さんを今でも愛していて、その忘れ形見の俺も、大事に大事に扱ってくれる大好きな父さん。

 ふと気づくと、すべては夢だったのかもしれない。

 旦那もグレフも死んだ村人も全部無かったことにして、これはただの悪夢で、朝になれば親父と俺とみんなで仲良く暮らしている日常で。


「んなワケねえよな…」

 断末魔が聴こえる。

 今まさに、村人の一人が命を落とした。


「親父、一体何のマネだ」
「お前を助けにきたんだよ」

 いけしゃあしゃあと何を言うんだクソ親父。

 俺が文句を言おうとした口を、何時の間にか傍にきていた旦那によって塞がれる。

 親父が旦那を見る。
 その美貌に時を止めるが、白い肌に似つかわしくない暴力の痕を見止めて素直に謝罪する。

「あんたさんにも、すまねえ。酷いことをした」
「親父…」
「俺は反省したんだ。考えたんだ。足りねえ頭で思ったんだ。アッシュを殺させる意味が分かんなくなっちまったんだ」

 旦那の女装を本物の女性と勘違いした親父が、まあ旦那がそう仕向けたんだけど、旦那と俺を番にして孕ませれば命を助けられると踏んで村へ勤しんで報告へと出向き、そのまま家に籠って考えていたと言った。

「通路にはたくさんの小道があって、空間を維持する空気穴がたくさん作られてんだ。万が一の生き埋めになった対策に、脱出口がある。ほら、そこの横穴だよ」

 親父が指し示す壁には、確かに黒くぽっかりと空いた穴がある。

 人一人通るのがやっとの小さな穴。

「一度最下層の地下に降りる事になるが、そこから外に繋がる綱があるんだ」

 綱を登った先は、村の手前にある井戸に繋がるのだという。


 信用すべきか、どうすべきか。

 このまま手をこまねいていても何も進まないが。

「俺は反省したんだ。このやり方にいい顔をしていなかった仲間を募って、あんたらを助けに来たんだ。信用してほしい。今頃、俺のお仲間が、別の横穴に捕虜達を誘導してるはずだ」
「え?」

 俺が心配していたのは、先に取っ捕まった、あのグレフの殺戮の現場にいる囚われた人たちだった。

 村に散々利用された挙句、結局助かりもしないで最期はグレフに食われるだなんて最低最悪の結末だ。

 俺は村の責任として、何よりも俺自身が彼らの無事を願って生きて帰ってほしいから、彼らも助けてくれると知って心底ほっとする。

「最終的に穴を落ちる場所はおんなじだ。俺も悪いと思ってんだ。直接手を掛けたわけじゃねえけど、真相を知って隠してたのは事実だからな」
「親父、教えてくれないか。俺は知りたい、この村の真実を」

 俺は親父の胸倉を掴み、真摯に願う。

「アッシュ、時間がないぞ」

 その横で、グレフ達の様子を窺っていた旦那が口を挟む。

「あらかた食われたようだ。一部のグレフ達が生き残りを探している」

 あそこにいた村人は全滅したって事か?

 親父は目を伏せている。
 あの場にもし親父がいたならば、間違いなく同じ目に遭っていた。

「俺はもう腹を括った。どんな真実であろうと受け入れる。だから教えてくれ親父」


 もう何も知らないのは嫌だ。

 俺はもうぬるま湯には浸からない。
 日和見で呑気に平和を貪ってた愚かな過去には戻らない。


 俺の真剣な顔を見た親父は、分かったと一言だけ言ってカンテラを横穴に投げ入れた。

 途端に光を失い、暗闇に息を殺す。


 グレフの息遣いが聴こえてくる。
 ぶひぶひと間近まで迫っているのが分かる。


「穴の底で教えてやる。どうして村が、こんな所業に手を出すようになったのか、お前は知るべきだな」
「約束だぞ、親父」


 そして親父を先頭に、俺達は真っ暗な穴へと飛び込んだのであった。




 二番目に俺が穴を潜ろうとした時、俺は旦那を見た。

 旦那はゆっくりと首を振った。

 あの冷徹な瞳ではなかったが、愁いを帯びたその蒼は、旦那の美しい顔に良く似合った。

 俺達は言葉を交わさなかったが、なんとなく旦那の言っていることが分かったような気がした。

 旦那に一度頷いて、俺は意を決して穴へと身を任せた。

 少し遅れて旦那の滑る音が聞こえた。

 重力に従われるまま、右へ左へくねくねと曲がる穴に何度も頭をぶつけながらも。

 真実への扉をようやく開ける期待感と恐怖心に頭を支配されるのであった。
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