きみにふれたい

広茂実理

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輝きの7月

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 夏休みまであと数日という、とある日。いつものように桜の木の枝にいると、女子生徒たちの話し声が聞こえてきた。どうやら、体育の授業が終わって、グラウンドから更衣室へ移動中のようだ。別に聞くつもりもなく、いつものようにそのまま腰掛けていたのだが、ある名前が出たことにより、私の耳は一瞬で下方を向いた。
「ねえねえ、黒崎くんの誕生日、もうすぐなんだって!」
「そうなの?」
 はしゃぎ気味にそう言った子の隣を歩く女子に、見覚えがあった。四月に廊下で彼に話し掛けてきた、すごく可愛い子だ。
 誕生日――そういえば、私は彼の生まれた日を知らない。ふいに、口の中へ鉛の味が広がった。
「誕生日のお祝いしたいなー。でも夏休み中だし、会えたりしないかなー」
「そうだよねー。せめて、皆とでいいから、ワイワイできたらいいのに」
 やっぱり、彼はモテているようだ。そんな話を当人は一切しないけれど、わかっていたことなので、今更驚きはしない。それにしても、二人とも可愛い。そのそばに歩いている子は、綺麗な子だ。あんな子たちが近くにいて、どうして見向きもしないなんてことができるのだろう。同様の体験をして、同じ空間にいて、好意を寄せてくれていて、そして実際に触れることができるのに。学校外でだって、会ったりできるのに。私とだとできないことが、たくさんできるのに。それなのに、どうしてそこまで私に――
「でも、きっと当日は、彼女と過ごすに決まってるよね」
 女の子のその言葉に、私は思考が止まった。――彼女? 今、そう聞こえた……。どういうこと? 彼女がいる? まさか、そんな……。きっと、何かの間違いだよね……?
「そうだよね……ああー、彼女ってどんな人なんだろうー。羨ましすぎる!」
「年上の美人って聞いたよ」
「私も聞いたー。男子が見たことあるとか言ってたよ。大学生だっけ、確か」
「黒崎くんなら、納得だよね」
 彼女たちが校舎内へ入っていったので、会話はそこまでしか聞くことができなかった。追いかけて行けば続きを聞くことはできただろうが、足から根が生えてしまったために、それは叶わなかった。
「はは……彼女?」
 やけに詳しい話だった。勘違いや、噂とか、そういう曖昧なものではない。本当なんだ。本当に、彼女ができたんだ。彼に、生きている人間の彼女がいるんだ――
「おかしいな……」
 わかっていたことなのに――いつかこんな日が来るだろうと、予想だってできていたのに。覚悟なんて、していたはずなのに。その日が来たら、私はひっそりと彼の前から消えて、そうして遠くからその姿を祝ってあげるつもりでいたのに……それなのに。
 すべて、何もかもがつもりになっていたなんて――
 今更――突然に突きつけられた現実に、思い知らされる。どうしてこう、リアルは急に牙をむくのだろう。いつだってそうだ。何の前触れもなくやってきては、心をぐちゃぐちゃに掻き乱して、苦しめて。そうして、私を一人置いていってしまう。それだけでなく、時間と仲良く手を繋いで、留まりたい想いを無理矢理に連れていこうとするのだ。私が逆らって立ち止まろうとしても、無情に時は進んで、朝を連れてきてしまう。
 ああ、どうしよう。痛い。痛くて、苦しい。胸の奥に、ぽっかりと大きな穴が開いているような。奥底に、真っ黒い重りがのし掛かっているような。そんな倦怠感に、襲われる。
 ふいに鼻の頭がつんとして、視界がぼやけた。どうやら、私の涙腺は壊れてしまったらしい。病院にも行けないというのに、どうやったら治せるのか――誰か、教えてはくれないだろうか。
「彼女、できたんだ。いつの間に……だったら、だったらなんで……?」
 ――変わらず、私のところへ来ていたの?
 同情? 自分から言っておいてって、気にしているの? そうやって優しくして、帰ってから彼女と会ったり、電話をしたりしていたの? そんなの……そんなのは、優しさなんかじゃない。
「残酷だよ……」
 年上が好きなのかな? 私に、好きって言ったくらいだもんね。大学生か……可愛いのかな。それとも、綺麗な人かな。どこで出会ったのかな。彼なら、逆に声を掛けられそうだな。
 見たことある子もいるって言っていたな。友達に紹介でもしたのかな。
 誕生日、夏休みなんだ。知らなかった……彼女は、知っているのかな。その人に、祝ってもらうのかな。当日は、二人で過ごすんだろうな。
 私は知らないのに――ああ……でも、どうせ私は知っていたところで、何もできない。何もしてあげられない。だったら、教えてもらっていたところで、意味など最初からなかったんだ。夏休みは、ずっと彼女と過ごすのだろうか。
「あ――」
 ――なんだ、あったじゃないか、サイン。日に日に、落ち込んでいたじゃないか。やっぱりあれは、聞いて欲しいというサインだったのではないだろうか。言い出せなくて、それで出た溜息だったのだろうか。
 なのに、私ときたらなんて恥ずかしいのだろう。何様のつもりだったのだろう。彼の溜息が、夏休みに入ると、私とこうして会えなくなることから出たものだろうと思い込んでいたなんて。なんて、自惚れ――
「バカだ、私……」
 呆れるほどに恥ずかしくて、情けなくて。今更ながらにした後悔が、頭の中を蹂躙する。気付いていながら、ゴミ箱に押しやって、蓋をしていた想いが、暴れて泣いている。フラッシュバックのように、鮮明に次々と蘇る二人の時間。笑顔と思い出。
 もっと、素直になれば良かったの? あの時、ああしていたら? ――なんて、もう戻れない。
 二度と告げることのなくなった二文字が、喉元から擦り抜けようとする。
 もう嫌だ……やめて。暴れないで、泣かないで、消えないで。ごめんね、私の気持ち。無視をしたから、閉じ込めたから、怒っているのでしょう?
「うう……ああ……っ」
 私は、ただただ声を上げて、子どものように手を、制服をぐしょぐしょに染め上げた。黙って照りつける太陽は、そんな水分を気化してなどくれなかったけれど。
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