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王都にあるモートン公爵家のタウンハウスは広大な土地にあり、その中には現モートン公爵家当主エメリーの弟であるダウンズ伯爵ダライアスマイルズモートンとその妻エリノーラが暮らす離れもある。
離れとは言っても平屋建ての屋敷と言って相違ない館で、当然使用人も見合った人数が働いていた。
弟夫妻はタウンハウスの管理もしながら、ここでダウンズ伯爵夫妻としての働きもする。
とはいえ、ダウンズ伯爵であるダライアスは王城に勤める文官で忙しく、ダウンズ伯爵邸は勿論の事、公爵家のタウンハウスである館の管理などは見た目からは想像出来ない優秀な妻のエリノーラが采配を奮っていた。
そんな二人の元に遅ればせながら、エメリーが初恋を成就させたとの一報が舞い込んできた。
ダライアスに書類を持ってきた“元”カスナー子爵家三男で現在はトロスト男爵三男のバルナバスペヒが、二人に口頭で説明した形である。
ブラコン伯爵と囁かれているダライアスは「兄上が初恋を!!相手を守らねば!警備の人数は足りているのか?兄上が嫌われるような事をする使用人はいないか?」など矢継ぎ早に聞き、バルナバスを非常に困らせた。
ブラコンなダライアスの中で『大好きな兄上の大切な相手は自分にとっても大切な相手』という図式が成り立っているのだ。
最も、エメリーに忠誠を誓いまくりの忠実な部下の一人であるバルナバスが「ミライ様はエメリー様に取ってとても良い相手でいらっしゃいます。エメリー様は悪い大人の見本のような格好でミライ様を手に入れましたが、お二人は思い合っておりますよ」などなど、美蕾を“悪く言わなかった”からこそとも言えるのだけれど。
ブラコンだからこそ、いくら兄の初恋成就とはいえ悪い人間ならば排除して当然だろう。
「しかし……異世界人か」
人払いをさせた執務室で、美蕾の“全て”を聞いたダライアスは顎に手を当て考え込む。
若干眉間に皺を寄せるダライアスにエリノーラは
「旦那様、エメリー様に好い人が出来たんですもの。何処の誰でもいいじゃありませんか」
とにこやかに言う。エリノーラはダライアスがブラコンだからこそ妻になった“シスコン”である。
口癖は「妹の縁談はわたくしにお任せください。わたくしがいい旦那様を探します」だ。
兄弟を思う気持ちはこの上ないほど理解していた。
「エリノーラの言う通りで私もそう思っている。しかし、いや、何かが引っかかっているだけだ。異世界……」
ダライアスが考え込んでこうなると、誰が何を言っても聞こえていない。
エリノーラはバルナバスに頼んで執務室を後にした。
少なくとも今日はここに泊まるバルナバスのために、色々と準備をしなければならない。
彼は、ここで世話になる時は最低限でいいと“我儘”を言う。
バルナバスは優秀だけれどとても“せっかち”で、いつも“今日のように”蜻蛉返りなんて言い出す。
泊まって体を休めてもらうためには、彼が“断れないもてなし”が必要だ。
その一環が、彼が使った馬車の馭者と馬を休ませる事。
彼が使う馭者は彼が生家の子爵家で不遇の扱いを受けていた時、隠れて何度も助けてくれていたと言う。だから彼が公爵家で勤め始めた時に彼を引き抜いた。
その馭者にも休息がいるといえば、バルナバスもここでのもてなしを受け入れる。
バルナバスはエリノーラにやられっぱなしなのだ。
「ふふふ、わたくしもやる時はやる女ですのよ」
楽しそうなエリノーラの笑い声が廊下に響いた。
執務室では沈黙が広がったままだ。
難しい顔で考え込んでしまったダライアスを見ているしかないバルナバスだったが、突然ダライアスが立ち上がる。そして
「アルバンはいるか」
と廊下に顔を出し声をかけるとすぐにアルバンと呼ばれた男がダライアスの目の前に現れ、サッと跪いた。
「一時噂になったあの件を調べて欲しい。失敗したのか、そうなら原因があるのかどうかもだ。なるべく早く。今の状況なら噂で十分だ」
「かしこまりました」
そう言ってアルバンはまた消えた。
彼は魔法があるこの世界で忌み嫌われると言う闇の魔法に特化しすぎている男。こんな芸当は造作もない。
忌み嫌われ殺されてもおかしくないアルバンを守り育てた──と言っても、アルバンの見た目が彼を拾った14の頃から今もほとんど変わらないので、拾った時の実年齢は不明のままだけれど──ダライアスに傾倒している。
「アルバンなら間違いなく、噂でも拾ってくる。それからにしよう」
扉を閉め言うダライアスにバルナバスは不安そうに顔を顰めた。
「大丈夫だ。兄上だぞ。なんとでもする」
バルナバスの不安を吹き飛ばそうと、ダライアスは実に挑戦的な笑顔を見せた。
それから数日後。
馬車を最大限の速度で走らせたバルナバスが戻ってきた。
彼はすぐさま馭者と馬に休息を与えるように指示を出してから、息を切らして廊下を駆ける。
滅多にない、いや、今までに一度もないこの行動にすれ違う使用人が目を丸くする。
執務室の扉をノックし入室の許可を得ると、バルナバスは転がるように入室した。
はあはあと息を整える姿に瞬くエメリーと、訝しげな顔をするベルトホルト。
バルナバスは室内に美蕾がいない事を確認してから
「ミライ様は?」
「今はアロイジアと散歩をしていますよ。最近美味しいものを食べすぎてメタボが気になるとか。せいじんなんとかに気をつけなけれならない気がするからとか……確か」
「つまり肥満体型にならないようにしたいと言う事らしい。ミライは細いから気にしなくてもいいと思うんだが」
ベルトホルトの発言の補足をエメリーがする。
「ヒルデブラントに、ミライ様をしばらく執務室から離しておくように頼みます」
バルナバスはそう言い、自分を追いかけ部屋の外で待たせていた自分の従者の一人に「ヒルデブラントに、馬車から運ばせた土産をミライ様と見て、ミライ様の好みを把握するようにと伝えてほしい」と追い払う。
従者は「旦那様の参考になりますね」と微笑んでヒルデブラントに伝えに行った。
これでしばらくこの部屋には三人だけしかいない。ブラコンが選び抜いた土産はかなり大量だ。全て見るにはかなりの時間を必要とするだろう。
完全に人払いした状態になったところで、バルナバスは口を開いた。
「数ヶ月ほど前、聖女召喚の儀を行ったようです」
エメリーの目が大きく見開く。
成功するかどうかも分からない、もしかしたらそれを行った魔道士全ての命を奪うかもしれないという禁断の儀を行ったと言うのだ。
「今、聖女様はいらっしゃるだろう。教会が見つけたと言って、第二王子殿下の婚約者になったはずだが」
「はい。ですが、どうにも。仮初めの聖女だったのではないかという声が上がっていたようです。その声もまだ中央の一部だけで、外まで漏らさないようにしていたようです」
「それで、聖女召喚の儀だと?成功したのか?」
「いいえ」
ベルトホルトが口を開けて驚く。声にしようとした言葉が驚きのあまり出てこなかった。
「それで、バルナバスがこれほど急いで帰ってきたのには、それと私に関係があると言う事で間違いないのだな?」
「ええ」
エメリーが大きく息を吐き出し、小さく頷いた。
「ミライか」
ベルトホルトが握っていた書類をバサリと机に落とす。
「まさか。召喚の儀は確実に指定した場所、つまり魔法陣の上に現れる事になっているはずです」
ベルトホルトの視線はバルナバスに向かう。それを受けバルナバスは
「聖女様は自分の代わりが召喚されると知り、どうやら魔法陣の一部をこすり落としたと。あまりに小さかったので誰も気がつかないまま、召喚の儀を行ったようです」
「犠牲者は?」
エメリーらしい質問が飛び出した。
召喚に成功しても術者の生死が儀式が終わるまで分からないような、そんな禁断の儀式だ。魔法陣を欠損させたとなるとどんな事が起きるのか、未知数となる。
「犠牲者はいません。召喚の儀が失敗した原因を解明するに当たって欠損が見つかり、聖女様が儀式の間に出入りしたと言う話が出たので聖女様がやったのではないかと。ただ聖女様が相手である事、賛否というか貴族の間からも批判的な意見が大多数を占める儀式を行ったわけですから、召喚の儀をしたこと自体無かった事にしようとしているようです」
「なるほど。成功したら後から発表しようというわけか。国王らしい判断だ」
「ですので、同時期に異世界から来たミライ様が実は……と。ダライアス様が非常に心配されていました。万が一“本物の聖女様”が婚姻するのなら第二王子殿下です。男でも構いませんから」
「だから聖女は王太子殿下の婚約者にはならんのだよ。過去には聖人がいたとされているからな」
はあ、とまた息を吐きエメリーは眉間を揉み込んだ。
異世界人が現れる時は何かしら、人の力が関わっている。
神が叶えてやろうと思うほど強く強く、まさに命をかけて願い続けた結果、異世界人が現れたと言う事もあると残されている。
しかし大半が禁術とされている召喚の儀だ。
──────異世界人を召喚すると言う事は、いわば人攫いだ。自分の本当の世界に何もかも置いて、勝手に、この世界の人間の身勝手さで呼び出された挙句、あれをしてくれこれをしてくれ、こうするべきだと押し付けられる。異世界人はおもちゃでも奴隷でもない。人だ。君たちが攫ってきた人間だ。
そう言ってこの王国を追い詰めた最強の聖女がいたと言う。彼女の発言は尤もで、けれども彼女はそれでもこの国を救った。救って彼女はそう大きな声をあげたのだ。
彼女に救われた民はもちろん、多くの貴族が賛同した。自分の子供や家族が同じような理不尽な目に遭って、役目を押し付けられ消耗品のように使われる。
彼らは彼女によって、その事に、その時初めて気がついたのだ。
半分以上は彼女が“仕掛けた”、彼女のその思いを聞き手に同調させる魔術や、理不尽に攫われ様々な事を押し付けられる事を想像させる魔術が効いていたのかもしれないけれど、その事は誰にも気がつかれないままだからどうでもいい。
どんな方法を用いていたとしても、彼女の望みである『召喚の儀は禁術である』と定める事に成功したのだから。
「王家は召喚の儀を独断でした事を表にしたくないだろう。しかし相手はあの王家だ。ミライを王家に取られる事を想像すると頭にくる。思わず戦にしたくなるではないか」
好戦的に弧を描く口元にバルナバスは、弟であるヒルデブラントに聞いた言葉を思い出した。
──────エメリー様は、うちに入れた人が理不尽な目に遭っていると分かって戦うと決めると、なんていうか完膚なきまでに潰して消滅させる気かなって顔をする。
「聖女聖人として王家に入らず教会にも行かずに済む方法は……婚姻か。しかも蔦の儀がいるな」
「なさいますか?エメリー様は問題ないでしょうけれども、ミライ様は良しとなさいますでしょうか?蔦の儀は騙して行えるものではございませんよ」
「納得してもらうし、私から離れたいなんて考えないように愛していくから問題ない」
「さようですか」
自信ありげな笑みを浮かべるエメリーにバルナバスの背筋がゾワッとする。
愛情を注ぐのはいいのだけれど、王家に取られるかもしれないなんて確定していない未来に対し怒りを持ったまま笑われると、いささか背筋が凍るものだ。
エメリーは話は終わったと書類を引き寄せ、それに必要なものを必要な場所に書き込んでいく。
バルナバスはこの件で突然何かしろとを言われた時のために控えたままだ。
「そもそもだが、この国に今、なぜ聖女が必要なんだ?」
エメリーの尤もな質問に全員が沈黙し、作業を止めた。
そうなのだ。
聖女を探したり召喚の儀を行っていた頃は、魔の物と言われる魔獣との戦いで国がなくなる事もあれば、半分が火の海になるなんて事もあった時代。
聖女召喚はこの国の秘匿とされており、魔獣との戦いで世界中が疲弊していた時代は他国が“国主導”で聖女を拉致する事もあった。
今では魔法や魔道具の進化で魔獣との戦いも──犠牲がないとは言わないけれど──そこまでの規模にならない。
魔獣の大発生なども聖女を必要としていた時代に比べ、研究も進み予兆から読み取る事が出来るようになった。
もちろん犠牲は今もあるし、予期も確実ではない。
しかし、聖女だなんだと言う時代ではないはずなのだ。
流石に聖女のみが行えるとされる全ての状態異常と欠損すら完全回復させる“祈り”は出来なくとも、回復に特化した魔術師は多い。
欠損を補う義手や義足などはかなり進化し、魔道具の補助機能がついたものは器具を見ない限り本当のそれらとあまり代わりない動きをする。
それなのに今、教会は聖女を見つけたと言い第二王子の婚約者にし、極秘裏に召喚の儀まで行う。
「なぜ聖女が必要なんだ?」
問いかけると言うよりも独り言のようなそれに、バルナバスは「ああ」と合点が入った様子で
「前王妃殿下の不義でのダメージが癒えない間に、国王陛下の弟である王弟殿下の奴隷問題、そして極め付けに第三王子殿下が犯罪者を魔術の実験にしていたというのが表沙汰になりましたよね。ダメージ回復する間も無く、次から次へと不祥事がありましたから。第三王子殿下の件の後、聖女が見つかって第二王子のって話が話題になりましたから……そう言う事なのでは?」
「ありえるな。今の国王なら十分、そんな理由だけで召喚の儀を強硬しそうだ。今までの歴史があるから、聖女がいると言うだけで民の安心感というものはとても大きく、人の心はそれだけで随分変化するものだ。今は聖女がいらなくても、それに変わりはないだろう。それだけ王家に対し不信感を募らせているという事なのだがなあ」
エメリーはなるほどなるほどと頷いて、「蔦の儀を早く済ませてしまおう」と固く決意した。
離れとは言っても平屋建ての屋敷と言って相違ない館で、当然使用人も見合った人数が働いていた。
弟夫妻はタウンハウスの管理もしながら、ここでダウンズ伯爵夫妻としての働きもする。
とはいえ、ダウンズ伯爵であるダライアスは王城に勤める文官で忙しく、ダウンズ伯爵邸は勿論の事、公爵家のタウンハウスである館の管理などは見た目からは想像出来ない優秀な妻のエリノーラが采配を奮っていた。
そんな二人の元に遅ればせながら、エメリーが初恋を成就させたとの一報が舞い込んできた。
ダライアスに書類を持ってきた“元”カスナー子爵家三男で現在はトロスト男爵三男のバルナバスペヒが、二人に口頭で説明した形である。
ブラコン伯爵と囁かれているダライアスは「兄上が初恋を!!相手を守らねば!警備の人数は足りているのか?兄上が嫌われるような事をする使用人はいないか?」など矢継ぎ早に聞き、バルナバスを非常に困らせた。
ブラコンなダライアスの中で『大好きな兄上の大切な相手は自分にとっても大切な相手』という図式が成り立っているのだ。
最も、エメリーに忠誠を誓いまくりの忠実な部下の一人であるバルナバスが「ミライ様はエメリー様に取ってとても良い相手でいらっしゃいます。エメリー様は悪い大人の見本のような格好でミライ様を手に入れましたが、お二人は思い合っておりますよ」などなど、美蕾を“悪く言わなかった”からこそとも言えるのだけれど。
ブラコンだからこそ、いくら兄の初恋成就とはいえ悪い人間ならば排除して当然だろう。
「しかし……異世界人か」
人払いをさせた執務室で、美蕾の“全て”を聞いたダライアスは顎に手を当て考え込む。
若干眉間に皺を寄せるダライアスにエリノーラは
「旦那様、エメリー様に好い人が出来たんですもの。何処の誰でもいいじゃありませんか」
とにこやかに言う。エリノーラはダライアスがブラコンだからこそ妻になった“シスコン”である。
口癖は「妹の縁談はわたくしにお任せください。わたくしがいい旦那様を探します」だ。
兄弟を思う気持ちはこの上ないほど理解していた。
「エリノーラの言う通りで私もそう思っている。しかし、いや、何かが引っかかっているだけだ。異世界……」
ダライアスが考え込んでこうなると、誰が何を言っても聞こえていない。
エリノーラはバルナバスに頼んで執務室を後にした。
少なくとも今日はここに泊まるバルナバスのために、色々と準備をしなければならない。
彼は、ここで世話になる時は最低限でいいと“我儘”を言う。
バルナバスは優秀だけれどとても“せっかち”で、いつも“今日のように”蜻蛉返りなんて言い出す。
泊まって体を休めてもらうためには、彼が“断れないもてなし”が必要だ。
その一環が、彼が使った馬車の馭者と馬を休ませる事。
彼が使う馭者は彼が生家の子爵家で不遇の扱いを受けていた時、隠れて何度も助けてくれていたと言う。だから彼が公爵家で勤め始めた時に彼を引き抜いた。
その馭者にも休息がいるといえば、バルナバスもここでのもてなしを受け入れる。
バルナバスはエリノーラにやられっぱなしなのだ。
「ふふふ、わたくしもやる時はやる女ですのよ」
楽しそうなエリノーラの笑い声が廊下に響いた。
執務室では沈黙が広がったままだ。
難しい顔で考え込んでしまったダライアスを見ているしかないバルナバスだったが、突然ダライアスが立ち上がる。そして
「アルバンはいるか」
と廊下に顔を出し声をかけるとすぐにアルバンと呼ばれた男がダライアスの目の前に現れ、サッと跪いた。
「一時噂になったあの件を調べて欲しい。失敗したのか、そうなら原因があるのかどうかもだ。なるべく早く。今の状況なら噂で十分だ」
「かしこまりました」
そう言ってアルバンはまた消えた。
彼は魔法があるこの世界で忌み嫌われると言う闇の魔法に特化しすぎている男。こんな芸当は造作もない。
忌み嫌われ殺されてもおかしくないアルバンを守り育てた──と言っても、アルバンの見た目が彼を拾った14の頃から今もほとんど変わらないので、拾った時の実年齢は不明のままだけれど──ダライアスに傾倒している。
「アルバンなら間違いなく、噂でも拾ってくる。それからにしよう」
扉を閉め言うダライアスにバルナバスは不安そうに顔を顰めた。
「大丈夫だ。兄上だぞ。なんとでもする」
バルナバスの不安を吹き飛ばそうと、ダライアスは実に挑戦的な笑顔を見せた。
それから数日後。
馬車を最大限の速度で走らせたバルナバスが戻ってきた。
彼はすぐさま馭者と馬に休息を与えるように指示を出してから、息を切らして廊下を駆ける。
滅多にない、いや、今までに一度もないこの行動にすれ違う使用人が目を丸くする。
執務室の扉をノックし入室の許可を得ると、バルナバスは転がるように入室した。
はあはあと息を整える姿に瞬くエメリーと、訝しげな顔をするベルトホルト。
バルナバスは室内に美蕾がいない事を確認してから
「ミライ様は?」
「今はアロイジアと散歩をしていますよ。最近美味しいものを食べすぎてメタボが気になるとか。せいじんなんとかに気をつけなけれならない気がするからとか……確か」
「つまり肥満体型にならないようにしたいと言う事らしい。ミライは細いから気にしなくてもいいと思うんだが」
ベルトホルトの発言の補足をエメリーがする。
「ヒルデブラントに、ミライ様をしばらく執務室から離しておくように頼みます」
バルナバスはそう言い、自分を追いかけ部屋の外で待たせていた自分の従者の一人に「ヒルデブラントに、馬車から運ばせた土産をミライ様と見て、ミライ様の好みを把握するようにと伝えてほしい」と追い払う。
従者は「旦那様の参考になりますね」と微笑んでヒルデブラントに伝えに行った。
これでしばらくこの部屋には三人だけしかいない。ブラコンが選び抜いた土産はかなり大量だ。全て見るにはかなりの時間を必要とするだろう。
完全に人払いした状態になったところで、バルナバスは口を開いた。
「数ヶ月ほど前、聖女召喚の儀を行ったようです」
エメリーの目が大きく見開く。
成功するかどうかも分からない、もしかしたらそれを行った魔道士全ての命を奪うかもしれないという禁断の儀を行ったと言うのだ。
「今、聖女様はいらっしゃるだろう。教会が見つけたと言って、第二王子殿下の婚約者になったはずだが」
「はい。ですが、どうにも。仮初めの聖女だったのではないかという声が上がっていたようです。その声もまだ中央の一部だけで、外まで漏らさないようにしていたようです」
「それで、聖女召喚の儀だと?成功したのか?」
「いいえ」
ベルトホルトが口を開けて驚く。声にしようとした言葉が驚きのあまり出てこなかった。
「それで、バルナバスがこれほど急いで帰ってきたのには、それと私に関係があると言う事で間違いないのだな?」
「ええ」
エメリーが大きく息を吐き出し、小さく頷いた。
「ミライか」
ベルトホルトが握っていた書類をバサリと机に落とす。
「まさか。召喚の儀は確実に指定した場所、つまり魔法陣の上に現れる事になっているはずです」
ベルトホルトの視線はバルナバスに向かう。それを受けバルナバスは
「聖女様は自分の代わりが召喚されると知り、どうやら魔法陣の一部をこすり落としたと。あまりに小さかったので誰も気がつかないまま、召喚の儀を行ったようです」
「犠牲者は?」
エメリーらしい質問が飛び出した。
召喚に成功しても術者の生死が儀式が終わるまで分からないような、そんな禁断の儀式だ。魔法陣を欠損させたとなるとどんな事が起きるのか、未知数となる。
「犠牲者はいません。召喚の儀が失敗した原因を解明するに当たって欠損が見つかり、聖女様が儀式の間に出入りしたと言う話が出たので聖女様がやったのではないかと。ただ聖女様が相手である事、賛否というか貴族の間からも批判的な意見が大多数を占める儀式を行ったわけですから、召喚の儀をしたこと自体無かった事にしようとしているようです」
「なるほど。成功したら後から発表しようというわけか。国王らしい判断だ」
「ですので、同時期に異世界から来たミライ様が実は……と。ダライアス様が非常に心配されていました。万が一“本物の聖女様”が婚姻するのなら第二王子殿下です。男でも構いませんから」
「だから聖女は王太子殿下の婚約者にはならんのだよ。過去には聖人がいたとされているからな」
はあ、とまた息を吐きエメリーは眉間を揉み込んだ。
異世界人が現れる時は何かしら、人の力が関わっている。
神が叶えてやろうと思うほど強く強く、まさに命をかけて願い続けた結果、異世界人が現れたと言う事もあると残されている。
しかし大半が禁術とされている召喚の儀だ。
──────異世界人を召喚すると言う事は、いわば人攫いだ。自分の本当の世界に何もかも置いて、勝手に、この世界の人間の身勝手さで呼び出された挙句、あれをしてくれこれをしてくれ、こうするべきだと押し付けられる。異世界人はおもちゃでも奴隷でもない。人だ。君たちが攫ってきた人間だ。
そう言ってこの王国を追い詰めた最強の聖女がいたと言う。彼女の発言は尤もで、けれども彼女はそれでもこの国を救った。救って彼女はそう大きな声をあげたのだ。
彼女に救われた民はもちろん、多くの貴族が賛同した。自分の子供や家族が同じような理不尽な目に遭って、役目を押し付けられ消耗品のように使われる。
彼らは彼女によって、その事に、その時初めて気がついたのだ。
半分以上は彼女が“仕掛けた”、彼女のその思いを聞き手に同調させる魔術や、理不尽に攫われ様々な事を押し付けられる事を想像させる魔術が効いていたのかもしれないけれど、その事は誰にも気がつかれないままだからどうでもいい。
どんな方法を用いていたとしても、彼女の望みである『召喚の儀は禁術である』と定める事に成功したのだから。
「王家は召喚の儀を独断でした事を表にしたくないだろう。しかし相手はあの王家だ。ミライを王家に取られる事を想像すると頭にくる。思わず戦にしたくなるではないか」
好戦的に弧を描く口元にバルナバスは、弟であるヒルデブラントに聞いた言葉を思い出した。
──────エメリー様は、うちに入れた人が理不尽な目に遭っていると分かって戦うと決めると、なんていうか完膚なきまでに潰して消滅させる気かなって顔をする。
「聖女聖人として王家に入らず教会にも行かずに済む方法は……婚姻か。しかも蔦の儀がいるな」
「なさいますか?エメリー様は問題ないでしょうけれども、ミライ様は良しとなさいますでしょうか?蔦の儀は騙して行えるものではございませんよ」
「納得してもらうし、私から離れたいなんて考えないように愛していくから問題ない」
「さようですか」
自信ありげな笑みを浮かべるエメリーにバルナバスの背筋がゾワッとする。
愛情を注ぐのはいいのだけれど、王家に取られるかもしれないなんて確定していない未来に対し怒りを持ったまま笑われると、いささか背筋が凍るものだ。
エメリーは話は終わったと書類を引き寄せ、それに必要なものを必要な場所に書き込んでいく。
バルナバスはこの件で突然何かしろとを言われた時のために控えたままだ。
「そもそもだが、この国に今、なぜ聖女が必要なんだ?」
エメリーの尤もな質問に全員が沈黙し、作業を止めた。
そうなのだ。
聖女を探したり召喚の儀を行っていた頃は、魔の物と言われる魔獣との戦いで国がなくなる事もあれば、半分が火の海になるなんて事もあった時代。
聖女召喚はこの国の秘匿とされており、魔獣との戦いで世界中が疲弊していた時代は他国が“国主導”で聖女を拉致する事もあった。
今では魔法や魔道具の進化で魔獣との戦いも──犠牲がないとは言わないけれど──そこまでの規模にならない。
魔獣の大発生なども聖女を必要としていた時代に比べ、研究も進み予兆から読み取る事が出来るようになった。
もちろん犠牲は今もあるし、予期も確実ではない。
しかし、聖女だなんだと言う時代ではないはずなのだ。
流石に聖女のみが行えるとされる全ての状態異常と欠損すら完全回復させる“祈り”は出来なくとも、回復に特化した魔術師は多い。
欠損を補う義手や義足などはかなり進化し、魔道具の補助機能がついたものは器具を見ない限り本当のそれらとあまり代わりない動きをする。
それなのに今、教会は聖女を見つけたと言い第二王子の婚約者にし、極秘裏に召喚の儀まで行う。
「なぜ聖女が必要なんだ?」
問いかけると言うよりも独り言のようなそれに、バルナバスは「ああ」と合点が入った様子で
「前王妃殿下の不義でのダメージが癒えない間に、国王陛下の弟である王弟殿下の奴隷問題、そして極め付けに第三王子殿下が犯罪者を魔術の実験にしていたというのが表沙汰になりましたよね。ダメージ回復する間も無く、次から次へと不祥事がありましたから。第三王子殿下の件の後、聖女が見つかって第二王子のって話が話題になりましたから……そう言う事なのでは?」
「ありえるな。今の国王なら十分、そんな理由だけで召喚の儀を強硬しそうだ。今までの歴史があるから、聖女がいると言うだけで民の安心感というものはとても大きく、人の心はそれだけで随分変化するものだ。今は聖女がいらなくても、それに変わりはないだろう。それだけ王家に対し不信感を募らせているという事なのだがなあ」
エメリーはなるほどなるほどと頷いて、「蔦の儀を早く済ませてしまおう」と固く決意した。
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「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく(https://www.alphapolis.co.jp/novel/221439569/703283996)」の番外編です。ライオネルと北の砦の隊長の後日談ですが、BL色が強くなる予定のため独立させてます。単体でも分かるように書いたつもりですが、本編を読んでいただいた方がわかりやすいと思います。
※「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく」の他の番外編よりBL色が強い話になりました(特に第八話)ので、苦手な方は回避してください。
※完結済にした後も読んでいただいてありがとうございます。
評価やブックマーク登録をして頂けて嬉しいです。
※小説家になろう様でも公開中です。
平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです
おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの)
BDSM要素はほぼ無し。
甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。
順次スケベパートも追加していきます
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