きみにふれたい

広茂実理

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気付きの10月

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 まだ少し汗ばむ日の続く、今日この頃。空は高く涼やかな風が吹き、食べ物が美味しくなる季節。まあ、これは私の個人的な意見だけれど、ついつい夏バテしていた体が元気になって、いろいろ食べちゃうんだよね。
 なんて、今の私にはダイエットも何も関係ないけど。
「今日も、いい天気だ」
 そんな秋晴れの、とある日。学校は、いつもと違う顔を見せていた。
 あちらこちらと、至るところに色とりどりの飾り付けがされ、制服と合わせてクラスオリジナルのTシャツを着た生徒たち。中庭や通路には模擬店などが並び、保護者や他校の生徒、近所の人々など、いろいろな人たちが校内にいた。
 今日は、この学校の文化祭。
 はしゃぐ子に緊張している子と、様々な顔を見ることができる。
 私はふらふらと賑やかな校内を見て回りながら、彼のクラスのお化け屋敷を目指した。
「確か、二階の……あった、あれだ」
 目的地に到着した私は、まだこちらに気付いていない彼の仕事ぶりをそっと見ることにした。
「こんにちは。お化け屋敷、どうですか?」
 通りがかる人たちは、皆一様に彼へと視線を向けている。話し掛けられた女の子はもちろん、にこりと微笑みかけられただけの子でさえもが、百発百中と言わんばかりに、懐中電灯を手に黒いカーテンの向こうへと消えていく。その中からは、時折お客さんの悲鳴が聞こえてきていた。
 どうやら、クラスメイトの思惑通り……きっと内心は、複雑に違いない。
「ふう……」
「お疲れ様。大人気だね」
「!」
「いいよ、そのままで。他の子に、変に思われちゃうから」
 彼の近くで漂う。私の反対側には、彼と同じように入り口で呼び込みをしている男子がいるので、それ以上は話し掛けなかった。
 それにしても――と、彼の姿を改めて見る。教室の中は、きっと和風のお化け屋敷なのだろう。彼は、浴衣を着ていた。
 紺色のシンプルなデザインのそれは、とても似合っていて格好いい。もう少し遠くで見ているつもりが、もっと近くで見たかったがために不覚にも近付いてしまった。
 これは、ズルい。彼に声を掛けられずとも、ほいほい釣られてしまうというものだ。
 もちろん、お化け屋敷の出来も良いのだろう。ずっと悲鳴が絶えない。どうやら大盛況のようだ。そのうち、列でもできるのではないだろうか。
「さくらさん早いね。お化け屋敷、見に来たの?」
 彼がこっそりと話し掛けてきたので、悪戯心が芽生えた。誰がお化け屋敷なぞ見に来るか。本気で言っているのか。まったく……いや、ちょっと気になってはいたけれど。
 私は、持てる最大限の艶やかさを意識して、微笑みを湛えた口元を彼の耳へ寄せて囁いた。
「君を、見に来たんだよ」
「!」
 かあっと赤くなる顔を見て、満足する。何やら言いたげなその顔に気付かないフリをして、私は少し離れたところから、しばらく役割をまっとうする姿を眺めていた。

「珍しいね、さくらさんが積極的なの」
 文化祭の喧騒から逃れるように入った空き教室。お昼時の学校は、更に賑わいを見せていた。
 呼び込みの仕事は終わったものの、そのままで歩いていた方が宣伝になるとのことで、彼は浴衣を着たまま首から手作り感満載の、紐がついた黒い画用紙を下げていた。お化け屋敷の宣伝文句が、紙いっぱいに白や赤の大きな字で書かれている。
「そう? なら、きっと私も文化祭の熱に浮かされたんだよ」
 文化祭の記憶はないけれど、こんなに楽しみなものだと感じたのは初めてだと思う。今日が近付くにつれ、そわそわしていた。それに、今日まであまり彼と会う時間がとれなかったのだ。浮かれるのは仕方ない。
「そういえば、お化け屋敷は入らなくて良かった?」
 そう聞かれて、私の眉間には皺が刻まれた。
「いい……怖そうだったから」
 その言葉に、彼が数度瞬きをする。きょとんという表現がぴったりの顔だ。
「それ……さくらさんが言う?」
「どういう意味よ!」
 すかさず噛みついた。これはあれか。幽霊のくせに怖がるなんて、おかしいと言いたいのか。だとしたら、怒っていいやつだよな、これは。
 がるるるると唸ってやれば、彼は苦笑を浮かべて宥めにかかってきた。
「どうどう」
「ったく……」
「さくらさんは、ホラー苦手?」
「……どちらかといえば」
「そうなんだ」
「君は? 好きなの?」
 そういえば、お化け役をやりたがっていたな。
「別に、好きってわけでもないけど……こういう催し物は、楽しめる質かな」
「ふうん……行きたかった?」
「え、俺? いや、作った側だし。中は、できた時に一通り見てるから、別に。あ、でも怖がるさくらさんを見るのも良いな」
「……行かないからね」
「それは残念」
「まったく……ね、文化祭回るんじゃなかったの?」
 どこにも寄らずに、まっすぐここへ来た。回ろうとかデートとか言っていた割には、この場から動く気配がない。どういうつもりでいるのかと思い顔を見やれば、苦い顔の彼がいた。
「回るよ。本当は、すぐにでも回るつもりでいたんだけどさ……でも、さくらさんがあんな可愛いこと言うから……」
 そう言われるようなことを言った覚えはないのだが……。
「それに、今日まであんまり会えなかったから……だから、ちょっと二人になりたかったんだ」
 ソウデスカ。今日は、気温が高い気がする。顔が熱い。
 彼も同じように思っていたんだ……なんて、こんなことで喜んでしまう。私は、なんて単純な人間になってしまったのだろうか。いや、元々か。知らなかっただけだ。
 それにしても、どうして彼はこういう言葉を簡単に口にするのだろうか。とは思うものの、聞いてみるつもりはまったくない。理解などできそうもないからだ。
「ね、ここ。来て」
 甘やかな眼差しに囚われて、私は促されるままに壁際へ座る彼の隣で三角座りをした。
 机や椅子が、教室の端へと集められている。床に座る私たちの視界には、電気の点いていない薄暗く、やけに広く感じる室内と、射し込む光の作る影。締め切られた四角い額縁の向こうは、一つの動く絵画が目の前にあった。
 見慣れたはずの、でもいつもと違う視点の教室。遠くに感じる賑わいが嘘のように、しんとしていた。まるで、作り物のスクリーンを眺めているかのようだ。
「もう少しだけ、このままで……後でいろいろ回ろう」
「うん……」
 前を向く彼の横顔を、ちらと見る。窓の向こうを映すその瞳に見ているものは、何だろうか。空を見ているだけ? それとも、何も見ていないだろうか。
 再び前を向くと、そこに光は射していなかった。
 ああ――同じものなどないのだ。一つとして、存在はしない……。
 風が流れるように、時が進むように、地球が回るように、瞬間瞬間で物事は変化していく。
 私一人がただ置いていかれて、止まっているのだと思っていた。けれど、それはただの思い込みで、自意識過剰で、勘違いだったのだ――最近思う。思わされることが多い。
 それもこれも、彼と関わるようになったからだ。人に触れ、時を過ごしていく中で止めていた、考えるということをまた始めたから。しかしながら思うのは、誰とも同じ時を過ごせやしないってことだけれど。
 それでも、前に進みたいと思わせてくれた人がいるのだ。挑戦しようという気持ちを抱かせてくれた人が。
「さくらさん、何を考えてるの?」
「……君との未来」
「え?」
「……なんてね」
 淡い苦笑を浮かべる。そして浮き上がった。
「さ、そろそろ行こう」
「うん。さくらさん行きたいとこある?」
「そうだな……まずは、君のお昼の調達からかな?」
 タイミングよく聞こえたお腹の虫の声に、二人して笑って。私たちは、模擬店の集まるエリアを目指して歩いた。
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