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一. アッシュの章

9. 夕陽の下トウモロコシ畑の赤

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「アッシュ」

 俺の名前を彼に伝えただろうか。
 彼と二人、夕日の赤の真ん中で、対峙する。

「疑問に感じなかったか?」

 唐突に、そう聞かれた。

「え?」
「過去、多くはなかろうが、それなりに旅人は来ていたはずだ。そのどれも、お前の村の様子を見て驚いたんじゃないか?」

 彼は続ける。

「険しい渓谷を越えてきた旅人は、ひと時の安らぎを得る…即ち休憩する為に一人の例外もなく、お前の食堂を利用した。そしてお前は受け取ったはずだ」
「受け取る?」

 慈善事業じゃないんだ。自給自足である程度暮らして行けるとはいえ、例えば俺の着ている服や調理道具など、村ではどうしても賄えないものはある。
 外貨を稼ぐのに、料理の料金を頂戴するのは当たり前じゃないのか。

「受け取ったのは、食事の感想だ」

 金ではなく、感想。俺にとっては、実のところ金よりも嬉しい言葉だったりする。

 少ない材料で、あれこれ工夫して提供した料理を褒めてくれる事は、何よりの賛美であり料理人冥利に尽きるというもの。

 そういや目の前の男からはそれを戴いていない。
 唯一、俺の料理を食って無反応だったのはこの男だけで、他の奴らは確かこう言っていたはず。

「《中央》では食べられないものばかり…とか?」
「そう、それ」
「え?」

 ピンと手を弾く。
 人差し指をずいと前に出す。

「ここは確かに人里離れた集落だ。ここに来るには険しい渓谷を越えねばならんし、越えたとてそう珍しい素材が採れる訳でもない。言うならば、あってもなくても誰も困らん村、それがお前の住む村だ」

 酷い言いようである。

 幾らなんでもその物言いは無いだろう。なくては困るのは俺だ。俺が住む村なのだから。

 言い返そうとしたが、人差し指は立ったまま俺に突き出している。彼にとって今は質問の最中であり、蛇足は必要ないのだろう。

「だから、災厄の日、あの【カミが堕ちた】時、救済の手は後回しにされた。まあ、《中央》自体がそれどころじゃなかったんだけどな」

 村の歴史を知っているような口ぶり。
 俺の訝しがる表情を見て、ある程度調べたのだと彼は続けた。

「外界の情報は入らない。お前らは村の復興で手一杯。だが、ある時から復興回復に兆しが見え、瞬く間に甦らせた。その時、お前らはようやく外がどんな風になっているか聞いた。アッシュ、何を聞いた?」
「え?ええと、【カミが堕ちて】きて、魔物がいなくなって、世界がめちゃくちゃになったって…」

 復興のきっかけを作ってくれた、黒い行商人から齎された世界の状況。そんな風に話していた。

 俺は他人事のように、ああそれはヤバいねと言って…あれ?そこから先は聞いてないし、興味を失くしたんだっけ。

「世界がどうめちゃくちゃになったのか、世界がどう変わったのか、お前は全く気にならなかったか?」

 気にならなかった訳ではない。

 畑を耕したり、家を建て直したり、やることがたくさんあったのだ。

 そんな下界で起きた事なんか、直接俺には関係ないのであって、どうでもいいと意識から追い出した。

「お前だけじゃない。村の住人全てが、。外の世界も、お前らが在るこの村も、世界を形成する一部であるには違いないというのに」

 考える必要は無かったのだ。

 だって、湧水からは常に水が供給され、魔族がいなくなったお蔭で家畜の放牧も自由にできるし見張りを立てなくても良くなった。

 草木は茂り、畑は実り、贅沢さえしなければ何もかも手に入る。わざわざ村の外に出なくても、生は約束されているのだ。

 だから考えなかった。

「村に来ていた旅人が、お前の料理を食って感激している姿を、お前は自分の腕がいいからと思っている。その真意を少しも知ろうとしないでな」

 俺の料理の腕はピカイチだと思っていた。
 村人も、旅人達も口を揃えて旨いと言ってくれるからだ。
 だから料理への道を究めたいと思った。それには村だけでは足りないと感じたから、外の世界を見てみたいと漠然と考えていた。


「疑問、そのに」

 彼は、人差し指と中指の二本を立て、また俺にグイグイ見せつけてきた。

「世界に興味の無いお前らが、時たま外界へ降りてくる事がある。それは大抵若い連中だ」

 恐らく、産まれてくる赤ん坊に備えて医者のいる大きな町に出る村人を言っているのだろう。

 外に出た村人は、新しい家族を拵えてまた帰ってくる。
 村はみんな家族のようなものだから、全員が顔見知りだ。数年とは云え少し離れ離れになるのは寂しい。

 でも彼らは必ず帰ってくる。
 村が好きだからだ。

「そう、それ」

 差し出した二本の指をピコピコ動かす。

「これも誰一人として、町に残る村民はいない。そして一度外界を知った奴らは、現実を目の当たりにしたはずなのに、それをこの村に伝えていない。その数年間を何事も無かったかのように、記憶から消す。逆に村に残ったお前らも、彼らに外界を聴かない。それは何故だ?興味が無い延長か?」

 確かに言われてみればその通りだ。

 そう数は多くないが、何人かの村人が家族を増やして帰ってきた。
 彼らはこの村が一番だと言ってくれて俺もその言葉通りに受け取った。

 俺は面白い他国の料理は無かったか、それだけは質問するけれど、俺の料理の方が旨いと返されてそれで毎回終わりだった。

 言われてみれば、そうだ。

 でも、子供は別だった。
 この村に来たばかりの子供は、遊び盛りのやんちゃな時期だから、広々とした美しいこの村を探検するのにしばらく夢中で毎日興奮していたのだが、それも一週間もすると友達も遊び玩具も無い事に気が付いて、生まれた町を恋しがった。

 親は必死でそれを宥め、村人総出で子供に構ってやる。すると次第に何も言わなくなるのだ。

 俺達を、俺の村を受け入れてくれるのだ。

「それが疑問なんスか」
「愚問であり疑問だね」

 吐き捨てられた。


「疑問、そのさん」

 三本目の指。
 ずっと腕を上げているのも疲れたのか、すぐに下げられる。

「お前らが自慢に思っているこの村を惜しげもなく披露し、散々もてなしまくった旅人達を、お前は二度見たか?彼らは再び村を訪れたか?緑豊かで食いっぱぐれる事がない、ある意味《中央》に住まう人間にとって渇望される贅沢なこの村の存在を、何故旅人達は触れ回らない?共有したいと思うだろ、普通。それにお前らも村を宣伝してくれた方が活気に満ち、益々潤うだろうに、何故この村を訪れる客人とやらは、村の知識がゼロなんだ?」

 食事を提供すると、彼らは決まって「また来ます!」と笑顔で言う。

 しかしその言葉の通りになった例しは無く、彼らと再び相見える事もなかった。

 態の良い社交辞令なのだと親父が言うので、そうなんだろうと思った。
 旅人達が、誰もこの村を口にしないだなんて考えた事もなかった。

 禁口令を強いているはずがない。
 彼が言う世界の崩壊が本当なのだとしたら、村はまさに天国である。
 噂が広まれば移住者も出る。村の暮らしはもっと良くなるはずだ。

 いつも人手が足りないとコンターチさんがボヤいているのだ、人口を増やす為に、客人を歓迎しているのではなかったのか。


「疑問、そのよん」

 まだあるのか。

 もはや頭がグルグルと気分が悪くなりそうだ。

 彼は四つ目の指は作らなかった。代わりに後ろを振り返った。

 そこには一本の葉を生い茂らせない枯れ木。
 俺達の御神木を彼は仰ぎ見る。

?」

 広大なトウモロコシ畑の真ん中に一本だけある場違いな木。

 木の周りはそこだけポッカリと草が無く、大地を剥き出しに立っている。

 この木が村の【御神木】であると伝えられたのは、あの災厄から三年目、精も根も食料も希望も尽き果て、村が生を諦めかけていたあの時。
 黒の行商人が訪れた事をきっかけに急激に回復するに至ったそのまさにきっかけそのものであった。

 灰色の雨を降らし続けた大地は枯渇していて、作物は枯れた葉を実らすだけの死の大地になっていた。

 行商人は当時は1メートルほどの枝だったが、それを畑に植え、この大地の悪い気を全部こいつに吸わせればおのずと大地は復活すると言う。
 村はそれがどんなに胡散臭い話であろうと藁に縋るしか生きる術はなかったのだ。

 果たして枝は植えられ、村人達は祈った。


【カミが堕ちてきた日】、あの地震に見舞われてから、俺達は国教に定められた創造神を捨てていた。

 祈っても大地は枯れたままだし、俺の母親も生き返りはしない。

 どんなに願っても、家族三人で幸せに暮らしていたあの頃はもう二度と戻ってこないのだ。

 それは村のみんなも同じだった。

 枝に祈り、畑を耕し、また枝に祈り、村人達は懸命に働いた。
 そして、元気な緑の葉が、ひょっこりと大地から顔を覗かせた時、歓喜に満ち溢れた。

 細い枝だったものは本当に悪い気を吸ってくれたのだろう、外見は皮が剥がれたりとボロボロだが次第に大きくなり、今では大人二人が両手を回すほどにまで成長している。

 この木こそが、ヤーゴ村の危機を救った。

 全員一致でこれは村の御神木と相成った。

 以来、この木は敬われ、村を象徴する【カミサマ】として祀られている。


「あんたらの、旦那が信じる神様じゃないから変だというのか?イシュタル教を信じても、イシュタル神に救けを求めても、何もしなかったくせに!」

 聖職者の知り合いというからには、この男も教会関係者なのだろう。

 嫌味の意味も含めてそう言ってやると、彼からは意外な反応が返ってきた。

「カミなんてものは存在しない。そんなもんが本当にいるなら、生皮剥いで吊るしてゆっくり殺してやるよ」

 何でも無いというように、感情の一切を削ぎ落した声でそう言った。

 ゾッとした。
 全身の鳥肌が逆立つ。

 この人ならば、やりかねないと純粋に思った。


「最後」

 彼が視線を戻した。

 徐に俺に近づく。
 後ずさりしたいが、身体が動かない。

 鳥肌が逆立ったまま、硬直するのみである。

 男が俺の顔を両手でガシリと掴む。
 あまり力は入っていないが、蛇に睨まれた蛙のように、俺は引き攣っている。

 ローブに隠された顔が近づいてくる。表情が分からないから怖くてたまらない。

 な、なにをされるんだ!?

 どぎまぎと視線が泳ぐ。

 鳥肌はしつこく立ったままだが、先刻感じたあの重い威圧感は感じない。
 カミサマを殺してやると物騒な言葉を吐いていた口が、ああ、近づきすぎて口元が薄らと見える――口がどんどん俺に迫ってきて。


 うわわわわわ!!

 唇が触れるまで、僅か数センチ。

 男とキッスする趣味なんか俺にはねえ!!

 それぐらい彼の顔が間近にあって、もはや俺の吐いた荒い息は、全部彼に届いていて、ローブを揺らす。

 こんなに近くにいるのに、彼はあくまで落ち着いたまま、そのままの格好で口を開く。

「誰がキスするかよ、少し黙ってろ」

 そう言って、俺のデコと彼のローブに包まれたままの額がくっ付いた。


 なにをしているんだ、何なんだこれ。

 ローブに阻まれ、彼の熱は感じない。
 僅かな呼吸音が心地よく耳に届く。

 ヤバい、汗が噴き出る。

 彼にバレてしまう、というか、俺の汗で彼を濡らしてしまうのが憚れる。

 必死で鼻で呼吸しようと頑張る。俺の口から出る息が、彼の鼻に届いてしまうのはとても恥ずかしいと感じた。

 居た堪れなくて目をギュウと瞑る。

 するとどうだろう。

 瞑って見える闇を期待した。何も見えないはずなのに、つぶった先は白だった。

 その白い空間の中央に、ローブの男が立っている。

 両手を広げ、俺を抱きしめるかのように、受け入れる。
 俺は黙ってその身を預ける。母に抱かれる優しさと熱さ、懐かしい思い出。

 食堂で感じた、あの感覚だ。

 心臓は相変わらずうるさいが、不思議と心は落ち着いている。頭が、頭の奥がスウと冷えた感触。

 閉じた目蓋の中で、モヤが晴れ視界が開けた気がした。

「やっぱ、な」

 彼が身体を離した。

 気付くと俺は全身に汗をびっしょりと掻いて、いつのまにか地べたに倒れこんでいる。

「へ?」

 間抜けな声が出た。

 体中が弛緩し、とてつもなく重い。

 彼はそんな俺を見下ろし、手を貸すまでもなく口を開いた。

「最後。俺の四つの疑問の答えをほんの少しでも知りたいと思う事ができたなら、例の客人を送り届けた夜、此処に来るといい。真実を知りたいと思うならな、アッシュ」

 疑問の、答え?

「でもそれはお前にとっては茨の道かもしれない。はっきり言って、真実を知るってのは決して良い事ばかりじゃない。悪いが俺が来た以上、どちらを取ってももう終わりなんだけどな」
「い、意味が…」
「だから選択させてやる。飯を食わせてくれたお礼だ。俺は案外、お前を気に入ってる」

 ローブの中がにんまり笑った気がした。
 いや、笑っているんだろう。肩が揺れている。

「今のオアシスに浸かって幸せなまま終わるか、敢えて熱い風呂に入って裸で飛び出して終わるか、選びな。後者の場合は、俺が責任持って服を着せてやるよ。これが実験だ」

 現状維持を望むならば、傍観しておけと。
 だが彼の疑問により生じたいくつかの矛盾点を解き明かしたいならば、出て来いと、そういう事か。

 身体はだるいのに、妙にスッキリした頭で考える。

 そして、そのいずれを取っても、彼のいう『終わり』が来ると。
 その真実は、すべては村総出で歓迎する客人が鍵。

 むしろ、客人を送りだした後が本番。

 『終わり』が何なのか分からないが、俺にとっては恐らく良くない事柄、たぶん、村にとっても。

「今から結界を解く」
「え?けっかいって…」
「聞かれて困るのは、俺だけじゃないだろ?」
「そりゃ、そうだけど。旦那、あんた俺が村に今の会話をチクって、アンタのよからぬ行動を事前に阻止するかもしんねえって思わなかったのかよ」

 俺もれっきとした村の一員。
 村に害成す存在と知って、何故手をこまねいて見ているだけと思うのか。

「それも含めての実験だ。じゃあ、また逢えたら逢おう。早く帰らないと夜になるぞ」

 誰の所為だ、誰の。


 パチン

 軽快に指が鳴らされた。


 ■■■


 ふと気が付く。

 逃げたと思った馬がいる。
 まとわりついた汗が気持ち悪いが、あれだけ重かった身体が自由に動く。

 俺は立ち上がり、周りを見回す。

 ローブの男の姿は無い。

 俺の目前には、【御神木】。
 木は風に吹かれても、動かない。

 不動たる我らの守護者。村では絶対的な信仰のシンボル。

 この木が、何だというのだ。

 馬に戻ると、蹴飛ばしたはずのカゴがちゃんと付いていて、中のジャガイモもしっかり入っている。
 馬はどうしたのと云わんばかりにつぶらな瞳で俺を見ている。

 鮮明な白昼夢を見ていたかと錯覚しそうになる。
 いつもと変わらぬ、綺麗な夕日、美しい畑、さわさわと心地よい風。

「トマト、採らなきゃ…」

 言葉を発したのは、妄想の中に囚われたままになると思ったからだ。

 誰も返事をしなかったが、俺の声は確かに俺の耳に届いている。これは現実だ。

 ノロノロと歩を進める。早くトマトを収穫して、村に戻らないと。
 余計に時間を食ったから、こんなに間近に闇が迫っている。
 馬を走らせても、途中で日は落ちるだろう。

「くそ、ついてねえ」


 男との会話を反芻する。

 何度も何度も頭の中で繰り返す。


 額をくっ付ける所でいつも赤くなるのだが、それもまた現実なのである。
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