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ぼくたちも、運命なんて要らない(と思う)
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卒業までひと月、木の芽月だ。
新芽がぷっくりと膨れた姿を、ノアが今いる城の庭でも見つけることができる。
アンジェリカとの休憩は木の芽月に入ろうかと言う時から、ほとんどなくなってしまった。
アーロンに寂しいと吐露してみたところ、なにやら微妙な顔をされてしまって謝ったのが先日の事だろうか。
慌てて「アーロン様とのお茶の時間も、ぼくはなくなったら寂しく思います」と言ってエルランドの苦笑いを誘ったけれど、アーロンが微妙な顔をしたのはそれが理由ではない。
ノアから寂しいと告げられた時にはすでに、アーロンは自分の将来が変わってしまった事を知ってしまっていたからだ。
ノアに施されているのが王子妃教育ではなく、王太子妃教育であるとトマスから聞いた時はそれでもまだ、両親からはっきりと言われたわけではなかったから、楽天かと言われてしまいそうだけれども自分の意識の中でもあまり本気に捉えていなかった。
確かに兄キースではもう無理かもしれない、と思う様になったのは嘘ではないけれど、それでもあのキースは王太子としての能力は十分にあったのだ。
その兄がこうなってしまった今、自分に変わるというそれを想像しなかったわけでもない。しかしそれらは全て、自分が想像する以上にキースが道を踏み外していたらという前提だ。
それがどうだろう。
苦い顔をしている父に呼ばれ向かった先は、王の執務室。
そこには母とランベールとアンジェリカの父であるエイナルがいた。
彼らに言われたのだ。
公表は先になるが王太子はアーロン、婚約者のノアはそのまま王太子妃になる。と。
アーロンは息が止まった感覚がして、次に頭が真っ白になった。
どうやって自室に戻ったか、今もアーロンは思い出せない。
(また、ひとつ、ノアにいらない苦労と心労が……。どうして僕は、ノアに心穏やかに過ごす未来を上げられないんだろう)
きっとノアは大丈夫だと言って笑って、時々大変だと素直に吐露して、アーロンが好きだと隣で言うだろう。
けれどアーロンはノアを愛している。好きな人に心穏やかに過ごして欲しいと思って当然だと、アーロンは考えていた。
王子妃になったノアに対して先の様に思っていたのに、王太子妃になってしまったらその比ではなくなってしまう。
──────アーロンなら、ノアの心身を支えられます。
厳しく優しいエレオノーレの言葉に、今のアーロンは自信を持って返事ができない。
アーロン様が好きだから、いいよ。
こんなふうに弱々しくなっていたら、不安になった時にいつもそう言ってくれるノアを支えられない。
アーロンは深呼吸をひとつすると、決意をした。
どんなに困難な未来があろうと、ノアには心穏やかに過ごす時間を誰よりも多く過ごしてもらう。自分が必ず、ノアを守ろう。
決意をしたアーロンでも、ノアが自分が施されていたのが王太子妃教育であった事、また王太子妃になるのだと言う事を知った後に何度も「ごめんね」と言ってしまうだろうけど、でもアーロンは決意を固くした。
ノアは、僕が守るのだと。
きっとこんな事を言えばノアに「ぼくだって男だよ。アーロン様に守られてばっかりでいられないよ」と少しむくれて言うのだろう。しかしアーロンは幼い時、ノアを好きだと知った時から決めているのだ。自分が守ると。
それがノアの愛を手放さない自分の、ノアから届く愛情への返事のひとつだとアーロンが信じているからである。
少し話がそれたけれど、そうしたわけで自分たちの将来が変わった事を知るアーロンは、寂しいと言ったノアに正しくかける言葉が出なかったのだ。
アンジェリカは今、ほとんど登城していない。
ノアとお茶をする日以外、アンジェリカはカールトン公爵家の邸にいるのだ。
もし今、その理由をノアが知ればどうなるだろう。誰もが心配と不安で真実が告げられなかった。
突然だが、実は過去に一度だけ、マリアンヌがノアの前で攫われそうになった事がある。
ノアはこの国始まって以来だろう祝福の多さと、生まれてすぐに判明した相反する闇と光の精霊からの加護があったため、他の祝福を得た子供よりも早く『自分の感情で起きるかも知れない危険』について何度も何度も聞かされ、自分の感情の制御を教えられていた。
自らの祝福を与えた者を大切に思い愛する精霊たちは、祝福を受けた者の感情に大きく左右される。
ネガティブな感情、特に怒りの感情に対して以外では大した実害はない。その怒りであっても大体の場合は相手が失禁するくらいで済む様な、それくらいのものだ。
けれどもノアの場合は祝福を与えた精霊が多すぎて、何が起こるか誰も見当がつかない。
ノアはそれもあって小さい頃からずっと、感情を制御する事を学んだのだ。
しかしこの時だけは、それが全て吹き飛んでしまった。
この事件が攫われそうになった以外何も判明していないのは、誰も覚えていないから、誰も解決したその瞬間を見ていないからである。
ノアの感情が爆発し、何かが起きた。結果、ノアもマリアンヌも無事であったけれど犯人とされる人間が全て“いなくなってしまった”のだ。
“消滅”したのか、どこかに“飛ばされた”のか、誰も分からないし今も判明していない。
この件から一層、ノアは感情の制御という課題に立ち向かうことになり、それはこの先も一生続く。
ノアにはマリアンヌが攫われそうになった事も結果犯人の安否も全て伝えている、だから気をつけなければならないと教えたのだ。
そんなノアだからこそ、もし全てを知ってしまった時にノアの感情がノアが思うよりもブレることを誰もが案じた。
彼がいかに学ぼうとも、王子妃として恥じない人間であったとしても、アンジェリカを慕うノアがどれだけ耐えられるのか、彼らには判断できなかったのである。
信頼していないからではない、ノアが持つ多くの祝福にある意味恐怖するからだ。
これはもうしかたがない。恐怖するなと言うのも難しいところがある。
ノアを愛していようが大切に思おうが、信頼していようが、ノアに与えられた異常なまでの祝福には誰だって恐怖せざるを得ないのだから。
ノアの家族とアーロンは「ノアは大丈夫」と太鼓判を押したけれど、国を預かる国王と王妃としてはそれに頷けなかった。
これから少し先の未来で、確かにノアは大丈夫であったと証明されるのだけれど、ともかくこんな事情によりノアにはギリギリまで内密にして進めていくと決めたのである。
「アーロン様?」
「うん?」
「難しい顔をしていましたから、何か問題があったのかと思って」
アーロンは眉間に皺が寄っていたことに気がついて、それを指でグッと伸ばす。
ノアはその様子に小さく笑って、アーロンにお茶をだした。
「今日はマリーから預かってきたものがあるんですよ」
トマスがさっとテーブルに瓶を出す。
登城してすぐにエルランドがトマスに預けたジャムの瓶だ。
婚約者からとは言え、どこで何があるか分からないから調べてからこうして使う。
これはもう王子の婚約者になってから当然の様に繰り返してきた。
「これは?」
「アーロン様が『え?未熟なリンゴのジャム?領地だけの楽しみ?』とマリアンヌに言ったでしょ?で、未熟のりんごを取り寄せてマリーが作ったんですよ」
「マリーが!!?」
「あ、料理長監修の元、同じものをぼくも家族も食べたので、甘すぎるとかそういうことはなかったですからね!」
「いや、そういう心配はしてないよ。マリーは真面目だからレシピ通りに作りそうだからね。驚いたのは公爵家のお姫様が厨房に入るのを、よくミューバリ公爵家全員が許可したなって」
アーロンの言う「ミューバリ公爵家全員」は何も家族だけではなく、マリアンヌの付きの侍女やメイドも含まれている。
ノアはアーロンの好みになる様にジャムを紅茶に溶かしながら
「まず、お父様が陥落したから。最初はいくらなんでもダメって反対していたんだけど、二人の話し合いを見ていたお母様が『わたくしも、マリーと一緒に作ってみようかしら。そうしたらベール、食べてくださる?』と言ったら、一瞬で許可が出たんだよ。これをチョロイと言うんだって」
チョロイの意味はよく理解していないまま、けれどもアーロンはなるほどと頷いて納得を示した。
ランベールは愛妻家。溺愛しているのは有名だし、それに憧れる夫人も多い。あんなふうに守られたい、あんなふうにいつまで愛されたい。と。
きっとシャルロットが娘のために上手におねだりをしたんだろうなと想像できれば、マリアンヌが厨房に立てたのも納得できるものだ。
ジャムの入った紅茶を飲もうとするアーロンにノアがいう。
「未熟なリンゴだから、甘くしてもちょっと酸っぱいから気をつけてくださいね」
アーロンは紅茶の香りに混ざって届く、甘酸っぱい香りを認めて頷いた。
新芽がぷっくりと膨れた姿を、ノアが今いる城の庭でも見つけることができる。
アンジェリカとの休憩は木の芽月に入ろうかと言う時から、ほとんどなくなってしまった。
アーロンに寂しいと吐露してみたところ、なにやら微妙な顔をされてしまって謝ったのが先日の事だろうか。
慌てて「アーロン様とのお茶の時間も、ぼくはなくなったら寂しく思います」と言ってエルランドの苦笑いを誘ったけれど、アーロンが微妙な顔をしたのはそれが理由ではない。
ノアから寂しいと告げられた時にはすでに、アーロンは自分の将来が変わってしまった事を知ってしまっていたからだ。
ノアに施されているのが王子妃教育ではなく、王太子妃教育であるとトマスから聞いた時はそれでもまだ、両親からはっきりと言われたわけではなかったから、楽天かと言われてしまいそうだけれども自分の意識の中でもあまり本気に捉えていなかった。
確かに兄キースではもう無理かもしれない、と思う様になったのは嘘ではないけれど、それでもあのキースは王太子としての能力は十分にあったのだ。
その兄がこうなってしまった今、自分に変わるというそれを想像しなかったわけでもない。しかしそれらは全て、自分が想像する以上にキースが道を踏み外していたらという前提だ。
それがどうだろう。
苦い顔をしている父に呼ばれ向かった先は、王の執務室。
そこには母とランベールとアンジェリカの父であるエイナルがいた。
彼らに言われたのだ。
公表は先になるが王太子はアーロン、婚約者のノアはそのまま王太子妃になる。と。
アーロンは息が止まった感覚がして、次に頭が真っ白になった。
どうやって自室に戻ったか、今もアーロンは思い出せない。
(また、ひとつ、ノアにいらない苦労と心労が……。どうして僕は、ノアに心穏やかに過ごす未来を上げられないんだろう)
きっとノアは大丈夫だと言って笑って、時々大変だと素直に吐露して、アーロンが好きだと隣で言うだろう。
けれどアーロンはノアを愛している。好きな人に心穏やかに過ごして欲しいと思って当然だと、アーロンは考えていた。
王子妃になったノアに対して先の様に思っていたのに、王太子妃になってしまったらその比ではなくなってしまう。
──────アーロンなら、ノアの心身を支えられます。
厳しく優しいエレオノーレの言葉に、今のアーロンは自信を持って返事ができない。
アーロン様が好きだから、いいよ。
こんなふうに弱々しくなっていたら、不安になった時にいつもそう言ってくれるノアを支えられない。
アーロンは深呼吸をひとつすると、決意をした。
どんなに困難な未来があろうと、ノアには心穏やかに過ごす時間を誰よりも多く過ごしてもらう。自分が必ず、ノアを守ろう。
決意をしたアーロンでも、ノアが自分が施されていたのが王太子妃教育であった事、また王太子妃になるのだと言う事を知った後に何度も「ごめんね」と言ってしまうだろうけど、でもアーロンは決意を固くした。
ノアは、僕が守るのだと。
きっとこんな事を言えばノアに「ぼくだって男だよ。アーロン様に守られてばっかりでいられないよ」と少しむくれて言うのだろう。しかしアーロンは幼い時、ノアを好きだと知った時から決めているのだ。自分が守ると。
それがノアの愛を手放さない自分の、ノアから届く愛情への返事のひとつだとアーロンが信じているからである。
少し話がそれたけれど、そうしたわけで自分たちの将来が変わった事を知るアーロンは、寂しいと言ったノアに正しくかける言葉が出なかったのだ。
アンジェリカは今、ほとんど登城していない。
ノアとお茶をする日以外、アンジェリカはカールトン公爵家の邸にいるのだ。
もし今、その理由をノアが知ればどうなるだろう。誰もが心配と不安で真実が告げられなかった。
突然だが、実は過去に一度だけ、マリアンヌがノアの前で攫われそうになった事がある。
ノアはこの国始まって以来だろう祝福の多さと、生まれてすぐに判明した相反する闇と光の精霊からの加護があったため、他の祝福を得た子供よりも早く『自分の感情で起きるかも知れない危険』について何度も何度も聞かされ、自分の感情の制御を教えられていた。
自らの祝福を与えた者を大切に思い愛する精霊たちは、祝福を受けた者の感情に大きく左右される。
ネガティブな感情、特に怒りの感情に対して以外では大した実害はない。その怒りであっても大体の場合は相手が失禁するくらいで済む様な、それくらいのものだ。
けれどもノアの場合は祝福を与えた精霊が多すぎて、何が起こるか誰も見当がつかない。
ノアはそれもあって小さい頃からずっと、感情を制御する事を学んだのだ。
しかしこの時だけは、それが全て吹き飛んでしまった。
この事件が攫われそうになった以外何も判明していないのは、誰も覚えていないから、誰も解決したその瞬間を見ていないからである。
ノアの感情が爆発し、何かが起きた。結果、ノアもマリアンヌも無事であったけれど犯人とされる人間が全て“いなくなってしまった”のだ。
“消滅”したのか、どこかに“飛ばされた”のか、誰も分からないし今も判明していない。
この件から一層、ノアは感情の制御という課題に立ち向かうことになり、それはこの先も一生続く。
ノアにはマリアンヌが攫われそうになった事も結果犯人の安否も全て伝えている、だから気をつけなければならないと教えたのだ。
そんなノアだからこそ、もし全てを知ってしまった時にノアの感情がノアが思うよりもブレることを誰もが案じた。
彼がいかに学ぼうとも、王子妃として恥じない人間であったとしても、アンジェリカを慕うノアがどれだけ耐えられるのか、彼らには判断できなかったのである。
信頼していないからではない、ノアが持つ多くの祝福にある意味恐怖するからだ。
これはもうしかたがない。恐怖するなと言うのも難しいところがある。
ノアを愛していようが大切に思おうが、信頼していようが、ノアに与えられた異常なまでの祝福には誰だって恐怖せざるを得ないのだから。
ノアの家族とアーロンは「ノアは大丈夫」と太鼓判を押したけれど、国を預かる国王と王妃としてはそれに頷けなかった。
これから少し先の未来で、確かにノアは大丈夫であったと証明されるのだけれど、ともかくこんな事情によりノアにはギリギリまで内密にして進めていくと決めたのである。
「アーロン様?」
「うん?」
「難しい顔をしていましたから、何か問題があったのかと思って」
アーロンは眉間に皺が寄っていたことに気がついて、それを指でグッと伸ばす。
ノアはその様子に小さく笑って、アーロンにお茶をだした。
「今日はマリーから預かってきたものがあるんですよ」
トマスがさっとテーブルに瓶を出す。
登城してすぐにエルランドがトマスに預けたジャムの瓶だ。
婚約者からとは言え、どこで何があるか分からないから調べてからこうして使う。
これはもう王子の婚約者になってから当然の様に繰り返してきた。
「これは?」
「アーロン様が『え?未熟なリンゴのジャム?領地だけの楽しみ?』とマリアンヌに言ったでしょ?で、未熟のりんごを取り寄せてマリーが作ったんですよ」
「マリーが!!?」
「あ、料理長監修の元、同じものをぼくも家族も食べたので、甘すぎるとかそういうことはなかったですからね!」
「いや、そういう心配はしてないよ。マリーは真面目だからレシピ通りに作りそうだからね。驚いたのは公爵家のお姫様が厨房に入るのを、よくミューバリ公爵家全員が許可したなって」
アーロンの言う「ミューバリ公爵家全員」は何も家族だけではなく、マリアンヌの付きの侍女やメイドも含まれている。
ノアはアーロンの好みになる様にジャムを紅茶に溶かしながら
「まず、お父様が陥落したから。最初はいくらなんでもダメって反対していたんだけど、二人の話し合いを見ていたお母様が『わたくしも、マリーと一緒に作ってみようかしら。そうしたらベール、食べてくださる?』と言ったら、一瞬で許可が出たんだよ。これをチョロイと言うんだって」
チョロイの意味はよく理解していないまま、けれどもアーロンはなるほどと頷いて納得を示した。
ランベールは愛妻家。溺愛しているのは有名だし、それに憧れる夫人も多い。あんなふうに守られたい、あんなふうにいつまで愛されたい。と。
きっとシャルロットが娘のために上手におねだりをしたんだろうなと想像できれば、マリアンヌが厨房に立てたのも納得できるものだ。
ジャムの入った紅茶を飲もうとするアーロンにノアがいう。
「未熟なリンゴだから、甘くしてもちょっと酸っぱいから気をつけてくださいね」
アーロンは紅茶の香りに混ざって届く、甘酸っぱい香りを認めて頷いた。
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