きみにふれたい

広茂実理

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煌めきの6月

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 彼の腕から包帯が消えて久しく、傷も綺麗になってきた頃。私たちは、放課後の図書室にいた。
「またテストか。この前、終わったばっかりなのにね」
「今度は期末だから、教科数が多いんだよ。助けて、さくらさん」
「……私は、未来からやって来た便利なロボットじゃないよ」
 毎回テストのたびに、こうなるのだろうか。いつもの席に着き、教科書類を広げる彼の荷物を見て、ふと疑問が生じる。
「そういえば、辞書持たないよね」
「辞書?」
「私は、重たい辞書を持っていたよ。本のやつ。教室の机か、ロッカーに入れていたけれどね」
「それって、これ? ケースに入ってるような、角が凶器の」
 そう言って彼は立ち上がり、本棚から辞書を取り出してきた。まあ角は痛いけど、でも凶器って……。
「あー、うん、そういうの。思えば、前のテスト勉強の時も、開いている姿を見たことなかったなーって思って」
 そう言えば、きょとんとした目とぶつかった。
「え?」
 いやいや、何故そんな顔をするの?
「こんな重いのを、都度開いてたの?」
「そうだよ。まあ、電子辞書でも良かったから、ずっと持ち歩いていたわけじゃないけれどね」
「あー、電子辞書なら、授業中たまに漢字とか調べる時は使う」
「そうそう、そういうのだよ」
「でも、授業中じゃなかったらさ、わざわざ辞書なんて使わないよ」
「え?」
 おもむろに、ケータイを取り出す彼。そういや、ケータイの形も変わったな。もう小さいパソコンみたい。初めて見た時は、ケータイだと信じられなかったっけ。
「ネットで調べた方が早いし、アプリとか使ってるやつもいるよ」
 ネット? アプリ?
「わからないことは、大抵ネットの検索で、ほら」
「へえ……」
 ちょっと、十年ほどタイムスリップしてきたみたいだ。浦島太郎って、こういう気分だったのかな。
「そっか。さくらさんって、重い辞書持って勉強してたんだ。ケータイも、昔はなかったって聞いたことあるし」
 おいこら、馬鹿にするな。私だって、ケータイくらい持っていたわ。
「じゃあ、あれだ。勉強も、ネットに助けてもらいなよ。私はいらないでしょ」
 未来から来たロボットがいない今、過去から留まっている幽霊よりも、現在の技術が助けてくれるのだから。
「え? なんで?」
「わからないことは、ネット検索すれば、すぐわかるんでしょ?」
「そうだけど……そうじゃないんだって。俺には、さくらさんが必要なの。何? 怒ったの?」
「怒ってない」
「じゃあ、何で?」
 何だろう……怒ったのとは違う。これは、そう――
「……十年って、大きいなって。玉手箱を開けたくなった」
「玉手箱?」
「いいの。気にしないで」
 世の中がいろいろ変わっていて、知っている人もここにはいなくて、どうしたらいいかわからなくて、何がどうなっているのかもわからなくて。何かに、縋りたかったのだろうか――私は、彼に縋っているのだろうか。藁を掴むような気持ちで。でも、そんな彼にも壁を感じて。だから、私は……。
「さくらさん、寂しくなっちゃったの?」
「……誰が」
「可愛い」
「……」
「俺がいるよ」
「ん……」
 たった一人で老いて、それからもう乙姫に会えなかった浦島太郎とは、違う。今だけかもしれないけれど、私には彼がいるのだ。それだけで幸せじゃないか。これ以上なんて、望み過ぎというものだ。
「玉手箱なんて、俺なら渡さないよ。おばあさんになんて、なっちゃ嫌だよ」
「君ならまず、地上へ帰してくれなさそう」
「バレた?」
「ひどい人」
「さくらさん限定でね」
 ああ、こうして私は緩やかな波に囚われて、いつしか沈んでいくのだろう。大きな海に抱かれて、頭上で煌く彼方を見つめながら。そうして、暗い闇の底へと落ちていってしまったとしても、私はきっとその想いを抱いて眠るのだ。
 彼を、瞼の裏に閉じ込めながら。
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