きみにふれたい

広茂実理

文字の大きさ
上 下
37 / 47
悪戯の1月

2

しおりを挟む
「君は、どうして今ここにいるのかな?」
「え? そんなこと聞くの? さくらさん、俺に言わせたいの? 欲しがるなあ」
「はいはい」
 祝日の月曜日。予定もなく暇だという彼は、正門が施錠されていることに、つい先程舌打ちをしていた。
 まあ、随分といろんな顔を見せてくれるようになったものだ。今もそこで、平然と欠伸をしている。
「寝不足?」
 また、遅くまでゲームでもしていたのだろうか。まあ連休なのだ。大概が遅寝遅起きだろう。
「んー、今日は朝早くから家族がバタバタしてて、起こされたんだ」
「へえ? 何かあるの?」
「我が家のお姉様が、今日成人式で。着付けとかセットとか写真とか。もう母さんと二人して、バッタバタ」
「へえ、そうなんだ……おめでとう」
「ありがとう、さくらさん」
 今日は、成人の日なのか……私は迎えることのできなかった――
「さくらさん?」
 いかんいかん。すぐにマイナス思考がひょっこり顔を出す。そのぴょこっと現れたものを霧散させるように、私はぶんぶんと頭を振った。考えたって仕方のないことを思うのは、やめよう。と、そこに四、五十代くらいの花束を持った女性が現れた。
「あら……」
「あ……」
 彼は、どうやら彼女を知っているようだった。互いに会釈をしている。
 女性は、持っていた花束を門のそばへ置いた。そして、静かに手を合わせている。その瞬間、頭痛が走った。
「そういえば、ここへ進学したのだったわね」
「はい……」
「そんな顔をしないで。あの子が悲しむわ」
「……はい。あの、今日はどうして……」
「この近くで、用事があったの。寄れる時は寄ることにしているのよ……数年は、ここへ来られなかったから。だから、少しでもね」
 女性の眼差しは、とても穏やかだった。
 ああ……私は、この瞳を知っている――良かった。随分と、優しい顔をしている。
「どうしてだか、あの子はお墓や家よりも、他のどこよりも、ここにいる気がしてならないの。おかしいわよね」
 フフッと笑ってみせて、彼女は近くに停まっていた車へ踵を返す。その手には、先程の花束があった。
「今から、お墓へ?」
「ええ。そうだ。この前のお花、貴方でしょう? 綺麗なお花を、どうもありがとう」
「いえ……」
「今日も寒いわ。風邪をひかないようにね」
「はい。ありがとうございます」
 運転席には、同じく穏やかな顔をした男性が座っていた。女性が助手席に乗ると、間もなく車は走り去っていく。彼はその姿が見えなくなるまで、頭を下げていた。
「数年前から来ていた、花束の人……私宛てだったんだ」
 事故死だとは露ほども思っていなかったために、わからなかった。
 私は家族の顔さえ、覚えてはいなかったのだ。
「とても優しい、素敵なご両親だね。泣き続ける俺を責めるでもなく、ただただ一緒に泣いてくれたんだ。優しく、してくれたんだよ」
「そう……」
 私は、ただただ彼らの去っていった方角をじっと見つめていた。そんな私の隣で、彼は黙ってそばにいてくれていた。
「私のお墓にも行ってくれていたの?」
「ああ、うん……ここにいるのは知ってるんだけど。それでも、花屋の前を通るとさ、いつもさくらさんの顔が浮かぶんだ。この色の花、好きそうだなーとか。毎月、月命日には行かせてもらってる」
「そんなにも? ……ありがとう」
「俺がしたいことをしてるだけだよ」
「それでもだよ。ありがとう」
 目を閉じれば、先程の綺麗な花が瞼の裏で鮮やかに咲いていた。
「私ね、病気が悪化したの」
 ふいに口をついて出たのは、花が繋いだ記憶だった。
「思い、出したの?」
「うん……」
 それは、事故の日の少し前のこと。夏の終わりの、まだ暑い、蝉の鳴き声が響き渡る日。
 私は突如倒れて、病院へと運ばれた。
 それまで定期検査も問題なく受けて、毎日処方された薬を飲んでいた。
 検査は、痛くて辛いものもあった。それでもその瞬間だけはと、良くなるからという言葉を信じ、耐えて過ごしていた。
 そんな中の、突然の出来事。
 担当の医師から告げられたのは、私にとって酷なことだった。
「病状の進行が早いです。治療を変えていこうと思います」
 ずっと続けていた、あの痛くて耐えていたことは何だったの?
 それは全部、意味がなかったというのだろうか。無意味だったと、そういうのだろうか。
 良くなるからという言葉をただただ信じて、頑張ってきたというのに。それなのに……。
 もう私の耳には、その後の親と医者の会話は、一切入ってくることはなかった。
「それで、治療を続けたの?」
「うん……もっと、苦しくなった。薬も副作用のあるものになって――その薬の袋を渡してくるお母さんを、恨んでしまうくらいに」
 こんな思いをしているのを知っていて。こんな姿を見ていて。
 それなのに、やめていいとは言ってくれない。
 それどころか、続けろと、頑張れと、そう言ってくる――本当に訪れるかわからない、いつかのために。
 いつか? いつかっていつ?
 頑張れ? もうこんなにも頑張っているのに?
 これ以上、終わりも先も見えない真っ暗闇で、何をどう頑張れというのだろうか。
「その頃だったと思う。私が私を、無意識に傷付け始めたのは」
 心はもう終えたいと願っているのに――しかし体は、本能的に生きようとしていた。
 心と体は一体というならば。それならば、私はそれでも本当は生きたかったと思っていたということなのだろうか――
「自分で自分がわからなくなったの……自分のことなのに」
「あるよね……そういう時」
「……どうも、私たちは似ている。似てしまっているね」
 それ故に。
「慰め合えるし、共感できるし、傷を舐め合える」
 それでも。
「そんなぬるま湯に浸かっていたくも、ないんだよね……」
「さくらさんは、強いから」
「弱いよ。弱いから、逃げたんだ」
「え――?」
「私、治療から逃げたの」
 あの事故の日。本当は早く帰って、病院に行く日だった。だけど行くのが嫌で、適当に用事を作って学校に残っていた。
 それでも、いつまでもはいられなくて、公園にでも行こうかと正門を通った時だった。
「君が、トラックに向かって行くのを見たの」
 カバンも何もかもを放り投げて。ただただ、体が動いていた。
「頭にあったのは、何よりも君だった」
 走ってはいけない体のこととか、これで終われるとか、解放されるとか、毒林檎のような薬のこととか――そんなことは、一切吹き飛んでいた。
 ただただ目の前の、小さな体――その背中に貼られた、大きく理不尽なレッテルごとを突き飛ばすように、この手を伸ばしていた。
「その頃から、そうだったんだね……私たち、変わらない――言葉が、足りない」
 もっと甘えていれば。
 もっとワガママだったなら。
 もっと鈍感だったなら。
 もっと勇気があれば。
 もっと、もっと――
「ねえ、私たち……自己中の悪い子だね」
「本当に」
 自分のことばかり考えていたことにすら気付かずに。閉じこもって、嘆いて傷付けて。
 それをただ見守るしかできないことが、どれだけ辛かったか。
 今更気付いたところで、もう取り戻せやしないのに。
「ごめんなさい……」
 もう、届きはしないのに。後悔は、いつだって私をこうして責めに来るのだ。
「きっと、さくらさんの想いは、ご両親に伝わっているよ。俺、聞いたことがあるんだ」
「え?」
「夢に出てきたって言ってたよ」
「夢?」
 いつの話なのだろうか。
 そして私は、夢へと潜り込んだ覚えはない。だって今の今まで、家族の記憶などなかったのだから。
 私は、ここから出られないのだから。
「さくらさんが息を引き取った、その晩だって言ってた」
「ふうん……でも私は――ん?」
 願望でも見ていたのだろうと思っていた。だが、そうでもないかもしれない。
 最期はもう目も見えなかったから……だから――
「出たかも」
「え?」
「ただ、もう一度――」
 そうだ。最期に、見ておきたくて。
「声が出なかったから、ただただ笑ったの……」
 ごめんなさいと、ありがとうを込めて。
「うん……泣きそうな顔で笑ってたって、そう言ってたよ」
「そっか……」
 だからといって、取り戻せはしないのだけれど。
 それでも、幾ばくかは違うような、そんな気がした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】箱根戦士にラブコメ要素はいらない ~こんな大学、入るんじゃなかったぁ!~

テツみン
青春
高校陸上長距離部門で輝かしい成績を残してきた米原ハルトは、有力大学で箱根駅伝を走ると確信していた。 なのに、志望校の推薦入試が不合格となってしまう。疑心暗鬼になるハルトのもとに届いた一通の受験票。それは超エリート校、『ルドルフ学園大学』のモノだった―― 学園理事長でもある学生会長の『思い付き』で箱根駅伝を目指すことになった寄せ集めの駅伝部員。『葛藤』、『反発』、『挫折』、『友情』、そして、ほのかな『恋心』を経験しながら、彼らが成長していく青春コメディ! *この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件・他の作品も含めて、一切、全く、これっぽっちも関係ありません。

青天のヘキレキ

ましら佳
青春
⌘ 青天のヘキレキ 高校の保健養護教諭である金沢環《かなざわたまき》。 上司にも同僚にも生徒からも精神的にどつき回される生活。 思わぬ事故に巻き込まれ、修学旅行の引率先の沼に落ちて神将・毘沙門天の手違いで、問題児である生徒と入れ替わってしまう。 可愛い女子とイケメン男子ではなく、オバちゃんと問題児の中身の取り違えで、ギャップの大きい生活に戸惑い、落としどころを探って行く。 お互いの抱えている問題に、否応なく向き合って行くが・・・・。 出会いは化学変化。 いわゆる“入れ替わり”系のお話を一度書いてみたくて考えたものです。 お楽しみいただけますように。 他コンテンツにも掲載中です。

全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―

入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。 遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。 本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。 優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。

どうしてもモテない俺に天使が降りてきた件について

塀流 通留
青春
ラブコメな青春に憧れる高校生――茂手太陽(もて たいよう)。 好きな女の子と過ごす楽しい青春を送るため、彼はひたすら努力を繰り返したのだが――モテなかった。 それはもうモテなかった。 何をどうやってもモテなかった。 呪われてるんじゃないかというくらいモテなかった。 そんな青春負け組説濃厚な彼の元に、ボクッ娘美少女天使が現れて―― モテない高校生とボクッ娘天使が送る青春ラブコメ……に見せかけた何か!? 最後の最後のどんでん返しであなたは知るだろう。 これはラブコメじゃない!――と <追記> 本作品は私がデビュー前に書いた新人賞投稿策を改訂したものです。

曙光ーキミとまた会えたからー

桜花音
青春
高校生活はきっとキラキラ輝いていると思っていた。 夢に向かって突き進む未来しかみていなかった。 でも夢から覚める瞬間が訪れる。 子供の頃の夢が砕け散った時、私にはその先の光が何もなかった。 見かねたおじいちゃんに誘われて始めた喫茶店のバイト。 穏やかな空間で過ごす、静かな時間。 私はきっとこのままなにもなく、高校生活を終えるんだ。 そう思っていたところに、小学生時代のミニバス仲間である直哉と再会した。 会いたくなかった。今の私を知られたくなかった。 逃げたかったのに直哉はそれを許してくれない。 そうして少しずつ現実を直視する日々により、閉じた世界に光がさしこむ。 弱い自分は大嫌い。だけど、弱い自分だからこそ、気づくこともあるんだ。

M性に目覚めた若かりしころの思い出

なかたにりえ
青春
わたし自身が生涯の性癖として持ち合わせるM性について、それをはじめて自覚した中学時代の体験になります。歳を重ねた者の、人生の回顧録のひとつとして、読んでいただけましたら幸いです。 一部、フィクションも交えながら、述べさせていただいてます。フィクション/ノンフィクションの境界は、読んでくださった方の想像におまかせいたします。

文化研究部

ポリ 外丸
青春
 高校入学を控えた5人の中学生の物語。中学時代少々難があった5人が偶々集まり、高校入学と共に新しく部を作ろうとする。しかし、創部を前にいくつかの問題が襲い掛かってくることになる。 ※カクヨム、ノベルアップ+、ノベルバ、小説家になろうにも投稿しています。

氷の蝶は死神の花の夢をみる

河津田 眞紀
青春
刈磨汰一(かるまたいち)は、生まれながらの不運体質だ。 幼い頃から数々の不運に見舞われ、二週間前にも交通事故に遭ったばかり。 久しぶりに高校へ登校するも、野球ボールが顔面に直撃し昏倒。生死の境を彷徨う。 そんな彼の前に「神」を名乗る怪しいチャラ男が現れ、命を助ける条件としてこんな依頼を突きつけてきた。 「その"厄"を引き寄せる体質を使って、神さまのたまごである"彩岐蝶梨"を護ってくれないか?」 彩岐蝶梨(さいきちより)。 それは、汰一が密かに想いを寄せる少女の名だった。 不運で目立たない汰一と、クール美少女で人気者な蝶梨。 まるで接点のない二人だったが、保健室でのやり取りを機に関係を持ち始める。 一緒に花壇の手入れをしたり、漫画を読んだり、勉強をしたり…… 放課後の逢瀬を重ねる度に見えてくる、蝶梨の隙だらけな素顔。 その可愛さに悶えながら、汰一は想いをさらに強めるが……彼はまだ知らない。 完璧美少女な蝶梨に、本人も無自覚な"危険すぎる願望"があることを…… 蝶梨に迫る、この世ならざる敵との戦い。 そして、次第に暴走し始める彼女の変態性。 その可愛すぎる変態フェイスを独占するため、汰一は神の力を駆使し、今日も闇を狩る。

処理中です...